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20. 見栄の酒は、高くつく

 ダール侯爵の祝賀の宴は、王都の東、侯爵家の大広間で開かれた。


 東部派の重鎮の、長寿の祝いである。派閥の釣り合いというものがあるらしく、王太子殿下も短い時間ながら臨席なさることになった。会食を断り続けた三年間には、考えられなかった外出だという。つまり――毒見役も、初めての「出張」である。


 王宮の外を馬車で走るのは、あの婚約破棄の夜以来だった。石畳の音、市場の呼び声、パンと果物の匂い。窓の外を流れていく王都は呑気で、膝の上の検め道具だけが、私の職業を思い出させてくる。


 よその屋敷の厨房は、匂いの地図が違う。竈の癖、香草の好み、油の銘柄。検めの段取りを巡って先方の家令と少々の攻防があったけれど、「王太子殿下の口に入る物は、王宮の作法で検める」の一点で押し通した。融通の利かない毒見役という評判は、こういう時に限って便利である。


 宴は、華やかだった。祝いの口上、楽の音、次々と運ばれる皿。殿下の分の検めは、(つつが)なく白が続く。


 ――事件は、乾杯のあとに来た。


「ダール侯へ! 本日の佳き日に、ローデン家より心ばかりの品を! 南方より取り寄せました、極上の滋養酒にございます!」


 声の主は、もちろんユリウス様である。派閥の重鎮の宴に、実家の名代としてねじ込んだらしい。侍従が恭しく運ぶ酒瓶は、飴色の硝子に金の飾り紐と、見てくれだけは今日も立派だった。


 侯爵が相好(そうごう)を崩す。「おお、これは。……せっかくじゃ、殿下にもお注ぎせよ」


 ――はい、そこまで。


 殿下の杯に注がれた時点で、それは私の管轄である。進み出て、検めの口上を述べ、ひと口いただく。


 香料の厚化粧。粉っぽい痺れ薬。湿気た兜草の雑味。……先日の「妙薬」と、寸分違わぬ寄せ集めである。同じ掃き溜めから、同じ手で(すく)われた字だ。


 まぶたが、上がる。ついでに、気が重くなる。


「この滋養酒、毒です。安い痺れ薬と、古い兜草。……滋養どころか、お年を召した方が召し上がれば、そのまま寝付く量です」


 宴が、水を打ったように静まった。侯爵の顔から笑みが引き、家令が酒瓶を遠ざけ、視線という視線が、一斉に贈り主へ集まっていく。


「ば、馬鹿な! それは正真正銘、南方の……ま、また、なのか……?」


 ユリウス様は卓に手をついて、ご自分の杯を見下ろした。乾杯の音頭で、誰より誇らしげに、真っ先に飲み干した杯である。


「……の、飲んでしまった。わ、私は、飲んで……」


「量からして、命に別状はありません。今夜あたり手足が痺れて、二、三日寝込む程度です」


「じゅ、十分に大事だ!」


 医者と、リヒト様への使いを手配する。騒然とする宴の隅で、私は一応、申し上げるべきことを申し上げておいた。


「皆さま。ユリウス様は、毒と知って贈ってはおられません。……毒と知らずに贈れてしまうだけです」


 庇ったつもりだったのだけれど、宴のどこかから、こらえ損ねた笑いが漏れた。お人柄である。


       ◇


 後日談は、早かった。ダール侯は「ローデン家の若君の目利き」を派閥の語り草にし、ローデン伯爵家は、跡取り殿を領地での静養という名目で呼び戻した。宮廷への出入りは、当分ないという。


 発たれる日、ユリウス様は検めの間の戸口に立って、ひどく居心地悪そうに言った。


「……あの夜会の茶は、その。……悪かった」


 あの夜会から四月(よつき)。この方には精一杯の、初めての謝罪である。


「兜草の乾燥が、甘うございました」


「……そ、そうか」


「はい。素人のお仕事でした。……お達者で」


 それだけの、やり取りである。見栄で始まった婚約の、見栄で終わった後始末としては、悪くない帳尻だと思う。窓の外を、伯爵家の馬車がゆっくり遠ざかっていった。


       ◇


 残った宿題は、酒の出どころだった。


 ユリウス様に偽薬と偽酒を売った「特別な(つて)」の商人は、宿を引き払って消えていた。ただ、売り帳簿の切れ端が残っていて、リヒト様の検分と私の舌が、同じ答えを出した。偽酒に混ぜられた古い兜草――その乾燥の癖は、風の通る日陰で時間をかけた、あの陰干しである。


 手帳を開く。『同ジ干シ手。四度目』。


 帰りの馬車で、殿下がぽつりと仰った。


「よその屋敷でも、君の口上は変わらんな」


「様式ですので。どこの卓でも、検めることは同じです」


「……次の会食も、頼む。外の卓が、少しずつ戻ってくる」


 殿下は心なしか上機嫌にこちらを向いた。


「契約範囲内です。馬車の座り心地も、悪くありませんので」


「なら、あちこち行くとするか」


「僭越ながら……書類の山が高くなってしまうかと……」


「そんなことは気にせんで良い!」


 殿下はプイッと向こうを向いてしまった。毒見役としては越権行為であったかもしれない。気を付けねば……。


 窓の外を、夕暮れの王都が流れていく。見栄で買う人の後ろには、見栄に売る手がある。売る手の後ろには、卸す岸辺がある。名前の欄はまだ空白のまま、手帳の頁の折り目だけが、また一つ増えた――。

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