【第一六話】杖はどこへ消えた?
花子はチケットを二枚買って(オクリはお金を持っていなかった)、トンネルの前に立っている山彦にさし出した。山彦は花子を見おろしてチケットを受け取り、しばらく首をひねったあと、オクリに目を移して、チケットを二枚切って返した。トンネルを抜けると、静かな夜の小学校のトイレの個室に出た。前にDVDを買いにきた時には、まさかあんなことにまきこまれるとは思ってもみなかった。
(真奈美ちゃん、どうしてるだろう)
ちっとも昔のことでもないのに、妙に懐かしく思えた。
「ここは便所か?」
オクリが窓に近づいていくので、あわててとめる。
「どうした」
「開けたらだめですよ、警備会社に連絡がいきます」
「誰に連絡がいくのか知らないが、開けるつもりなどない。人間ではあるまいし、隙間さえ開いていれば出られる」
オクリは、窓の下に開いているわずかな隙間から外へ出ようとする。
「それにここ、三階ですよ」
「どうってことない、飛びおりられる」
オクリはそういうと、窓の隙間をするりと抜けて外へ出ていってしまった。
「ちょっと、もう――」
花子は人間と同じルートでいこうとしたけど、廊下へ続くドアの前で思いだした。
(私、飛べるんだった。玄関にいかなくても、窓から飛びおりられる)
危うく遠回りするところだった。花子は窓の隙間をすり抜け、翼を羽ばたかせながら地面におりた。
「俺も昔は、自分の体の変化に適応できずに、はたからみて変なことをしたものだ」
待ちかまえていたオクリがいった。
「うっかり持ち物を口にくわえて運んだり、ふとしたはずみに体をなめてしまうことがあった」
「狼の方が元の姿だったんですか?」
「生活が楽だから、今ではこの姿でいることの方が多いがな。脚力が必要な時にもどるくらいだ。それに、本当の姿の方が気が休まる。それより道案内をしてくれ。俺は寺の場所を知らない」
前回は車に乗っていったので、花子もよくは覚えていなかった。
「私も分かりません。地図はあるけど、見つけられるか自信がないです」
「お前の翼は何のためにある?」
オクリは空を指差した。
「そうか、上から見れば――」
花子は背中に力をこめて、夜の岡山の空へ飛び立った。校舎の屋上を越えて辺りが一望できるようになった辺りで、花子は周囲を見渡した。まず目に入ったのは、遠くからでも明るく目立つ岡山駅周辺のビル街だ。妖界の岡山駅に比べると、だいぶ発展している印象だ。だけど今回の目的はこちらではない。ビル街の反対方向には田んぼが広がっていた。ぽつぽつと民家の明かりが見える以外、人気はない。じっと目をこらしてみると、明らかに民家ではない建物の影を見つけた。
「五重塔が見えました」
「寺はそこにあるのだな。人間界なら他の妖怪もあまりいないし、飛んでも問題はないだろう。俺は地上からお前を追う」
花子はうなずいて、五重塔へと羽ばたいた。ビル街から離れると、すぐに空にはたくさんの星が見え始めた。四月とはいえ、夜に風を切って飛ぶと少し寒さを感じる。
(でも、飛ぶって気持ちいい)
星空の下を飛んでいると、最近のもやもやとした気分が風で吹き飛んでいくような気がした。下では、狼姿のオクリがついてきている。
(ここまでくれば五重塔を見失うことはないかな)
花子は高度をさげてオクリと並走した。
「いい顔をしている」
「え」
「空を飛んで、少しは気分が晴れたか」
「……そうかもしれないです」
フタクチ先生ほどは親身になってくれなそうだけど、その分不安を打ち明けても問題がないのはありがたく感じた。
「ここか」
寺の門前についた。オクリは人間の形にもどる。
「杖は併設されてる博物館にあると思うんですけど――先に住職さんに会って話してみたいです」
杖の所有者である住職なら、あの杖のいわれをある程度知っているはずだ。もう夜の九時を回っていたけど、早朝にたずねるよりは迷惑ではないだろう。
「俺は人間に見られないようにしておく。知らない人間と話すのは面倒だ」
じゃあ何のためについてきたんですか、という言葉を飲みこんで、花子は門のわきについているインターホンを押した。つき合ってくれているだけでもありがたい。
「――はい」
住職の声だった。
「こんな時間にすみません、私、以前お会いしたサガリ警部の遣いの者ですけど――」
「ああ、お嬢さんですか。かまいませんよ、今お開けしましょう」
すぐに門のとなりにある小さな木戸が開き、住職が現れる。今日は紺色のはんてんを着ていた。
「重い門を開けるのはしんどいものでね、どうぞこちらから」
「本当にすみません、こんな時間に」
花子は恐縮しながら木戸を通り抜ける。
「かまいませんよ、今は卒塔婆を書いていただけですから」
後ろから人に見えない状態のオクリも入ってくる。
「お嬢さんこそこんな時間に一人で大変ご苦労なことです。あれからサガリ教授とつながらんのですが、何か伝言でもございますかな?」
「はい、まずは急な出張のせいで連絡が取れなくてごめんなさいっていってました」
「ああ、なるほど。杖がなくなった日に教授に電話してもつながらなかったのはそういうわけですな」
身分を偽って近づいておいて、杖がなくなったら一方的に関係を断ち切るなんていかにも警部らしい態度だ。
「本堂へどうぞ。お茶でもお出ししましょう」
住職は四段ある本堂の階段を先にあがると、格子の引き戸を開けた。入ってすぐのところに卒塔婆が五枚転がっていた。近くにはすずりがある。奥にある薬師如来像は、左右におかれた燭台のろうそくで赤みがかった小金色にかがやいていた。
「お座りになってください。ここにこられたということは、サガリ教授から、また何か杖について質問でも預かってきたということでしょう」
「はい、あの杖のいわれとかをなるべくくわしく知りたいんですけど――」
「くわしく、ですか」
住職は座布団に座りながら坊主頭をかいた。
「さて、どう説明したらいいものやら。サガリ教授は大学教授ですからな、そこらの文献程度の情報であれば私よりもくわしいでしょうから」
「いえ、まずは基本的なところからでいいのでお願いしたいです」
花子はあわててつけ加えた。
「そうですな、じゃあ、お嬢さんに理解してもらうつもりで、一からお話ししましょう。あの杖は元々吉備津彦命の所有物だったといわれております。お嬢さんは、吉備津彦命の伝説について知っていますかな?」
「はい、サガリ警部――教授から聞きました」
本当は図書館で借りた本で読んだのだけど、我ながら上手いうそだと思った。
「それならば話は早いですな」
本尊の裏の方から、若いお坊さんがお盆を抱えてもどってきた。お茶とお茶菓子を花子と住職の前におく。
「卒塔婆をしまっておいてくれないか。筆も片づけておいてくれ」
若いお坊さんは卒塔婆を右手に抱え、すずりと筆を左手に持つと、また本尊の裏へ消えていった。
「失礼、杖の話でしたな。吉備津彦命は温羅を滅ぼしましたが、吉備津彦命が温羅を倒せたのは、杖のおかげだといわれております。当時の書物にも、吉備津彦命が鶴に姿を変えたり岩を撃ち落とすほどの矢を射ることができたのは、杖から力を授かっていたからだと書かれています。ただ別の記録には『温羅が岩を投げてきた時に杖が弓に姿を変えて、その弓を使って矢を射ると岩を撃ち落とせるほどの威力が出た』とも書かれています。大昔の話ですし、しょせん伝説ですからな、杖について、いくつも違う記述が出てくるのは自然なことでしょう」
「杖って、ずっとここにあったんですか?」
花子はお茶を一口飲んで訊いた。
「いえ、先代が吉備津彦命をお祀りしている神社から受け取りましてね」
住職はお茶に口をつける。
「吉備津彦命はこの辺りでは非常に親しまれている神様でして、ここから西に八キロほど離れたところにある神社が特に有名ですな。お嬢さんも旅行番組か何かでご覧になったことがあるでしょう、ほら、あのとても長い回廊のある神社ですよ」
そういわれても、妖界出身の花子にはぴんとこなかった。
「その神社の本殿の後ろに吉備の中山と呼ばれるご神山があって、山頂の古墳には吉備津彦命が葬られているといわれております」
なかなか興味深い話だった。人間の住職がどこまで吉備津彦命の正体にせまれているかは未知数だけど、少なくとも花子よりずっとくわしいのは確かだ。
「他にも吉備津彦命をお祀りしている神社は岡山に山ほどありますし、おとなり広島県や香川県にも存在しています。そして、杖はその中の一つからいただいたのです。ここには大切な宝物を適切な温度と湿度で管理し、多くの人に見ていただける博物館があります。よそ様から宝物を寄贈していただいたり、預からせていただくことがよくあるのです。私どもを信用して杖を寄贈してくださったのに、それをなくしてしまって見つからずじまいとは、本当に申しわけないことですよ」
花子はオクリと目を見合わせた。
「……あの杖、もどってきてないんですか?」
「そうなのです。警察も探してくれてはいるのですが」
「早く、帰ってくるといいですね」
花子はぬるくなったお茶を飲みほした。
「お代わりはいかがですかな?」
「いえ、もうだいぶ遅いので」
花子は断って立ちあがる。
「こんな時間にいきなり押しかけてすいませんでした。そろそろおいとまさせていただきます」
「いえいえ、こちらこそ何もできませんで」
住職は相変わらずにこにこ笑っていた。
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