【第一〇話】小杉村のオクリ様
黒媛の騒動から一週間ほど経ったある日、花子の携帯に、スネコスリから電話がかかってきた。
「何で私の電話番号知ってるの?」
同室の友人たちの興味深そうな視線から逃れるために、廊下に出て声をひそめた。今は朝の九時ちょっと前、寝る前の自由時間だ。花子はみんなと花札をしているところだった。
「警察だからね。それよりまた君に協力してほしいことがあるんだ。近いうちに一日時間をもらえるかな?」
「一日って、どこか遠くにいくの?」
「人間界の青森県だよ。妖界の青森県まで行って、そこから人間の青森県に移動するんだ。遠いけど、ちゃんと先生に怒られない時間に帰れるようにするからさ。それに、いかないと損するよ」
「どういうこと?」
「サガリ警部が、またシイ警視から『特別な生まれの妖怪』の情報を聞きだしたから会いにいくんだって。どうやらその子は花子ちゃんといろいろ似ているみたい。戸籍の情報が不自然に抜け落ちているところとか、花子ちゃんと同じく、他の妖怪と比べて強い力を持っているところとか」
「私、普通だと思うけど」
「この前、黒媛さんを改心させた時のことを忘れたのかな? 当日は杖も持っていくよ。じっくり杖について、そして自分自身について調べられるチャンスなんじゃないかな? 同じような境遇の子にも会えるしね」
「誰だか知らないけど、その子のことはそっとしておいた方がいいよ。私みたいに変に悩むことになるから」
「ぼくもそう思うよ。でも、サガリ警部はそんなこと気にする妖怪じゃないからね――あ、ごめん、サガリ警部が『無駄話してないで早く花子ちゃんを説得しろ』ってさ。じゃあ訊くよ。いく、いかない?」
「いく」
花子は即答した。
二日後の土曜日、花子はサガリ警部やスネコスリと青森をおとずれた。さすがに遠いので飛行機を使った。直行便ではなく東京で一度おりたこともあり、青森の空港まで五時間ほどかかった。
さらに空港から車(誰が移動させたのか分からないけど、この間黒媛と会った日に乗った車が空港の駐車場にとまっていた)で一時間ほど走った。
山の中を突っ切るバイパスから分岐して未舗装路を三〇分ほど走ったところに開いている、古びたトンネルの前で車をとめる。レンガ造りの古びたトンネルで、落ち葉や土が中に堆積していた。
「やっとついた、ここだ。さすがに遠かった」
サガリ警部は外に出てたばこに火をつけた。花子もドアを開けて、大きく伸びをする。
「このトンネルを今年通るのはぼくらが初めてじゃないかな」
スネコスリのいう通り、使えるのか閉鎖されているのかすら分からないトンネルだった。山彦のような番人もいない。
「そうだろうね。だが、車でここまで訪ねられる分、妖界の方がまだ栄えているよ。人間界だとここは廃村だからね」
警部はたばこをトンネルの壁に押しつけて消すと、その場に捨てて歩きだした。肩にはスネコスリが乗っている。花子は念のため、飲みかけのペットボトルの水を吸い殻にかけてからあとに続く。入るとすぐ、落ち葉とかびの臭いに包まれ、辺りは完全な暗闇になった。前が見えないだけでなくて足元が落ち葉でふわふわなこともあって、平衡感覚がおかしくなってくる。いくら妖怪とはいえ完全な闇では何も見えないし、不安な気分になってしまう。
「ここまで明かりがないと、妖界から人間界に移動しても分からないかもしれないな」
警部がぼやいた時、一同はまた別のトンネルの中にいた。さっきとは違い、トンネル内にも関わらず、くちた木製の家具が転がっている。
「いや、大丈夫だ、無事に人間界にきたようだね。ここを抜けたら森の中に出る。二〇分ほど歩けば小杉村だ」
警部は空き缶を蹴っ飛ばした。空き缶は甲高い音を響かせながら前方の闇に消えていった。
「警部、隠れておきますか?」
「そうだったね、その方がいい。こういうところに肝試しでやってくるような、命知らずな人間もいるからね」
一同は人間に見えないように姿を消した。花子の足が空のペットボトルにふれたけど、姿を消しているので何ごともなくすり抜けた。五分ほど歩くと、トンネルの出口が見えてきた。月明かりに照らされた枝木がゆれているのが見える。
「もうすぐそこだ」
サガリ警部が早足になっていく。花子もがんばってあとを追った。トンネルの外に出ると、そこは深い森の中だった。
「事前に調べた通りだ、あそこを見たまえ」
サガリ警部の指差す方には、くちて傾きかけた鳥居があった。元は赤かったのだろうけど、今は腐って茶色くなっている。その横には平たい台のような石があって、盃がおかれていた。台は御影石でできていて、グラデーションの加減で、まるで人の顔が描かれているように見える。
「これが見えればあと一息だ」
サガリ警部は鳥居をくぐっていった。
「人間界では、この村の存在は都市伝説になっている。知っているかね?」
花子は首を横にふる。
「人間界の都市伝説によると、ここは昔小杉村という場所だったそうだ。ある時村人の一人が発狂して、村の人間を皆殺しにしたことにより、廃村になったと伝わっている。もちろんそれは作り話だし、大部分の人間はそんなこと信じてはいない。この村がなくなった原因は単なる過疎だ。ただし――」
警部は花子の背後――さっき通りすぎた鳥居をふり返った。
「人間界の都市伝説によると、小杉村の入り口には鳥居と、どくろみたいに見える石があるらしい。あれがそうだろう。つまり、きも試しか面白半分か知らないが、ここにきた人間がいるってことだ」
「都市伝説の一部は事実ってことだね」
スネコスリがそういった時、木々の隙間から数件の木造の家が姿を現した。どれも外壁が緑がかっていて、斜めにひしゃげたり屋根が落ちたりしていて、倒壊しそうに見える。
「あそこに誰かいるみたいだ」
サガリ警部は手をたてがみの辺りにかざした。暗やみの中に目をこらすと、確かに民家の前に、腰の曲がった八〇代くらいの男がたたずんでいた。手におけのようなものを抱えている。明かりを持っていないけど、見えているのだろうか。老人はこちらに気づき、近づいてきた。
「な、だだば?」
とてもなまっていたけど、意味は何となく分かった。サガリ警部はにこやかに笑いかけた。
「やあどうも、私は岡山の大学で民俗学を研究している者でしてね、今は青森の村をフィールドワークしているところなのです。今回はこの村にある神社を調査しにうかがったのですが――」
「んだんずな、あっちゃ」
警部の真っ赤なうそに対して、老人は道の先にある小高いしげみを無造作に指差した。
「あっちですか、いや、すいませんね」
サガリ警部はしきりに頭をさげてお礼をいった。
「思いのほかあやしまれませんでしたね」
背後の老人が見えなくなってから、花子はいった。いつの間にか、道は軽いのぼり坂になっている。
「やっぱり、きも試しでくる人がいるから、よそ者に慣れているんですかね」
警部とスネコスリが顔を見合わせる。
「ひょっとして花子ちゃん、あれを人間だと思っているのかい?」
「え」
元々冷たい背筋がさらに冷たくなった。
「あの老人は私の顔を見てもおどろかなかっただろう? つまり、そういう顔の持ち主がいる世界の住人なんだ」
「そもそもさ、ぼくらは今人間に見つからないように姿を消している最中なんだよ、見つかるわけないじゃない」
花子はもう一度ふり返った。そこには誰もいない。つぶれた廃屋と、枯れた井戸があるだけだ。
「あれが妖怪だったとして、こんなところで何をしているんですか?」
「気にしてはいけない」
警部は肩をすくめてみせる。いわれてみれば、さっきのサガリ警部は妙に愛想がよくて、どこか逃げ腰だった。
「我々は用事を終わらせてさっさと帰るだけだ、目的地はそこに見えているから」
警部が手で示した先に、藪におおわれかけた小さな本殿があった。さっきの鳥居と同じように、赤い塗料がほとんどはがれ落ち、壁もくちかかっている。
「ごめんくださーい」
サガリ警部が外から呼びかける。やや沈黙があって、観音開きの戸が開いた。そこにいたのは、人間でいうと一〇代後半の外見の少年だった。身長は高めで、サガリ警部と同じくらいはある(警部は頭が巨大な馬なので、比べるのはおかしいかもしれない)。髪は白に近い銀髪で、見た目を気にしていないのか、絡まりながら肩の辺りまで伸びていた。目は横に細くて鋭く、虹彩が金色がかっている。着ている青紫の質素な紬と羽織は、ところどころすり切れていた。
(確かに神様みたいだ、この妖怪は)
花子は少年の出で立ちに圧倒され、同時に恐れを感じた。
「誰だ」
少年の目には少し警戒の色が浮かんでいた。
(今思えば私もあれくらい用心するべきだったかもしれない)
花子がそう思っていることも知らず、サガリ警部は少年に笑顔でにじり寄った。
「突然申しわけないね。私はサガリ、岡山県警の者だよ。もちろん、妖界のね」
サガリ警部は握手を求めたけど、少年は怪訝な顔を返しただけだった。
「もし俺が何かの事件の容疑者としてあがっているのなら、調べ直してほしい」
少年は有無をいわず扉を閉める。
「君は誤解しているみたいだ。いい話があるからちょっと中で話そう」
警部はわずかな隙間からぬるりと建物の中に入る。嫌な妖怪を簡単に閉めだせないのが、人間界に住む上で困ったところだ。花子も、少し悩んでから「失礼します」と一声かけて中に入った。中には神棚があり、犬のような顔をした小さな木像が祀られていた。辺りには酒やミカン、リンゴなどが供えられている。神棚の下には木箱があり、空の酒瓶が捨ててあった。その横には、新聞や古本が山を作っている。部屋の中央には、山盛りのわらがしかれていた。靴をぬごうか一瞬だけ迷ったけど、土足であがっても問題なさそうだ。
「ここにくるまでに老人に合わなかったか?」
少年は壁に寄りかかって腕を組んだ。あきらめて、少しだけ相手をしてくれる気になったようだ。
「あれ、人間なのかね?」
サガリ警部は壁際にあぐらをかいた。花子は立ったままだ。スネコスリも花子の肩にとまっている。
「なぜ疑う」
「あのご老人は、私たちが姿を消していたのに気づいたんだよ。人間なら見えないはずなのに」
「あいつは俺が姿を消していても見つけてくる。だが、あれは人間だ。弘前市の大きな神社で禰宜をしていた男だ。この村の生まれで、二〇年ほど前にここに帰ってきた。今はここの管理をさせている」
「ふむ……」
警部は納得がいっていないようだ。
「何をしにきた?」
少年はもっともな質問をした。
「そうそう、それだ」
警部はひざを打つと、スーツの中から手帳を出して開いた。
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