【第三話】山彦
次の瞬間、花子はレンガ造りのアーチの前にいた。両手には姉妹をぶらさげている。山彦は、アーチの前で棒立ちになって居眠りしていた。豚鼻からは地鳴りのようないびきが聞こえる。花子は山彦に頭から体あたりした。さすがに数百キロの巨体には勝てず、逆にはじき飛ばされて地面にたたきつけられる。山彦は「んがっ」と鼻を鳴らし、辺りを見回した。
「大変です、山彦さん!」
花子はすぐにおきあがって、姉妹を山彦に押しつけた。
「大変というのは、これか。人間がどうしてここに」
その時、男がアーチの前に現れて花子にせまってきた。
「大変というのは、これか。これは大変だ」
山彦は、制服のふところから辞典ほどもあるファイルを取り出してめくった。
「人間への傷害容疑で指名手配されているテケテケが、まさかこんなところにくるとは」
名前と正体をばらされたことが気にさわったのだろう、男――テケテケは顔を赤くして、背負っていたはさみを手に持った。
「おいおっさん、てめえ今すぐこの建物のシャッターを全部閉めろ、てめえら全員人質にしてやる!」
「シャッターを閉めろ」
山彦は復唱した。
「シャッターを閉めろか、もう閉めた。新しい客が入ってきても困る」
いつの間にか、待合室の出入り口には真っ赤なシャッターがおりていた。
「そうだ、それでいいんだ。おいクソガキ、こっちにこい!」
テケテケははさみを持っている手をふるわせて怒鳴った。
(怖いけど、これ以上山彦さんや人間に迷惑をかけるわけにはいかない)
花子は両手をあげて、テケテケに近づく。
「そうだ、こっちへ――そのわけの分からない翼もしまいやがれ!」
背中に力をこめると、翼はみるみるうすくなっていき、消えてしまった。
(さっきより、上手く使いこなせるようになってる気がする)
花子はテケテケのすぐ前で立ちどまる。テケテケのはさみは五〇センチほどもあった。赤いさびに包まれてはいるけど、花子の細い腕くらいなら難なく切り落とせそうだ。背中がすっと寒くなって、胸の辺りがぎゅっと痛くなる。足がふるえるのを感じた。
「へへ、そうだ、いい子だ」
その時、香奈美が山彦の後ろでもぞもぞしだした。山彦が香奈美の首に毛深い指を押しあてる。
「おい、おっさん何してる!」
テケテケに引き寄せられ、首元にはさみを突き立てられた。山彦はのっそりとこちらに向き直った。
「人間に妖界を見せるわけにはいかないだろう」
あたり前のことをいっているだけなのに、彼の口からまともなことを聞くと何だか妙な気持ちがした。ただ、山彦の口調は相変わらずのん気だった。
「人間もこっちに寄こせ! これ以上待たせると何するか分かんねえぞ!」
山彦は答えず、テケテケの動きを真似るように両手をふりあげ、上下に動かした。
「てめえ馬鹿にしてんのか!」
山彦は何も答えず、両手を上下に羽ばたかせた。
(……分かった、そういうことか!)
花子は山彦の奇行の意味に気がついた。背中に力をこめると、今まで消えていた翼が突然現れた。衝撃でテケテケが後ろにはじき飛ばされる。花子も前にはじかれて、レンガの床にたたきつけられた。山彦がホイッスルを鳴らすのが目にる。シャッターがはねあがるように開き、一〇人ほどの警官がなだれこんできた。警官はみんな、二メートルほどの丸太に鳥のかぎ爪のような一本足がついたような外見をしていた。人間のような腕にはとげのついた警棒がにぎられている。テケテケが起きあがりかけたところを、警官たちがいっせいに押さえた。テケテケがわめいて暴れるけど、どうにもならないようだ。
「誰かが呼んだのだろう。シャッターに『中でトラブルが起きています。通報してください』と書かれているから」
山彦が他人ごとのようにいった。
「それより、今のうちに人間をもどしにいってくれ」
花子は姉妹を引きずりながら人間界にもどった。廊下は暗くて静まり返っている。トイレを出たところで廊下の壁に二人を寄りかからせる。
「……もう起きて大丈夫みたいだね」
すぐに真奈美が目を開けた。
「気絶してるふりしてたの? いつから気づいてたの?」
「下半身のないやつが捕まるところあたりから」
真奈美は妹を不安そうにゆさぶった。
「大丈夫、まだ気を失ってるだけ」
「……そうだね、ちゃんと息してる、よかった」
真奈美はほっとしたような顔をしてみせたけど、花子は、彼女の目にひそむおびえを見逃さなかった。
(怖がる気持ちは分かるけど、やっぱりちょっと傷つくな)
はっきりと自分の正体をいっておくべきだと、花子は思った。しゃがんで真奈美と目線を合わせる。
「気づいたかもしれないけど、私はあなたたちと違うところに住んでいるの」
妖怪というと怖がらせそうなので、慎重に言葉を選んだ。
「でも、何もしないから安心して。……私のこと怖い?」
「そんなことは」
真奈美の声が裏返った。
「分かってるんでしょ、私が誰だか」
真奈美は目を見開いて、体をこわばらせた。
「いっとくけど全部うそだからね。私、人間に悪いことしたことないし、トイレはこっちにくる手段として使ってるだけで、私とトイレは何の関係もないし」
花子は、自分が人間界で「トイレの花子さん」という名前をつけられ、恐れられているのを知っていた。
「本当はなるべく人間に会わないようにしているんだよ。だって今のあなたみたいに怖がるから。でもたまに人間に見られて、ものすごい怖がられて、人を呪い殺したとかわけ分かんないこと広められて――」
真奈美は、花子から目を伏せた。怖いからなのか、怖がったことを恥じているのかは分からない。
「そうだ、これ、ほら」
花子はナップサックをおろして購入したDVD、『魔法のプリンセス・ミルキー☆メロン』を取り出した。何を出す気だろうと身を引いていた真奈美は、あっけに取られた顔をする。
「私、人間の世界の漫画やアニメが好きなんだ。今日はこれを買いにきたの。それを聞いても怖いと思う?」
真奈美は一瞬無表情になったかと思うと、ぷっとふき出して顔を横にふる。
「……いや、ごめん、そうだよね。あたしと香奈美のこと守ってくれたものね。ほんとにごめん。せっかく助けてくれたのに、怖がっちゃって」
「いいの、無理もないし」
むしろ花子の方がほっとした。
「じゃあ、あんたが『トイレの花子さん』なの?」
真奈美は確認するようにいった。
「この世界ではそう呼ばれてるけど、私はあなたの世界の怖い話の本に書かれているような、悪いことはしてないからね」
「分かってる、ごめんってば」
むきになる花子がおかしかったのか、真奈美はまた少し笑った。その時、香奈美が小さくうめいた。
「たぶん香奈美ちゃんは何も知らないから、内緒にしておいて」
真奈美は「分かった」と小声で答えた。
「……あれ、お姉ちゃん――」
香奈美は目をしょぼしょぼさせて、辺りを見回した。
「まったく、いきなり廊下で居眠りなんかしないでよ香奈美」
真奈美が妹の頭を小突いた。
「……あれ、私、寝てた?」
香奈美は納得いかない顔で首を傾げた。
「そうだよまったく、あ、この子はハナちゃんね」
真奈美が花子を指差した。
「ハナちゃんも忘れ物取りにきたんだって。あんたさ、音楽室の前の階段で突然眠って落っこちそうになったんだよ。そしたらちょうど階段の下の方からハナちゃんがあがってきたところで、運よく受けとめられの。あんた、お礼いいなよ。ハナちゃんいなかったら鼻の骨折ってたよ」
「……ありがとう」
香奈美は素直に頭をさげてくれた。
三人は校務員室に入った。
「実はさ、ここのドアだけ警備会社のセンサーがついてないんだよ。鍵も大体かかってないしね。みんな知ってるけど、先生にはいってないんだ。今のままの方が都合がいいから」
校務員室のドアから校庭に出ると、校庭にはさっきのバンがまだとまっていた。真奈美は一瞬不安な顔を見せたけど、すぐにふうっと息をはいた。
「他の仲間はいないみたいだね」
花子にささやいた。
「そうだね」
花子はうなずく。確かにテケテケの仲間はいなかった。でも、さっきの一本足の警官が三人ほど、人間には見えない状態でバンの周りをうろついているのが見えた。よけいなことをいって怖がらせても仕方ないので、だまっておいた。
「どうしたの、ハナちゃん」
「何でもない」
真奈美の「ハナちゃん」という呼び方が、少しこそばゆくて、何だかうれしくなった。恐れていることを隠すためにわざと「あんた」「ハナちゃん」呼びしていることは分かっていたけど、少なくとも感謝を伝えようとしてくれていることは事実だと分かっていたからだ。
「じゃあ、私はもういくね」
「学校にもどるの?」
香奈美が不思議そうに訊いた。
「私は、まだ忘れ物取りにいけてないからね」
花子は、こちらに声をかけたそうな警官に目配せしながらいった。
「また会えるかな?」
真奈美が耳元でささやいた。後ろで香奈美がさらに不思議そうな顔をする。
「難しいかも。でも、三階の女子トイレの一番奥に手紙でもおいてくれれば、読むかもしれない。私はあそこから出入りしてるから」
花子も、このまま真奈美たちと別れるのは少しさみしい気持ちがした。何といっても、始めて知り合えた人間なのだから。
「じゃあまたね、ハナちゃん」
真奈美が手を差し出してくれた。手をにぎると、花子と違ってとても温かかった。香奈美も、相変わらず不思議そうな顔をしながらも手を差し伸べてきた。花子は香奈美の手もにぎってあげた。
「ハナちゃんの手、すごく冷たいね」
花子と真奈美は顔を見合わせて、こっそりと笑いあった。
「なるほど、テケテケが人間を気絶させてバンに押しこんでいたと」
馬の顔をした中年男性は、長い舌で鉛筆をなめて手帳に何かを書いた。
「バンがとめてあるということは人間界に隠れ家があるのかもしれない、きっとそうだろう、それでそのあとは――」
「警部さん、もう花子ちゃんを休ませてあげてください」
フタクチ先生が、座っている花子の頭を後ろからなでてくれた。
「しかし、現場にいたのは花子ちゃんだけなんですよ、この子の証言だけが手がかりなんです」
「それは分かっています。でも、まだ五〇歳にもなっていない小学生を、事件のあとそのまま警察署につれてきて、長時間拘束するのはかわいそうだと思いませんか?」
警部は「うむむ」とうなったきり、何もいいかえせなかった。
「大丈夫、花子ちゃん?」
「はい、先生」
花子は、先生の運転するマイクロバスで影送りの里に向かっていた。実際、花子はそれほどショックを受けていなかった。自分の体に起きた変化や、人間と仲よくなれたことがうれしかったせいかもしれない。
「明日警察の方がくるといっていたけど、断っていいのよ」
フタクチ先生は、まだ一二〇歳くらいの若い先生だ。影送りの里にきたのは三〇年くらい前で、施設にいる期間なら、物心ついた時から住んでいる花子の方がずっと長かった。
「大丈夫です。私も、自分が何にまきこまれたのか知っておきたいですし」
「そんなこと知らなくていいのよ」
テケテケが音楽室で何をしていたのか、あのバンは結局何だったのか。自分の安全が確保された今、花子はにわかに興味がわいていた。
「そうだ、そんなことより先生」
花子は大事なことを思いだした。
「私、その、さっき体に変化が出てきて、始まっちゃったみたいなんです」
「あら、おめでとう」
おどろいたのか、先生のポニーテールにしている後頭部がもりあがった。あの髪をとくと、下に大きな口がある。普段は見えないけど、しかる時は前と後ろ両方の口で代わる代わる怒鳴るので分かりやすい。
「今日、急に背中から布みたいな翼が生えてきたんです。自由に出したり消したりできるし、意外と力もあるし――」
「……そう、すごいわね」
先生が何かをいいよどんだ気がしたけど、花子は訊かなかった。不意にあることを思いだしたからだ。
(観覧車から落ちた時に体から変な帯みたいのが出てきて助かったことがあったけど――今思えば、あれは前兆だったのかもしれない)
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