クソガキは、どっち?
午前6時過ぎ――。
ただただ清瀬の器用さに、驚くばかりだった。
どこからトスを上げても、必ず打ち切る判断力と適応力の高さがすごい。というか怖い。
ネットから離れていても、正確な落下ポイントでスパイクの体勢に入っている。
1本目は叩きつける威圧的なスパイクだったが、2本目以降はエンドラインやサイドラインギリギリに打ち分ける冷静なコース打ち。
もしかしたら相手コートをイメージして打っているのかもしれない。
僕には見えていない何かを相手にして練習している。そんな気がした。
一方で、こんな選手がいたのに勝てなかったのは、やっぱり僕のレシーブ能力の低さでしかなかったのだろうと痛感する。
どんなに良いアタッカーがいても、サーブカットの段階で失点していたら、意味をなさない。そういうことなのだろう。
(どれだけ惨めな選手だったんだ、僕は……)
今考えてもしかたないのに、考えることを止められないのはやっぱり弱さに他ならない。
「ハァ……、ごめんちょっと疲れたから……、休憩しない?」
笠幡様は息を上げながら、休憩を提案してきた。
マネージャーは普段、身体を動かすようなことはしないから疲れも感じやすいのだろう。
にもかかわらず、30分近く球出しと球拾いを文句一つ言わず手伝ってくれて、本当にいい子だ。
「オッケー!」
清瀬も満足できたようで、スキップしながらボール拾いを始める。
「そうだね、良い感覚掴めてきたし休もうか」
二段トスは昔から得意だったし、好きなプレーだったからすぐに良い感覚を取り戻せた。
しかしこれで満足してたら、これ以上のものは生まれないのだろうと思う。
昔の僕を超えるには、選択肢を増やす必要があると現代の日本代表の試合を観て、30歳の僕は漠然と感じていたことを思い出す。
「清瀬、ちょっと良い?」
球拾いを終えて、折りたたまれていたパイプ椅子を開きながら話しかける。
「なに? マネージャーの話?」
顔を近づけてくる清瀬は、なぜか耳元で小声で返事をしてきた。
(なんでだ、意味わからん……)
呆れながら、笠幡様の方に視線を向けると、トレーナーを脱いでTシャツになろうとしていた。
清瀬の言いたい事が、何となく理解できた。
「このシチュエーション、ちょっとエロいって話じゃないの?」
ニヤニヤしながら、こそこそ話を続けようとする清瀬。
確かにちょっとエロいかもしれない。
着ていたトレーナーを脱ごうとしていて、必然的に上半身を張り出している笠幡様。
そうなると一際目立つのが、彼女の張った胸。30年の人生を振り返っても、大きい方だと思う。
(慎ましい娘なのに胸の主張は強い。Dカップくらいはある気がする……)
中に着ている白いポリエステル素材のTシャツは生地も薄めで、薄っすらかいた汗も相まって下着の色と柄が透けて見えてしまう。
(おー、水色だ)
マネージャーにピッタリの上品で華やかさのある下着。
そんな事を考えていながらボーっとしていると、清瀬が急に声を上げる。
「おい〜、むっつり鶴瀬〜〜!」
僕は無意識に笠幡様を観察していたらしい。
「な……、お前っ!」
不意に我に返り清瀬の方を見ると、またニヤニヤしていた。
(クッ……腹立つ顔!!)
「!!」
笠幡様の方に視線を戻すと、驚いた彼女が、脱ぎかけのトレーナーを急いで着なおす。
「ご、ごめんね! ドリンク、補充してくる!」
そう言って、アリーナからそそくさと出ていくマネージャーは、顔が赤くなっていたような気がする。
なんで謝ったのか良くわからないけれど、たぶん笠幡様は優しいからだろう。
アリーナに響くのは走る笠幡様のシューズのグリップ音だけ。なんだか変な雰囲気になってしまった気がする。
(この、クソガキ清瀬……)
清瀬のこういうところが、嫌いだったことを思い出す。
そもそもされて嬉しいやつなんていないと思うけど……。
しかし僕の心は30歳。笠幡様には申し訳ないが、華麗にスルーして話題を戻すことにした。
「二段トスの話なんだけど、ゆっくり高いロングトスじゃなくて、少し速めのセミトス上げて良い? 状況とタイミングによるけど」
例のマンガを参考にしたジャンプトスではないけれど、それに繋がる提案。
場合によってはジャンプトスにもチャレンジしたいが、とりあえず単調になりやすい二段トスの攻撃に緩急をつけてみたいなんて思った。
突然の切り返しに少し面食らった様子の清瀬だが、すぐに真剣な表情になる。
「分かっていればできるけど、なんで?」
「単調になりやすい二段トスで、意表を突けるかなと思って……」
なんで? その言葉に否定の意志を感じて、僕の声は少しずつ小さくなる。
頭に浮かんでいた言葉がちょっとずつ消えていく。
「サーブカットが乱れやすい、このチームだからこその、新しい補填というか……」
声に自信のなさが出てしまっているというのを、自分でも痛感する。
(そもそもサーブカットを乱している原因は僕だと言うのに、何を言っているのだろう)
また、惨めな気持ちになってきた。
社会人になった自分はいつもこんな感じだった。
何か提案して、なぜ?と尋ねられられると、その疑問の裏にあるものばかり考え始めてしまい、僕なんかがすいません。そんな卑屈な気持ちになっていく。
声が小さくなっていき、最終的には言葉が出てこなくなる。
良く知っている、僕の弱さ。勢いで喋ってしまう浅はかさ。
朝から増す一方の自己嫌悪感で胃がキリキリし始める。
(高校生の清瀬にすら、負けてしまう30歳の僕。あまりにも恥ずかしい男)
高校生の頃の僕は、こんな時どうしていたのだろうかなんて考えるけれど、全然思い出せなかった。
「……ごめん、やっぱ忘れて」
結局言葉が続かず、自分から始めた話しから逃げ出してしまう。
「ふ〜……、なんか勘違いしてるな鶴瀬きゅん」
一つ息を吐き出す清瀬は、続けて言う。
「鶴瀬の提案、悪いと思ってないよ。そもそも、勝つために試行錯誤する事に悪いなんてないから。単調になりやすい場面で、意表を突く攻めの姿勢ってとても良いと思う」
急に大人っぽく、ハキハキ喋り出す清瀬。
(本当の意味でクソガキなのは、僕の方なのかもしれない……)
切り替えのできる清瀬を見て、そう感じてしまう。
「反面、バレーボールはチームを連動させるスポーツだと俺は思っていてさ。その提案は俺が知っているだけじゃ使える場面が少ないし、セッターをはじめとした、コートの全員との連携があって効果を発揮しやすいんじゃない? って思ったん、だけど……」
突然、清瀬まで文末が縮こまりはじめている感じがする。
清瀬の言っている事、その通りだと思う。でもなんか、話がズレているような気がする。
そう思うけど何がズレているのか今の僕はパッと出てこないのがもどかしい。
そんな僕の心境を見透かしてか、今度は明るい声色で話しはじめる清瀬。
「お〜〜い! ダメだなんて言ってないからな? これは、理解を深めるための意見交換で……。だからそんな叱られた子犬みたいな顔すんな〜〜、ごめんな鶴瀬きゅ〜ん」
急に肩を組まれて頭をワシャワシャされる。僕の様子を気にして、喋り方を変えようとしたのだろう。
こんな事を高校生に言われて、喋り方まで気遣われて、それでもホッとしてしまう自分がなんとも情けない。
(否定じゃ……なかったんだ)
率直にそう思ってしまった。ここまでくると被害妄想の激しい卑屈すぎる男である。
「あのさ俺、今嬉しかったんよ。 鶴瀬が自分から提案してくるの始めてだったから。お前って試合中も練習中もいつも怖い顔してて、会話には全然入ってこなくて、何考えているか分からなかったからね! だから、ごめんよ鶴瀬きゅ〜〜ん」
そう言って笑顔を向けてくれる清瀬が眩しくて、でもちょっとイラついてしまう。
(子供扱いしされてしまった……)
でも、清瀬から見たら、高校生の僕も、30歳の僕も心の弱い人にしか見えないのかもしれない。
「……なんなんだよ、もう」
必死に絞り出した言葉は、内容などないただのボヤキだった。
それと清瀬の言葉で、昔の僕はコミュニケーションすら取れないほど、自分の事で必死だった。という事を思い出せた。
(ならこれからはもっと話そう。怯えるだけじゃなくて、昔の自分を超える強さを手に入れるために)
結果的にこのやり取りのおかげで、少し前向きになれた気がした。
「まあ、サーブカット乱してる戦犯は鶴瀬だけどね!!」
核心を突く一言を忘れない清瀬。これは天然なのか、わざとなのか。
いずれにせよ、これは彼なりの優しさなのかもしれない。とも思えた。
「返す言葉もない……です」
思考と反して、そう言って俯く僕。
30歳になると、自分の弱さを指摘してくれる人などいない。
そんな中で生きていると、指摘してくれる事は逆にありがたかったりするのだ。
否定を拒んて生きていると人はそれで良いと思ってしまって……。
そのまま更に歳を重ねるとそれは慢心となって、間違えを犯し続けてしまう。
間違えに途中で気づければいいが、気づく事もできずそのまま生き続けてしまうことは、破滅を産む。そんな気がする。
(言われる事が嫌と感じてしまうのは、どう頑張っても変わらないけど)
微妙な心境で、小さく息を吐き出す僕を見て、清瀬はコートに向かって歩き出す。
「じゃ、試しにやってみよ〜! 場面が少なくても、使える時はたぶんあるし! その1点がチームを盛り上げる大事な点になったら、最高に気持ちいいしな!」
(ああ、腹立つ。けどありがとう清瀬)
こんなチームメイトがいたのに、なんで昔の僕はもっと喋らなかったのだろう。
清瀬と話せたおかげで、何か変化の兆しを感じて……その感覚に、胸が高鳴っている。
(ただ、笠幡様の件は許さない)
僕は足元にあったボールを拾い上げて、清瀬の頭辺りに落ちるよう天井スレスレの高い高いトスを上げた。




