【第一五話】ボロアパートのオクリ様
「知ってる、花子ちゃん? 影送りの里の近くに不審者が出たんですって」
学校から影送りの里に向かうバスの中で、友人が話しかけてきた。あの日から十日ほどすぎ、花子の傷はほぼ消え去っていた。
「不審者?」
胸がざわつくのを感じた。子どもの集まる場所に不審者がうろつくのは世の常だ。でも、本当にただの不審者なのだろうか。
(黒媛さんの警告通り、杖に関わったせいで誰かに目をつけられたのかもしれない)
警部との連絡がとだえて、花子はむしろ以前より不安な気持ちになることが増えていた。トンネルで見た死骸の山が夢に出てきて、汗びっしょりで目を覚ましたことも二回あった。
「そうだ、花子ちゃん」
運転していたフタクチ先生がいった。
「今日あなたが学校にいってる間、オクリさんって方がたずねてきたんだけど」
「えっ……」
おどろいていると、先生は勝手に納得して続けた。
「やっぱり知り合いなのね、花子ちゃんのお友だちのお兄さんだっていってたから。風邪を引いて休んでる妹が花子ちゃんに会いたがってるっていってたわ。明日は休みだし、お見舞いにいってあげたらどう?」
翌日、花子はご飯もそこそこに外出した。今は午後の九時を回ったところだ。オクリが先生に伝えた場所は、影送りの里から歩いて一五分ほどのところにある、木造の二階建てアパートだった。壁がところどころはがれ、わらのまじった土が露出している。屋根から落ちてきたかわらが乾いた地面に転がっていた。
花子はオクリを恐れていた。経立のせいでまともな思考ができなくなっていたとはいえあと少しで殺されるところだったし、なぜこちらに接触を試みてきたのかも分からない。とはいえ、もう危害を加えられる理由はないはずだし、警部たちとの連絡手段が断たれて途方にくれているところに彼の方から連絡してきたのだ。これに乗らないわけにはいかなかった。
さびてくずれそうな階段をあがって、二〇五号室の茶色い木戸をたたく。やや間があって、木戸がきしみながら開いた。
「しばらくだな」
部屋から出てきたのは、まぎれもなくオクリだった。ボロアパートの一室から出てきたものの、かがやくような銀髪と、狼のような金色がかった鋭い眼光は彼に間違いなかった。
「あっ、先日はどうも……」
少しひるみながらも、知らない妖怪ではなくて彼が出てきてくれたことで安心した。それに、今のオクリからは前のような狂気じみた雰囲気は感じられなかった。
「入れ」
うなずいて、アパートの一室に足を踏み入れる。中にはせまい部屋が一つしかなかった。部屋のすみに流しがある代わりに、お風呂もトイレもない。部屋の中央にはわらがしきつめられ、そのとなりに小型の冷蔵庫がおいてあった。
「座れ」
オクリはわらの中から茶色いクッションをほり出すと、ほこりをはらって花子に放ってきた。
「どうして私の居場所が分かったんですか?」
花子は少しためらったあと、大人しくクッションに座る。
「あの馬面に直接聞いた。電話をかけたがつながらなかったから、名刺に書かれていた住所を頼りにしてここまできた。帰るところもないから、ここで暮らすことにした。入居の手続きも全部馬面にやらせた。俺にはよく分からないからな」
オクリは、冷蔵庫からしなびたリンゴを出して投げてきた。一応もてなしてくれているつもりなのだろう。花子はあわてて受けとめる。
「警部たちは元気でしたか?」
オクリはわらの寝床をはさんだ向かいにあぐらをかいた。
「普段の馬面の様子を知らないから元気かは分からないが、元の人型にもどっていた」
サガリ警部の体は本当にどうなっているのだろうか。
「お前や俺を悪用しようとしていたことが上に知れて、怒られた上に電話番号を変えられたらしい。次に何かあったら懲戒だとおどされているそうだ。俺がきた時もすごい形相で周りを確認していて愉快だった」
確かに面白い光景ではあるけど、それどころではない。警部と連絡が取れないと一番困るのは花子だ。
「もう警察署にこないようにいわれたが、代わりに自宅の場所を聞きだすことができた。あの馬面はまだ使えそうだ」
「オクリさんは何をしに岡山まできたんですか?」
「お前に借りがある」
オクリの鋭い目が丸くなる。訊ねられてむしろおどろいたようだった。
「お前は経立を殺したことに心を痛めているように見えた。あれ以来お前が気丈に暮らしているか、それが気になっていたのだ。だから、人間界から妖界に移住するにあたって、青森から岡山まで移動してきた」
「気持ちはありがたいですけど」
花子は、突然の協力者に戸惑っていた。別に大丈夫ですといいかけて、思い直した。先生や友人を心配させるわけにはいかないけど、オクリなら本当の気持ちを話しても心配はされなそうだ。
「それはつまり、私に元気になってほしいってことですか?」
「もしお前が元気をなくしているのなら、元気にさせたいと思う」
「でも、どうしてそこまでしてくれるんですか?」
オクリはあごに手をあててこちらを見据えたあと、少し間をおいてから答えた。
「経立のせいとはいえ、勘違いでお前をしめ殺そうとした。それにも関わらず、お前は俺と禰宜を助けた。だから何か返さなければならないと思った。この答えではだめか?」
「それは……だめじゃないです」
怖い妖怪ではあるけど、協力してくれるのであればありがたい話だった。少なくとも善意で助けてくれる分だけ、警部よりは信用できる。
「ちょうど協力してほしいことがあるんですけど、いいですか?」
花子は、杖と出会って自分の正体に疑問を持つまでの経緯を話した。説明している途中、最近目撃されている不審者の正体がオクリであると気づいたけど、かまわず続けた。
「……つまり、杖から力を受け取ることのできる自分は何者なのか、それを知りたいということか?」
「そうです。あの杖は、はるか昔に吉備津彦命っていう神様の持っていたものだって聞いてます」
「それでは、あの杖の正体を探っていくことが、お前の正体を探っていくということになる。あの杖は今どこにある?」
「警部に返したっきりです」
「それならば、もう一度あの杖と再開する必要がある」
オクリは立ちあがった。
「杖の場所、分かるんですか?」
「昨日、あの馬面に聞いた」
オクリは木戸を開け、さっさと外へ出ていった。花子もあわてて立ちあがり、階段をおりて追いかける。リンゴは冷蔵庫にもどしておいた。
「馬面の上司が持ち主のところに返したらしい。今は人間界の寺にあるそうだ」
アパートの下で待っていたオクリはそういうと、みるみるうちに白い狼の姿になった。真っ白くやわらかい毛は春の夜風にそよぎ、月光に照らされかがいている。
「乗れ」
神様じみた姿に圧倒されてかたまっていたら、オクリが屈んで姿勢を低くした。
「……そんな馬みたいなことしていいんですか?」
「お前は妖界では、むやみやたらと飛ばない方がいい」
「どうしてですか?」
「いつか説明する」
気にはなったけど、せっかく乗せてくれるというのだからお言葉に甘えることにする。
「失礼します」
花子はオクリの背にまたがった。毛皮は思った以上にふわふわで、呼吸に合わせて上下するのを感じた。オクリは何の前ぶれもなく走りだす。
「うわっ!」
背中から落ちそうになってあわててしがみつく。肩の筋肉が力強く躍動するのを感じる。花子は目をつぶり、小杉村にいった日のことを思いだした。正直なところ、突然圧倒的な力を手に入れて、何ともいえない高揚感と万能感、そしてある種の優越感を感じたのは事実だ。だけどそのあとの惨劇が、花子に芽生えたわずかな慢心をこなごなに打ちくだいた。本当に杖と再会するべきなのか、再開したらどうすればいいのか、自分でも分からなかった。
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