冬の早朝と違和感
ドン、ドン!!
「……ぃ ――い おい、起きろ鶴瀬!!」
パチンッ――
頬を叩かれたらしい。
(鶴ヶ島? みずほ台か? 酔っ払ってるのか……?)
辺りを見渡そうとするけど真っ暗で、誰に話しかけられているのか良く分からない。
「……朝? まだ真っ暗じゃん」
「知らんけど! お前のケータイにヤスから電話めっちゃきてる!」
焦った感じの口調の声の主は、たぶん鶴ヶ島でも、みずほ台でもない。
でも聞き覚えのあるちょっと高い声……。
(この声、誰だっけ……、ってかヤスって、久々に聞いたな……)
ヤスというのは、高校の顧問の先生のあだ名。本名は狭山で、ヤスってあだ名はずっと上の先輩たちから引き継がれている、伝統みたいなものだ。
経緯は何度か聞いたが、イマイチ納得できなくてすぐに忘れる。
「……はぁ。 つか誰だお前?」
ボーっとした状態の僕には、今の状況が理解できない。とりあえず名前を聞いてみる。
「毛呂山だよ! 寝ぼけてんの?」
食い気味でイラッとした感じの早口。それと高い声。
そういえば毛呂山は怒った時、こんなだった気がする。
普段は挙動不審で、少し声が震えているのが特徴。バレー部同期では唯一のオタク仲間。
合宿ではよく相部屋で、彼とワンセグケータイで録画した深夜アニメを見たり、アニソンを部屋で流して、ストレス発散していたのはいい思い出。
(でも、毛呂山はたしか2年前に亡くなった気がする)
「毛呂山……? 僕、死んだのか?」
「ほんとどうした? とにかく起きて! ヤスの電話出て!!」
電気をつけられる。
「眩しッ!」
くらむような眩しさに、目を細めるが、目前にはチームのジャージを着た毛呂山がいた。
「本当に毛呂山じゃん……」
反射的に目頭が熱くなるのを感じた。
もう会話する機会などあるはずがない、自分のオタクを全力でぶつけられる、唯一の同志と言える人物が目前にいたからだと思う。
あと、歳を取って涙腺がゆるくなっているのも原因かもしれない。
大人になってエンタメの道を進みたいと思えたのは、彼とマンガやアニメの話をする時間が大好きだったからだと思う。
僕もいつか、毛呂山と笑って話せる作品作りに携わりたい。そんな願いがあったのだ。結局、願いは果たせなかったけれど……。
エンタメ業界で働き始めてからも、毛呂山が唯一の同志と思えてしまうのは、この業界ですら全力でオタク話ができる人とは出会えなかったからだ。
仕事を前提とした関係である以上競争が生まれる場所であり、腹を割ることで陥れられることも多い世界だから。たぶん業界で働くからこそ、そういう友人は作れない世界なのだと僕は思っている。
あと多分同族嫌悪もある気がする。相手も、自分も。
正しいかどうかは分からないけれど。
そんなだから彼が亡くなった時、悲しくて……それは今もなお続いている。
思い出のアニメとかグッズを見ると、自然と当時の思い出と涙が一緒に溢れ出してしまう。
たったの3年間。人生の1/10を共に過ごしただけの彼を想うだけで、これほど苦しくなるなんて想像もしていなかった。学生時代の仲間とはそれほどの存在なのだろう。
夢を見ているのかもしれない。そう思っていても、今高鳴っている鼓動を抑える事など出来はしない。
そんな僕の高ぶりをよそに、毛呂山の眉毛はピクついている。
彼もある意味高ぶっているのだろうけれど、その原因は僕に対しての怒り8割、哀れみ2割という感じだろう。
「もぉー!! いい加減にせ――い!」
とうとう堪忍袋の緒が切れたのか、思いっきり布団を剥ぎ取られるのであった。
怒っても布団を剥ぎ取るだけなのは、彼の優しさなのだと思う。
「寒っ!!」
異常な寒さで、急激に鼻先が痛くなる。吐き出す息も白い。
おかげで、高ぶりまくった感情の世界から戻ってこれた。
昨夜冷房をつけたとはいえ、こんなに部屋って冷えるものなのか?
再び周りを見渡すと、そこは長野合宿でよくお世話になった印象深い部屋。
長野県の民泊。しかもエアコンが壊れている部屋……。
ジャンケンに弱い僕と毛呂山は、大体この部屋になっていた。
「これは、夢? それとも本当に死んだ?」
おかげさまで少し頭が回り始めたが、状況が理解できるかは別問題。
というか情報量が多くて、さっきより明確に混乱している。
「わけわからないこと言ってないで、とにかくヤスの電話に出なさいよ!」
自分のケータイを渡される。昔使っていた二つ折りの機体。
液晶には、狭山と表示されていた。恐る恐る、電話をとる。
「はい、鶴瀬です……」
「今から体育館に来い。 30分後に練習始めるぞ」
顧問の声を聞いた途端、僕の身体は急に硬直してしまう。
「え……?」
――ブツ。 ツー、ツ――
要件だけ伝えられて、一方的に切られてしまった。
イップスというのは、どうやらあの人の声を聞く事で、反応が現れるということが分かった。
「大丈夫か? 急に雰囲気変わったけど」
心配そうにこちらを見る毛呂山。見て分かるということは顔の筋肉まで硬直しているのかもしれない。
「全然大丈夫じゃないけど、朝練呼び出されたから行ってくる」
とりあえず30分後にはコートに立ってないと、たぶんはっ倒される。
ジャージの襟元から中を覗き込むと、練習着を着ている。長ズボンの中も短パンを穿いているのを確認。
「よし」
合宿中はいつ練習が始まっても良いように、常に服の中に練習着を着ていた。おかげで、着替えに時間を割く必要はなさそうだ。
シューズと、サポーター。それと貴重品を持って部屋を出る。
「おやすみー」
背後からのんきな毛呂山の声。
感動の再会であったはずなのに、他人行儀ないつもの彼の反応に今はちょっと腹が立つ。
腹は立つけど、レギュラーメンバーの中で1番下手くそなのが自分だから仕方がない。
ホテルから外に出て、体育館まで走り出そうとしたとき、思いっきりズッコケた。
思考が身体に置いていかれるみたいな感覚。歩幅も足の回転も想像以上で困惑する。
(僕って、こんなに身体が動くんだっけ……)
全速力で走ったからか、5分で体育館に到着した。
全力のはずなのに、息はまったく切れていない。
それはいいが、何度か足が絡まって転びそうになった。
脳が出した指令が、身体に伝わるのがワンテンポ普段より早い感じは、気持ち悪い。
今おかれている状況も経緯も分からないままだが、とりあえずヤスが怖いから、来る前に心と身体の連動性を高められるように集中しようと思った。
(ずっと怖いが原動力で行動してたから、成長できなかったのかもしれない……)
やらされているうちは成長しない って誰かに言われていた事を思い出す。
当時は、やらされているという状況がどういうものか理解できていなかったけれど、恐怖によって動かされている僕はまさにやらされているのだろう。
そう考えながら、アリーナに向かうと、ボールを突く音。
(げっ、もうヤス来てるの…?)
再び身体の筋肉が硬直するのを感じながら、恐る恐るアリーナの扉を開けると、そこには細くて長身の影が見えた。
「いい朝だ、待っていたよ鶴瀬きゅん」
逆光で輪郭しか分からないけれど、このクセの強い第一声……。
「清瀬……?」
「通りすがりの、バレーボール仙人です」
カーテンの隙間から差す朝日を背にしているせいで、シルエットしか分からないけどたぶん清瀬だ。
(清瀬と朝練した記憶なんてないな……)
清瀬は朝が弱く、ギリギリまで寝ている記憶がある。そんな彼がなんでここにいるのか不思議だった。
「練習するならアリーナの照明つけといてよ……、ヤスに呼び出されたの?」
いちばん可能性があるとすれば、顧問に呼び出されたくらいだとは思うのだが。
(そもそもヤスは清瀬だけは、できるだけ休ませるようにしていたような……)
謎が深まるけれど、いくらか身体の硬直はやわらいでいた。
「秘密で〜す。ってか驚かないんだ」
近づいてくる大きな影。顔が見える距離になると、ニヤニヤした清瀬だった。
「秘密主義とか、天才的なアイドル様みたいじゃん」
つい、流行していた曲の歌詞を流用してしまった。拾われると面倒くさいなとちょっとしりごみした。
「良いね、アイドル! 卒業したら目指してみるか〜」
そんな心配も杞憂だったようで、テキトーにかえされた。
(あいかわらず、不思議なやつ)
「いや、お前はバレーボール選手を目指しなよ。絶対すごい選手になるよ」
靴紐を結びながら、今度は言葉を選ぶ。
返事はなく、ただボールを突く音だけが薄暗く寒い体育館に響く。
「よしっ……。準備OK」
腿上げジャンプをすると、想像以上に膝が上がる。猫背なせいで顔に膝がクリーンヒットした。
「痛ぁっ!」
(これ、本当に僕の身体か……?)
顔を抑えていると、真面目な表情になった清瀬がコートの逆サイドに移動する。
「準備できた? サーブ打ってやるから、その後久々に二段トス打たせてよ」




