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19. 解毒の妙薬、追い毒つき

 面会室は、今日も何も語らない構えだった。飾りのない棚、紋章のない壁。その真ん中で、元婚約者さまだけが、精一杯に語っていた。


「や、やあ、ヴィオラ嬢。き、今日は奇遇ではないぞ。約束の上での面会だからな」


「ええ。奇遇ではありませんね。残念ながら」


「ざ、残念……?」


 久しぶりに間近で見る元婚約者さまは、心なしか、艶が落ちていた。念入りの巻き毛はどこか湿気にへたり、襟飾りの流行も半歩古い。貴腐酒の一件から、社交の風向きが芳しくないという噂は、本当らしい。ざまぁ。


 卓の上には、赤い天鵞絨(びろーど)の小箱。恭しく開けられた中身は、青い硝子の小瓶である。中で、金色の液体がとろりと揺れる。見てくれだけは、宝物のようだった。


「南方の秘伝、『万能解毒の妙薬』だ! 昨今、宮廷では毒の騒ぎが続いていると聞く。こ、これを殿下に献上すれば、憂いは一掃、ローデン家の面目も……い、いや、それはついでだが!」


「ついで、が本音の位置に聞こえましたが」


 聞けば、また「特別な(つて)」から、相場よりずいぶん安く譲り受けたのだという。学ばれない方である。貴腐酒の鉛で、あれほど青くなったのに。傷は癒えても、買い物の癖は治らないらしい。


「検めても?」


「む、むろんだ! 本物であることが、すぐに分かる!」


 栓を抜くと、竜涎香(りゅうぜんこう)めいた重たい香りが、部屋いっぱいに広がった。何も語らない部屋の壁に、けばけばしい絵をべたべたと掛けていくような香りである。香りだけは、大変に立派だった。ひと匙、いただく。


 まぶたは――半分も、上がらなかった。


 香料の厚化粧の下、安い痺れ薬の粉っぽい苦み。古くなった兜草の、湿気た雑味。市場の掃き溜めから寄せ集めたような字が、行儀悪く並んでいる。読み応えの、まるでない毒である。


「ユリウス様。これは解毒の妙薬ではありません。……解毒どころか、追い毒です。弱った方が飲めば、とどめになります」


「なっ……ば、馬鹿な! では私は、また……」


「はい。見栄のお値段で、偽物を掴まされています。二度目ですね」


 ユリウス様の顔色が、白から青、青から灰色へと、律儀に順番を守って変わっていく。お気の毒だが、毒見役は検めた結果しか申し上げられない。


 ――そこへ、書類の束を抱えた長身が、応接の間へ入ってきた。殿下である。執務の道すがら、というお顔をしていらしたが、抱えた書類の束は薄く、道すがりにしては目的地が明確だった。


「ローデン卿。毒見役への面会は、以後、目的を添えて侍従長へ申請しろ」


「で、殿下! こ、これはその、じ、持参の品のご説明を」


「聞いた。追い毒だそうだな。……献上品はすべて検めを通る。近道は、ない」


 冬空色の一瞥が、小瓶と、ユリウス様と、それから私の顔を、順に通り過ぎていく。私のところでだけ冷気が一度ほど緩んだ気がしたのは、たぶん、気のせいではない。


「ヴィオラ。終わったら執務室へ。茶が冷める」


「かしこまりました……」


 殿下は薄い書類を抱え直して、来た時と同じ速さで出て行かれた。ユリウス様が、呆然と呟く。


「……お、王太子殿下が、毒見役を、名前で……」


「三月も勤めれば、名前くらい覚えていただけます」


 ユリウス様は、しばらく小瓶と扉とを見比べていた。何かを数え損ねた、という顔だった。この方の帳簿では、毒見役はいちばん安い棚の品だったのだろう。棚の値札を貼り替える器用さは、たぶん一生、身につかない。


       ◇


 お引き取りの間際、ユリウス様は小瓶を握りしめて、往生際悪く宣言なさった。


「こ、今度こそ本物を用意する! 東部の重鎮、ダール侯への祝賀の品に、極上の滋養酒を贈る手筈も、も、もう整えているのだ! 見ているがいい!」


「その滋養酒、贈る前に検めましょうか?」


「け、結構だ! ローデン家の目利きを、な、舐めるなよ!」


 足音高く帰っていく背中を見送って、私は手帳を開いた。書くべきか少し迷って、結局、一行だけ書く。『滋養酒。嫌ナ予感』。


 妙薬の小瓶は、検分記録に載った。オルデン様の柔和な筆が、今日も一行。『ローデン家持参ノ妙薬、品質不良ニツキ返却』。優しい書き方である。優しさが、いっそう恥ずかしい類の。……二度目である。


 見ていなくても、たぶん聞こえてくる類の騒ぎである――。


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