第十八話 謀略には、必ず綻びがある
第十八話 謀略には、必ず綻びがある
夜の居室に、古い宮廷の見取り図が、広げられていた。
燭台の灯を三つに増やし、ミラとクラーラは、卓を挟んで向かい合っていた。羊皮紙の上に、宮廷の記録がどこで、どう管理されているか。クラーラの知る限りを、ミラは、一つずつ聞き取っていく。乾いた紙の匂いと、灯芯の焦げる匂いが、狭い部屋にこもっていた。
「二か月前」ミラは、指で図をなぞった。「本物のアデルさまが亡くなった、あの夏。その死は、どこに、どう記されたの」
「宮廷の、死亡記録に」クラーラが答えた。「立会人の署名とともに。事故として、処理されました」
「その記録を、見られるかしら」
「原本は、文書保管庫に。けれど、あそこは、宰相の息のかかった書記官が、目を光らせております」
ミラは、見取り図の一点、文書保管庫の位置を、じっと見つめた。危険だ。けれど、そこにしか、真実の綻びはない。
「考えてみて、クラーラ」ミラは、声を落とした。「宰相さまは、周到な方。事故に見せかけて、証を消して、日記の頁まで奪った。それほど完璧なのに、なぜ、今も不安なのかしら。なぜ、日記を、あれほど恐れるの」
「それは」
「完璧では、ないからよ」ミラの目が、灯の中で光った。「どんなに巧妙な嘘にも、必ず、継ぎ目がある。丸ごと作った嘘は、いつか裂ける。それは、わたし自身が、いちばんよく知っていること」
真実の隣に嘘を置く。ミラが生き延びるために使ってきた、その技術の裏を、今、ミラは逆に読んでいた。宰相もまた、真実を歪めて、事故という嘘を作った。ならば、その嘘には、必ず、歪めた跡が残る。
「死亡の日付」ミラは、言った。「立会人の署名。事故のときは、慌てて記録が作られる。日付や、立会人の顔ぶれに、無理が出やすい。日記の記述と、公的な記録。その二つを、突き合わせれば――綻びが、見える」
ミラは、下働きのころを思い出していた。女主人が帳面をごまかすとき、決まって、日付の辻褄が合わなくなった。仕入れた日と、使った日。数を合わせようと書き換えるうちに、どこかで、必ず一日、ずれる。嘘を重ねる者は、そのずれを、自分では見つけられない。外から、二つの記録を並べて初めて、継ぎ目が浮かぶのだ。
「アデルさまが、日記に、最後に何かを書いた日。それが分かれば」ミラは、続けた。「宮廷の記録が言う『死亡の日』と、照らせる。もし、そこに一日でも食い違いがあれば、それは、事故ではなく、誰かが日付を操作した証になる」
クラーラの目が、見開かれた。この身代わりの娘が、いつのまにか、綻びを繕う側から、綻びを暴く側へ、回っていた。生き延びるために磨いた、嘘を見抜く目が、今、亡き主の無念を晴らす刃に、変わろうとしていた。
その夜更け、ミラは、文書保管庫の下見に出た。
人気のない回廊を、灯りも持たず、忍び足で進む。保管庫の重い扉の前まで来て、その構えを、目に焼きつけていく。錠の形。見張りの立つ位置。夜の巡回の間隔。潜り込むには、何が要るか。下働きが、勝手の違う屋敷でまず出口を探すように、ミラの目は、段取りを組み立てていた。
その背後で、石を踏む、硬い足音がした。
ミラは、凍りついた。振り返る。暗がりの中に、剣を佩いた長身の影が、立っていた。ユリアンだった。王の近衛騎士。こんな場所で、こんな時刻に見つかれば、言い逃れはできない。
「……妃殿下」
ユリアンの声は、低かった。ミラは、身構えた。詰問が来る。あるいは、そのまま捕らえられる。けれど、ユリアンは、動かなかった。ミラの顔と、保管庫の扉を、順に見て、それから、静かに目を伏せた。
「俺は、今夜、何も見ておりません」
ミラは、息を呑んだ。
「巡回の途中で、少し、道を間違えただけです。この先の廊下は、しばらく、誰も通りません」
それだけ言うと、ユリアンは、踵を返した。足音が、遠ざかっていく。見逃したのだ。この、王に忠実な番犬が。
ミラは、その背中を見送りながら、悟った。あの夜、回廊で刃のように向けられた忠義の目を、思い出す。この男は、王を害するものには、容赦なく吠える。その男が、王の妃候補の不審な動きを、見て見ぬふりで見逃した。ユリアンの一存で、できることではない。忠義の犬は、主の許しなく、獲物を放しはしない。
この男の背後に、もう一人いる。ミラの動きを、密かに黙認し、この夜の廊下から、人払いをして道を空けている、誰かが。それが誰かは、考えるまでもなかった。氷血の王。あの人は、気づいている。ミラが何かを企てていることも、その狙いが宰相にあることも。気づいていて、なお、暴くのではなく、道を空けた。ミラの胸に、温かいものと、切ないものが、同時に込み上げた。この人は、言葉では何も言わずに、行動だけで、ミラの戦いを、後ろから支えようとしている。
未明、居室に戻ったミラに、クラーラが、硬い声で告げた。
「一つ、確かめて参りました。死亡記録の原本を管理する、あの台帳のことです」
「台帳?」
「宮廷の血筋と、生き死にを記す、正式の台帳。あれは、ただの記録ではありません」クラーラの声が、低くなった。「王妃認証の儀で――神官が、妃の血を、その台帳と照らし合わせるのです。血の、台帳照合。あなたが本物のアデルさまか否かも、最後は、あの台帳が、決めます」
ミラの背を、冷たいものが伝った。
血の、台帳照合。その言葉の意味が、じわりと、胸に沁みてくる。神前で、妃の血を、台帳と照らす。本物のアデルハイトの血筋と、ミラの血が、合うはずもない。灰にまみれて育った、名もない孤児の血。それが、公爵家の血と、合うわけがない。照らした瞬間、ミラは、偽物だと、神の前で暴かれる。逃げようのない、詰みだった。
けれど、その同じ台帳に、宰相が改竄した、アデルの死の記録もある。反撃の証拠と、自らの死を告げる詰みが、たった一枚の台帳の上で、隣り合っている。奪いたい真実へ手を伸ばせば、逃れられない露見が、同時に牙を剝く。
ミラは、冷えた指を握りしめた。認証の儀。その神前が、反撃の舞台であり、処刑の舞台でもある。二つは、もう、切り離せなかった。窓の外で、秋の夜が、晩秋の冷たさへと、静かに傾きはじめていた。




