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バレたら処刑される偽物の妃ですが、冷酷と噂の陛下が私だけを離してくれません  作者: ヲワ・おわり


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第二十二話 守るものの、順番

第二十二話 守るものの、順番


 その夜、回廊の灯が、いくつも消えていた。

 奪還の下準備に、ミラはクラーラと二人、人目を避けて、宰相派の詰所に近い回廊を抜けようとしていた。祝祭の警邏が手薄になる道筋を、確かめておくために。冷えた石の廊下に、二人の足音だけが、低く響く。

 その足音に、別の足音が、重なった。

 前から、二つ。後ろから、一つ。灯の消えた闇の中から、黒い影が、音もなく現れた。手に、抜き身の刃が光る。祝祭の下働きの装いの下に、殺気を隠した男たちだった。

「妃殿下」ひとりが、低く言った。「お恨みは、ございません。ただ、儀の前に、消えていただく。……足を滑らせて、池に落ちた。それだけのことに」

 事故。アデルと、同じだ。宰相は、儀を待たずに、ミラを始末する保険に、動いた。ミラの背が、冷たい壁に触れた。逃げ場は、ない。


 考える間もなかった。

 ミラの頭は、けれど、恐怖の底で、逆に、冴えていた。下働きの娘は、危機のときだけ、頭がよく回る。叩かれる前に逃げ道を探し、叱られる前に言い訳を組む。生き延びるために、身体に染みついた、その速さが、今、剣の前で、目まぐるしく働いた。

 勝てない。武力では、この三人に、勝てるはずもない。ならば、守るべきものの、順番を、決めるしかない。

 自分の命。クラーラの命。そして、懐の、日付の写しと、奪還の段取りを記した紙。三つのうち、いちばん重いのは、どれか。ミラは、迷わなかった。自分の命ではない。もし今、ミラ一人が消えても、クラーラが証人として生き延び、証拠が王のもとへ届けば、アデルの無念は、晴らせる。反撃は、続く。けれど、ここでクラーラも証拠も失えば、すべてが、闇に葬られる。あの令嬢の死は、永遠に、事故のままになる。

 守る順番の、いちばん後ろに、ミラは、自分を置いた。

「クラーラ、走って!」ミラは、クラーラの背を、渾身の力で、灯の残る方へ突き飛ばした。「証を、王のもとへ! わたしのことは、いいから!」

 そして、刺客の刃の前へ、自ら、身を投げ出すように立ち塞がった。クラーラの逃げる時を、一瞬でも、稼ぐために。細い身体を、盾にして。

「小賢しい」

 刃が、振り上げられた。ミラは、目を閉じなかった。最後まで、見ていた。この目だけは、逸らさないと決めていた。


 刃は、落ちてこなかった。

 鋼と鋼の、激しい音が、闇を裂いた。ミラの目の前に、大きな背中が、割り込んでいた。剣を佩いた、長身。ユリアンだった。血と汗と、鉄の匂いが、闇の中に立ちのぼる。

「妃殿下から、離れろ」

 ユリアンの剣が、刺客の刃を、弾き返す。近衛の剣は、鋭く、容赦がなかった。祝祭の宵に紛れて忍び込んだ刺客たちは、正規の騎士の剣に、じりじりと押されていく。火花が、闇に散った。

 乱闘の中、ユリアンは、ちらりと、背後のミラを見た。てっきり、腰を抜かして、うずくまっているものと思った。妃候補の令嬢だ。剣など、見たこともないはずの。

 だが、ミラは、逃げていなかった。うずくまってもいなかった。突き飛ばしたクラーラの背を、まだ、目で追っている。自分の首に刃が迫っていることなど、忘れたように。自分の命より、証人と、証拠の行方だけを、案じていた。

 その姿を、ユリアンは、見た。

 偽物か、本物か。この騎士が、ずっと問い続けてきた問い。王に近づく女が、王位を、権勢を、狙う偽物ではないか。その疑いだけを、支えに、ミラを見張ってきた。

 けれど、今、目の前にいるのは、どうだ。刃を向けられてなお、逃げず、自分の生より、亡き令嬢の無念を晴らす証を、先に守ろうとしている。王位を狙う者が、こんな真似を、するはずがない。自分の命が惜しい者に、他人のために盾になることなど、できはしない。

 ユリアンの胸で、長く凝っていた疑いが、音を立てて、崩れた。この人は、偽物かもしれない。名も、素性も、偽りかもしれない。だが、その心根は、この宮廷の誰よりも、まっすぐだ。守るべきは、この人だ。王が、なぜこの女を庇い続けたのか。その理由が、今、腑に落ちた。

 最後の刺客を、ユリアンが、峰で打ち伏せた。回廊に、静けさが、戻る。荒い息の中、ユリアンは、剣を納め、ミラに向き直った。そして、片膝を、床についた。

「……お見それ、いたしました」低い声だった。「俺は、あなたを、疑っておりました。王に近づく、得体の知れぬ女だと。ですが、今、分かりました。あなたは――誰よりも、まことの妃であられる」

 ミラは、その、無骨な忠義の言葉に、胸を打たれた。この人を、欺いてきた。偽物の名で、ずっと。それでも、この人は、名ではなく、ミラという人間の中身を、まっすぐに、見てくれた。


 乱闘を聞きつけた者が来る前に、三人は、使われていない小室へ、身を隠した。

 ユリアンが、駆けつけたクラーラを、ミラの傍らへ導く。息を整えると、騎士は、声を落として言った。

「宰相の書斎の、警備が替わる刻限を、確かめて参りました」ユリアンの目に、もう、迷いはなかった。「三日後の、夜半。祝祭の宵宮で、警邏がいちばん手薄になる、その半刻。それが、機会です」

「三日後の、夜半」ミラは、その言葉を、胸に刻むように、繰り返した。

「俺が、外で、援護いたします」ユリアンは、深く、頷いた。「此度こそ、この剣を、あなたのために」

 ミラは、クラーラと、目を交わした。そして、片膝をついたままのユリアンに、静かに言った。

「顔を、お上げください。ユリアンさま。わたくしは、あなたに、謝らねばならないことが、たくさんございます。けれど、今は、ただ、お礼を。助けて、くださって」

 ユリアンは、顔を上げ、まっすぐにミラを見た。何かを察したような目だった。この妃が、口にできない秘密を抱えていることを、この騎士は、もう、薄々、感じ取っている。それでも、問わなかった。問う代わりに、深く、頷いた。

 味方は、揃った。クラーラ、ユリアン、そして王。あとは、あの周到な黒幕の懐から、要石の頁を、奪い出すだけだ。窓の外、祝祭の準備の灯が、遠く、揺れていた。決戦の日は、刻一刻と、近づいていた。


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