【第六話】黒媛伝説
黒媛という名前は聞いたことがあった。妖怪の中には、わけあって妖界を離れ、人間界で暮らしている者も少なくない。特に明治時代初めごろまでは、人間界と妖界を結ぶトンネルが非常に少なく、人間界で生まれた妖怪が一生を人間界ですごすことも少なくなかったという。黒媛も、人間界で一生をすごした妖怪の一人だとされている。正体はよく分かっていないけど、かつて人間界で身分の高い人に気に入られ、寵愛を受けた妖怪として歴史の教科書にも載っている。
うながされるままガラスケースの前に移動すると、そこには絵巻物が展示されていた。白い着物を着た細身の男性と、黒い服を着て、やや癖のある長髪をした女性がひざをついて見つめあっている絵だ。辺りには葦のような背の高い草が生えている。その時、住職がお盆に湯のみを乗せてもどってきた。
「おや、その巻物にご興味を持たれるとは、見る目がありますな。サガリ教授からは普段、民話や伝承を聞いたりするのですかな?」
「いえ、あまり――黒媛の話は知ってるんですけど」
花子は湯のみを受け取って答えた。
「そのお年で黒媛をご存知なだけでも大したもんです」
住職は巻物を指し示しながら説明をしてくれた。
「一七〇〇年ほど前、この辺りに黒媛というたいそう美しい女性がいたそうです。その美しさは当時の天皇のお耳にも入りました。黒媛は宮中に呼び寄せられ、寵愛を受けたそうです。しかし彼には妃がいて、そのお方がたいそう嫉妬されたそうで、黒媛を追放してしまいました。天皇はなげき悲しまれ、こっそりとここ、岡山まで会いにいかれたそうです。ここにはその逢瀬が描かれているのです」
花子が知っている話と同じだった。
「結局、黒媛はどうなったんですか?」
妖界では、黒媛の没年は不明とされている。人間界でもそうなのだろうか。
「それは分かりませんな、昔のことでいくつかの説に分かれてしまっているので。面白い説として、この近くにこうもり塚古墳と呼ばれる古墳があるのですが、そこが黒媛の墓だという話もあります」
彼女の墓があるというのは初耳だった。
「ですが、こうもり塚古墳は六世紀半ばにできたということが、今でははっきりと分かっています。時代が合わないので、まあ、後年の人々が作った作り話でしょう。こうもり塚古墳は吉備の支配者の墓であり、黒媛のものではないというのが通説となっています」
確かに人間ならありえないけど、妖怪ならそれくらい生きられる。こうもり塚古墳が黒媛の墓でもおかしくはない。
「結局今となっては、彼女が最後どうなったのか突きとめるすべはないのです――失礼、そろそろご依頼の品をお持ちしましょう」
住職は部屋のすみにある扉の鍵を開け、向こうに消えた。
「あれ、どういうことだこれは」
座りかけた花子の耳に、住職のおどろいた声が届いた。
「何かあったんですか?」
住職は答えず、こちらの部屋にもどってきた。
「すまんなあお嬢さん。ちょっとその場で待っていてくれますかな、若いのを呼んでくるから」
住職はかけ足で博物館を出ていった。
「見にいってみよう」
ナップサックからスネコスリの声がした。となりの部屋は宝物庫になっていた。木で作られた棚に、巻物や糸で閉じられた本、よく分からない仏具が並べられている。
「あそこだ、花子ちゃん」
スネコスリの指差したところに、割れた壺や皿がいくつか転がっていた。近くの壁には細長い亀裂が入っている。長さは四〇センチ、幅は五センチくらいだろうか。完全に貫通して、薄暗い外が見えている。
(何だろう、するどい刃物で切り裂かれたみたい――)
「すまんですなあお嬢さん」
住職が若いお坊さんを連れてもどってきた。
「見ての通り泥棒か何かに入られたようで、ご依頼の品も見あたらないようです。申しわけないが、一度出直してもらえませんかな。サガリ教授にはあとでこちらからおわびの連絡を入れておくので」
「ずいぶんと早かったね」
車の中でたばこを吸いながら待っていたサガリ警部は、のん気にいった。
「それがね警部、見られなかったんだ」
スネコスリが事情を説明した。
「昨晩誰かが泥棒に入ったみたいだよ」
「何だって、何でよりによってこのタイミングで――」
「壁には小さい穴が開いていたよ。人間じゃ無理だけど、妖怪ならそこから出られる」
「そうか、じゃあ、今から花子ちゃんとスネコスリ君はこの辺りで適当に聞きこみをしてほしい」
「えっ、ぼくもうすぐあがりの時間なんだけど。花子ちゃんだって門限があるんだよ」
スネコスリは不満そうな声を出した。
「若いうちは時間なんて気にしちゃだめだ、仕事ができないうちは私よりもたくさん働くことで貢献するんだよ」
花子はスネコスリをナップサックに入れて、寺の周りに広がる田んぼの間を歩いていく。
「それで、これからどうするの?」
「君が聞きこみするんだよ。唯一人前に出られる外見をしているからね」
「私が?」
ひどい仕打ちではあったけど、「自分の正体が分かるかもしれない」というえさを目の前にぶらさげられたら仕方ないし、もし博物館に押し入ったのが妖怪だとしたら、同じ妖怪として住職に申しわけない気もした。
花子は、人を求めて田んぼの間を走るあぜ道を歩いた。夜明けなので人気はなかったけど、民家の前を掃除しているおばあさんや手押しトラクターを運んでいるおじさんを見つけては質問をくり返した。博物館に泥棒が入ったことをいうとおどろいてはくれるものの、あやしいものを見たという人はなかなか見つからない。
五時一〇分をすぎてそろそろ帰りの時間が心配になってきたころ、ようやく有用な情報を聞くことができた。
「泥棒とはまた違うかもしれんけど、夜明けに変な黒ずくめの人が、危なっかしい足取りで走ってたよ」
教えてくれたのは、ランニングウェアを着てタオルを首にかけた、ジョギング中のおじさんだった。
「こうもり塚古墳に入っていったところまでは見てたけど、ずっと見てたわけじゃないからそのあとは知らないよ」
こうもり塚古墳は、さっきの博物館から歩いて五分ほどのところにあった。はた目には、四方を田んぼに囲まれた岩山にしか見えない。岩山のすそ野には、直径二メートルほどの穴が開いている。内部の壁は、直方体の白い石を積みあげて作られていた。一〇メートルほど進んだところでいきどまりになっていて、奥に石棺がある。ふたはなく、中身も空だった。
「やっぱり誰もいないか。まあ、これだけ調べれば警部も文句いわないよね」
スネコスリがそういって花子の肩の上で出口の方を向いた時、花子はあることに気づいた。石棺の真下に小さな穴が開いていたのだ。まるで石棺でふたでもされているかのようだった。穴の周りには、まるで地面と石棺の隙間に何かを押しこんだかのように、土がえぐれたあとまである。
「ねえ、あれ何だと思う?」
スネコスリをつまんで、石棺の方に向かせた。
「やるねえ花子ちゃん。よけいなもの見つけないでよっていう気もするけど」
スネコスリは穴を見つめたまま腕を組む。
「見つけた以上しょうがないね、ゆっくり進んでみようか」
二人は隙間をすり抜けて石棺の下におりた。辺りは真っ暗で、道幅は大人一人がやっと通れるくらいしかない。湿度が高くひんやりとしている。壁はさっきよりもつるつるとなめらかだった。
「ねえ、この奥に何かいると思う?」
「分からないよ、何もいないかもしれないし、妖怪じゃなくて蛇かネズミかもしれない。取りあえず、この先に博物館に忍びこんだ妖怪がいる前提で話すよ。博物館の壁には、妖怪が出入りするのに必要なものよりも、はるかに大きな穴が開いていた。たぶん、盗んだものを外に出すためだ。その妖怪は君みたいに、『人間界のものを運べる入れ物』を持っていなかったのかもね」
妖怪は姿を消した状態だとせまい隙間を自由にすり抜けられるけど、代わりに人間界のものを持てなくなってしまう。姿を消したまま人間界のものを運ぶには、特殊な加工をした入れ物を使うのが普通だ。花子の持っているナップサックがそれにあたる。ただのナップサックの三倍近い価格だけど、子どもの小遣いで買えないほどではない。
「この辺りは田んぼばっかだから、夜中に人通りなんてまったくない。姿なんて消さなくても、お寺で盗みを働いたあと、見つからずにここまで移動するのは簡単だ――さっきのおじさんには見つかってたみたいだけど。ここまできたら、石棺の下の隙間に盗んだものを押しこむ。さっきの土がえぐれたあとはその時にできたものかもしれない。あとは、一度姿を消せば隙間をすり抜けてここに入れる。入ったらまた姿を現して普通に手で持って進めばいい」
何の根拠もない推測ではあったけど、この奥に泥棒がいたとしたら、そう考えるとすべてがつながる。
「それにしても、もしここが本当に黒媛のお墓だとしたら、黒媛はここの人々に愛されていたんだね。こんなに大きな古墳を作ってもらえるんだから」
「それはどうかなあ」
スネコスリは意味深そうに声をひそめる。
「正直、ぼくはあまりおだやかじゃないものを感じるな。例えば、この通路はおかしいと思わない? さっき上に石棺があったよね。ここは古墳なんだから遺体こそが一番大切なものだ。その遺体よりも奥に通路がある。普通では考えられないよね? この奥には何を隠していると思う?」
「やめてよ」
そんなことをいわれると進む勇気がなくなってしまう。
「大丈夫だよ。こう見えてもぼく、サガリ警部より強いんだよ――それよりほら、一番奥が見えてきたよ」
スネコスリは花子の肩をたたいて前を指差した。突きあたりには、上の石棺よりも一回り小さな石棺がおかれていた。表面には、風化してよく分からない細かい文字が刻まれている。
「少なくとも、ただの人間の支配者を埋葬した施設じゃないのは確かだね。たぶんあっちの石棺は、ここを隠すためのダミーだ。遺体がないのは盗掘にあったんじゃなくて、初めから存在しなかったのかもしれない」
「そんなことまで分かるの?」
スネコスリは首を横にふる。
「ただの勘だよ。ただ、ぼくの動物的な勘はよくあたるんだ」
ここでスネコスリは声をひそめた。
「あと花子ちゃん、さっきからびくびくしているね――肩にとまってるからよく分かるよ。君も、なかなかいい勘をしてると思うよ」
「どういうこと?」
スネコスリは口の前で指を立てる。石棺の中から、かすかに衣ずれの音が聞こえた。スネコスリが目で今まできた方を示す。
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