【第一四話】さよなら小杉村
頭の中がぐるぐる回って、寒くなり、全身から変な汗が出てきた。目頭が熱くなって、涙がぼろぼろこぼれてくる。オクリは花子の背後に倒れている禰宜の方へ歩いていった。禰宜を抱えてゆり動かす。
「おい、小娘」
オクリが急にこちらをふり向いた。花子は身がまえる。
「お前は分かっていたのか? こいつだけは、本物の人間だ」
「どういうことですか?」
その時、禰宜がかすかにうめき、目を開いた。
「……おお、オクリ様。お久しぶりでございます」
そこにいたのは、どこにでもいそうな、小柄な人間の老人だった。
「オクリ様が私を助けてくださったのですね」
「俺がお前を助けたというのは、どういうことだ」
オクリは禰宜を抱き起こす。
「お伝えしなければならないことがあります」
禰宜は自力で立ちあがったあと、辺りの光景にぎょっとして立ちすくんだ。
「経立はすべて始末なされたのですか?」
「経立とは何だ?」
「年老いた猿や鶏が妖怪に変化したものの総称です。人をさらったり殺すこともあります」
「人間のくせに、神だけでなく妖怪も信じているのか」
「私はオクリ様のような神様はもちろん、物の怪も見ることができます」
それよりも、と禰宜はいった。
「年号が平成になったころから、ここ小杉村に経立が現れました。当時はまだ、この村にも少しながら人が残っておりました。村に得体のしれない者が現れるという話を聞いた私は、村を守るために弘前市からこちらへ引っ越しました。ちょうどそのころオクリ様がお目覚めになられたのです。オクリ様は、経立からこの村をお救いになるために目覚めたのだと私は思いました」
「経立と俺は関係ない」
「存じております。オクリ様が目覚めた直後、直接同じ答えを承りました。その時私は、物の怪の正体をはかりかねておりました。そうこうしているうちに、村人がどんどん減っていきました。行方不明になる者、怪奇現象を恐れて町に逃げる者――様々でした。ですが私は小杉村とあなたの神社を守りたかった。ここで生まれ育ってきたからです。私は何度もオクリ様とお話をさせていただくことができました。この村に危機がおとずれた時も、オクリ様は救ってくださいました。少々手荒ではありましたが」
「材木屋の件か」
「さようでございます。あと、他にも五、六回ほど」
「そんなこともあったかもしれない。いちいち、覚えてなどいられないが」
オクリはどうでもよさそうにいった。
「ですがある日、私は経立に乗り移られてしまったのです」
「それは気づかなかった」
「気づいてあげようよ、乗り移られている時の禰宜さん、今と違ってばりばりの津軽弁しゃべってたよ」
スネコスリは思わず口をはさむ。
「経立は人間の社会のことをよく理解していないようでしたからね。私の頭の中を捜し回って、私が子どものころに使っていた言葉をしゃべらせたのでしょう。ともかく、乗り移られたことによって物の怪の正体が分かりました。小さいころ『いたずらすると経立にさらわれるよ』とおどされたあの経立だと。時折意識がもどることもあったのですが、体がいうことを聞かなくて、オクリ様にお伝えできなかったのです。いつしかオクリ様も経立に乗り移られてしまって、猿の姿のままの経立を人間と思いこんで話しかけたりされていましたが、私にはとめることができませんでした」
「つらかっただろうな」
オクリは禰宜の肩に手をおき、悲しそうにほほえんだ。
「俺に仕えてくれて感謝している。村を守り切れなかった上に、大変な思いをさせて本当にすまなかった。だが、もう、やめにしよう」
「やめにしよう、といいますと?」
「小杉村はこれで終わりだ。いや、俺やお前が今まで見ていたものが嘘だとすると、ずっと前から終わっていた。どうやら村人もお前が最後のようだ。これでは俺にもなすすべがない。この土地を自然にお返しするのだ。ここを手放せば、人間にたかる妖怪もいなくなる。お前は俺に仕える前、弘前市の神社にいただろう。そこへ帰るといい。その方がこの土地にとっても、お前にとってもいい」
(オクリさん、こんな優しい顔できるんだ)
花子は、彼のすんだ瞳を見ていると乱れた心がしんと静まり返っていくのを感じた。
「オクリ様はどうされるのですか?」
「俺は人間の世界の住人ではない、いるべき世界に帰るだけだ」
これは、妖界のことをいっているのだろう。
「またお会いできるでしょうか」
「もう会う必要もないだろう。俺はお前の故郷を守ることができなかった。俺など、お前が仕えるほどの価値もなければ、人間に祀られる価値もない。お前は弘前市にもどって、かつて仕えていた神に再び仕えるのだ――いや、やはり、気まぐれにお前のところをたずねることもあるかもしれない」
名残おしくなったのか、オクリは最後につけ加えた。
「そうさせていただきましょう、オクリ様がそうおっしゃるのならば」
老人は素直に頭をさげた。
「さて、小娘」
オクリがこちらへ向き直る。
「は、はい――」
「そう怖がるな、立て」
オクリが近づいてきて、腕を引っぱって立たせられた。
「お前には礼をいっておく」
それだけいうと、禰宜の肩を押して歩きだした。
「どこにいくんですか?」
「まだ経立が残っていないとも限らない。人のいるところまでこいつを送るだけだ」
「あなたも人間ではないようですね」
禰宜は、花子たちに向き直ると深々と礼をした。
「オクリ様と私を救っていただいたこと、感謝いたします」
花子は返す言葉を探したあと、無言で頭をさげた。
オクリたちと別れた花子は、トンネルの奥へと歩いていく。
「花子ちゃん、大丈夫?」
「平気……」
気づかってくれるスネコスリに、花子は力なく答えた。
「花子ちゃんは命の恩人だよ。見てよほら、ぼく全身かまれちゃった」
スネコスリはおどけた口調でいって、毛がはげた部分を指差した。花子はうなずくだけで精一杯だった。その時、背後から「待ってくれー」という声が聞こえてきた。サガリ警部だ。花子とオクリが速すぎたので、結果として彼だけがおいていかれる形になったのだろう。
「警部、オクリ君たちに会わなかった?」
「会ってちょっと話をしたよ――くる途中に見たが、ひどいありさまだったね」
警部は顔をしかめると、花子に声をかけた。
「とにかく、私は花子ちゃんをほこりに思うよ」
さすがの警部も、花子の心情をくみ取ってくれたようだ。
「君は、私の部下とオクリ君と禰宜を救った。いいことをしたんだ」
警部が、赤い血管で花子の肩をたたく。
「それに経立は、猿や野生化した鶏が妖怪と化したものだ。経立と動物の差はあいまいだし、妖界でやつらは住民登録されていない。つまり花子ちゃんは、攻撃してきた野生動物を、やむをえず、身を守るために撃退したってだけだ。つまり、山で熊に襲われた時に石を投げてやっつけたようなものだ。警察である私がそう判断するんだから間違いない」
あのサガリ警部にまで心配されるなんて、自分はひどい顔をしているに違いない。花子は何だかおかしくなってきた。
「……ありがとうございます、警部、スネコスリ」
お礼をいわれると思っていなかったのか、警部がきょとんとした。
花子たちは妖界の青森県にもどってきた。山奥とはいえ、車道の通る静かで安全な道にもどってきてほっとした。花子は、改めて自分の体を見回す。服はところどころ破け、返り血でべっとりとしめっていた。帰り際に通行人に見られる分にはいいだろう。サガリ警部は首しかなくて内臓や血管を引きずっているし、この間のテケテケなんて、下半身がない上に血まみれだった。ただ、問題は別のところにある。
「今の花子ちゃんを先生が見たら、卒倒すると思うよ」
警部の頭の上で、スネコスリはいった。
「……帰りに銭湯でもおごるよ。服も新しいのを買えば、それだけでもだいぶましになる」
警部の声はふるえていた。
「あきらめて先生に土下座した方が賢明だと思うけどなあ」
どう考えても、先生に今回のことを隠し通すのは無理な気がした。ただ、杖の力なのか、もう全身の出血はとまり、小さい傷はただのあざのようになっていた。
花子は飛行機を乗り継いで影送りの里にもどってきた。それからの展開は、おおむね花子の予想通りだった。サガリ警部は「花子ちゃんが暴漢に襲われそうになったところを偶然通りかかった自分が守った」とうそをついてスネコスリにいさめられ、「岡山県警に抗議の電話を入れた上で法的手段に出る」といった内容を二つの口でヒステリックにわめきたてるフタクチ先生の前で、頭だけの姿で土下座するはめになった。同席していた園長先生も初めは警部を怒鳴りつけていたけど、後半はフタクチ先生をなだめる側にまわっていた。見ていたわけではなかったけど、外の廊下まで響き渡るほどの大声だったので、おおむね間違いではないはずだ。警部たちがパトカーで逃げ帰ったあと、先生は髪どめをつけ直しながら、花子の前にもどってきた。
「花子ちゃんは遊びにいくといっていたわよね? どうして、警察の方と一緒だったのかしら」
「……ごめんなさい」
花子はうつむいて小さくいった。とまったはずの涙がぼろぼろあふれ出てくる。
「少し爪か何かで引っかかれたように見えるけど――けがは大丈夫?」
先生は屈んで花子の手をさする。信じられないことに、傷はほとんど治りかけていた。先生が身をかがめ、きつく抱きしめてくれる。
「もう二度と、危険なことをしないと、約束してくれる?」
一言一言区切るように、先生はいった。
「はい」
何があったのかあえて訊ねない辺りに、先生の優しさを感じた。でも、いっそのこと思いきり引っぱたいてくれた方がよほど気が楽だった。
翌日から、花子は努めて明るくふるまった。いつも通り学校で勉強し、友達と遊んだ。先生たちに心配をかけないために意識して普通にふるまってはいるものの、気持ちは晴れなかった。散々な目にあった青森遠征ではあったけど、手に入れたものが大きいのもまた事実だった。
(とにかく、杖がどんな力を持っているのかは分かった)
花子は、自分に命を奪わせた杖に怖れを抱くとともに、ある種の信頼も感じていた。
(怖くてやみくもに刀をふり回していたのに、きちんと人間は避けてくれた。少なくとも、杖は私にとって味方なんだ)
あの時花子は、禰宜が本物の人間であることに気づいていなかった。杖は、禰宜の正体を見破っていたに違いない。
(おかしな話かもしれないけど、あの杖は意思を持ってるのかもしれない)
何度か警部の電話にかけてみたけど、あの日以来一向に通じなかった。やはり先生は苦情を入れたのだろうか。
閲覧ありがとうございます!
よろしければ評価、ブックマークをお願いします。
下の☆☆☆☆☆を押すだけで評価可能です!




