【第二話】テケテケ
(どうしよう、よく分からないけど助けないと)
花子はそっとあとをつける。姉妹は気を失っているようだ。姉の靴の底が床にこすれて「きゅっきゅっ」という音を立てていた。男は一階まで姉妹を引きずっていき、玄関の方へ向かっていく。どうするんだろうと思っていると、玄関の前で折れて、校務員室の中に入っていった。花子は男が出てきた時にこちらへ引き返してきて鉢合わせになることを見こして、窓のわずかな隙間から校舎の外に出ておいた。窓の外に植えられているツバキの隙間から、校務員室の方をじっと見守る。しばらくすると、男が校務員室から出てきた。姉妹の代わりに、大きな段ボール箱を二つ抱えている。花子はツバキの影にしゃがんで目をつぶり、身を隠す。二〇数えてから立ちあがると、廊下の突きあたりの階段をあがっていく男の姿が見えた。
(チャンス!)
閉じられた窓の隙間からまた廊下にもどり、校務員室にかけこんだ。床に大きな段ボールがいくつも並んでいる。机の横には小さな扉があって、そこからグラウンドに出られるようになっていた。今、扉は開いたままになっている。
(あの子たち、外かもしれない)
校務員室の前には真っ黒なバンがとまっていた。さっきまで走っていたらしく、近寄ると熱気を感じる。花子はドアの隙間から車内に忍びこんだ。後ろのスペースに段ボール箱が二つ転がっている。ふたはテープで固定されていた。花子は姿を人間にも見えるようにしてから(姿を現さないと人間界のものにふれることができないので)、テープをはがしてみた。予想外に大きな音がしたのでどきどきしてしまったけど、思った通り、二つの箱からそれぞれ姉妹が出てきた。二人とも首筋に丸い小さなあざがあった。これは幼い花子でもできる。妖怪は、人間の太い血管に指を押しつけて力をこめると、しばらくの間気絶させることができるのだ。人間のいう「恐怖のあまり気絶してしまった」というのは、これが原因の場合が少なくない。花子は姉を抱き起こしてゆさぶった。
「ぐ……、うーん――」
やがて姉は小さくうめき声をあげたかと思うと、目を開いた。
「……あれ、ここ――香奈美!」
花子に背を向け、段ボールの中に入れられている妹を激しくゆさぶる。
「香奈美、……ちょっと、しっかりしてよ!」
「大丈夫、気絶してるだけみたい」
花子は後ろから声をかける。
「そう、よかった――」
姉は妹を段ボールから抱き起こした。
「あんたも捕まったの?」
「そんなところかも」
花子は、今ここが暗いことに感謝した。この状況であれば、目を見られてもこちらが人間ではないことに気づかれることはないだろう。
「あたしは西城真奈美、ここの六年二組なんだけど、あんたは?」
「私は――名前は花子だけど、実はここの生徒じゃないの。別のところで捕まって――」
「そうなの、ここはあの男の車の中みたいだけど――どうしよう、香奈美を起こして早く逃げよう。あいつまずいよ、暗いからよく分かんなかったけど、顔に血みたいの飛んでた。あたしたち殺されちゃうよ」
「そうだね、逃げるなら今のうちかも」
花子はバンの後ろの扉を開けた。花子と、香奈美を背負った真奈美は外に出た。暗いグラウンドを突っ切って、門の方へ進む。
「あんた携帯持ってる? あたし忘れてきちゃって――」
「私も持ってない」
本当は持っているけど、人間界では使えないのでうそをついた。その時だ。背中が一気にむずむずしだした。後ろをちらりと確認して、真奈美の背中をぽんとたたく。
「え?」
「気づかれた、三階の窓から見てるよ」
ふり返ろうとする真奈美をもう一度たたいた。
「こっちにくるよ――見ちゃだめ、走って!」
男は窓の隙間からするりと抜けて、こちらに飛んできた。
「もっと速く!」
真奈美に空を飛ぶ男を見せないように後ろから急きたてる。男は抱えていた段ボールを投げ捨てた。ものを持てるということは、人間にも姿が見える状態なのだろう。
(あんなの、とてもじゃないけど人間に見せられない)
花子は真奈美に負ぶわれている香奈美の背中を押しながら、後ろをふり返った。血まみれの男の上半身が、グラウンドの上を滑るようにして近づいてくる。
「……もう無理――何してるの、こっちにつき合ってないで早く逃げなよ!」
真奈美が息を切らせながら怒鳴った。
「何いってるの!」
花子は、倒れそうになっている真奈美を支えながらしかりつける。
「私が足どめしてるかそのまま逃げて、ちゃんと香奈美ちゃんを連れて」
「知らない人にそこまでしてもらう気なんて――」
花子は真奈美にふり払われた。真奈美はそのまま後ろをふり返る。
「見ちゃだめ」
声をかけたけど、間に合わなかった。
「何、あれ」
真奈美の足がもつれ、そのまま妹に押しつぶされるように転んだ。男が花子と真奈美の間に割りこむようにおり立ち、真奈美のうなじに指を押しつけた。真奈美は香奈美の下でぴくりともしなくなる。花子は真奈美におおいかぶさるように割って入る。
「やめて! この子たちをどうするつもり――ですか?」
男は三メートルくらいの高さから馬鹿にしたように花子を見おろしていた。九〇代くらいの若者で(妖怪の場合、年齢が二桁のうちはまだ若者だ)、目が細くつりあがっていて、何だか分かりやすいチンピラ顔をしていた。
「てめえにゃ関係ねえだろ、校舎をうろつかれちゃあ邪魔だし、待ってやるほど親切じゃねえ。だったら捕まえておいた方がいいだろ。それよりもてめえの心配してろよ」
「……どういうことですか」
今さらながら、人間の姉妹だけではなくて、自分も危険な状態であることに気がついた。花子はあとずさりする。背中がむずむずを通り越して痛くなってきた。
「人間なんて見逃しても害はねえけど、てめえはだめだ。俺がここで何をしたのか絶対しゃべるに決まってる。てめえ見ただろ、あれを」
「あれ……何のことだか――」
花子の靴に真奈美にふれる。これ以上さがれない。
「見たんだろ、そうに決まってる!」
男は甲高い声でさけんで、花子の右腕をねじりあげた。
「いっ、痛い!」
そのまま持ちあげられた。つかまれている腕だけでなく、背中にも焼けるような痛みを感じる。かすかに自分の体から妙な臭いがただよってくる。しょっぱいような、鉄臭いような臭いだ。
(これは血の臭いだ。でも何で私の体から――けがなんてしてないのに)
「てめえ、どうせ妖界にもどったら俺のことチクるだろうがよ、えっ!」
校舎の屋上くらいの高さまで宙づりにされ、校庭のトラックや遊具が下に見えたかと思うと地面に向かって放り投げられた。
「うわわっ!」
妖怪はちょっとした隙間をすり抜けることはできても、壁や地面を通り抜けることはできない。こんな高いところから落ちたら命に関わる。
(嫌だ、死にたくない!)
背中に電撃のようなものが走ったかと思うと、そのまま地面にたたきつけられた。
(……あれ、そんなに痛くない)
すぐに立ちあがることができた。屋上と同じ高さから転落したのに、この間小型の観覧車から落ちた時と同じくらいの痛みしか感じなかった。
「なっ、てめえこの野郎、飛べたのかだましやがって!」
男は上から口からつばを飛ばしてさけんだ。
(どういうこと)
体をひねってみると、背中から白い帯のような翼が生えていた。半透明で、ほのかに輝いている。服がやぶれている様子はない。まるで羽衣のようだ。
(もしかして、始まっちゃったのかもしれない、でも、何でこんな都合のいい時に)
妖怪は、大人になる過程で体が変形したり、今までできなかったことができるようになることがある。人間が思春期に体つきや声が変わるのと同じだ。花子は姉妹の腰の辺りを抱え持つと、背中に力をこめた。背中に鈍い痛みが走ったかと思うと、花子の体が少しだけ浮きあがった。
(間違いない。でも、何で今、信じられない)
一気に加速して、男の横をすり抜ける。姉妹をつかんでいる両手がひっこ抜けそうだ。二人を抱えているせいか、靴の先っぽが地面をこすってしまうくらいの高さでしか飛ぶことができなかった。
(私、空を飛べたんだ!)
追いつめられた時に突然姿が変わって、空を飛ぶ力が開花する。まるで魔法少女が初めて変身するシーンそのものだと花子は思った。
(いや、そんなことより今はこの子たちを助けなくちゃ)
男が猛然と追いかけてくる。慣れない翼で体を支えなくてはいけないし、何より姉妹を両腕に抱えていた。それに対して男は何も使わずに宙に浮くことができる。逃げきれないのは分かっていた。花子は校務員室のドアから校舎に入る。背中の痛みは引いてきたものの、腕の感覚がなくなってきた。
「てめえ、逃げられるとでも思ってんのか!」
男の怒声が後ろから聞こえてくる。花子は姉妹を引きずりながら廊下を滑空し、階段をあがる。
(だめだ、追いつかれる、でもあとちょっとだけがんばれば――)
三階の廊下の突きあたりに女子トイレが見えた。翼に力をこめて体あたりでドアをぶち開ける。ドアが壁の向こう側にあたって大きな音をたてた。そのまま勢いを殺さずに、今度はトイレの個室のドアに突っこむ。
(早く――もどって!)
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