2話
朝の座学を「非常に聞き分けの良い聡明な子供」として完璧にこなしたルシアンは、自室に戻るとすぐに行動を開始した。
「ルシアン様、おやつのお部屋をご用意いたしますね」
ミーシャとセシリアが廊下へ下がったわずかな隙。ルシアンは気配を完全に遮断すると、完全記憶で脳内に描かれた城のマップを辿り、隠し通路へと滑り込んだ。
「ルシアン様ー!? どちらにおられますかー!?」
背後から響く専属護衛騎士、ギルバート(24歳)の切迫した悲鳴。
腕利き騎士の気配察知を、極限まで高めた魔力制御と小さな体躯で完全に裏をかく。24歳の優秀な青年が胃を痛めている姿には少々罪悪感が痛むものの、外の世界への探求心には抗えない。
ルシアンはすばしっこく隠し通路を抜け、市井の賑わいの中へと飛び出した。
身にまとっているのは、城の物置きで見つけた平民の子供用の麻の服。市井の活気あふれる喧騒に一歩足を踏み入れると、ルシアンの目は爛々と輝いた。
「すごい……本で読むのと、実際に目で見るのとでは大違いだ!」
前世の知識と高い思考力を持つルシアンにとって、この街は発見と好奇心の宝庫だった。
特に彼を引きつけてやまないのは、地球の科学とは異なる「魔法技術が根付いた職業」の数々だ。
まず足を止めたのは、看板に大きなフラスコが描かれた【薬師の工房】だ。
店先では老薬師が、細かな魔力を注ぎ込みながら薬草を抽出していた。
(へえ……熱で煮出すのではなく、水魔法と微細な魔力振動を使って、薬草の有効成分だけをピンポイントで水に溶かし込んでいるのか。これなら熱に弱い成分も壊さずに高濃度のポーションが作れる。魔法による精密化学抽出だな)
続いて覗き込んだのは、ハンマーの音が響き渡る【魔法付与師の作業場】。
職人が職人用の槌を振るい、剣の身にルーン文字を刻み込んでいる。
(あの金属は鉄だけじゃない。魔物を倒した時に採れる『魔導鋼』か。魔力を流すことで強度が増す性質を利用して、炎属性の魔石粉末を刀身に練り込んでいるんだ。熱伝導率と魔力伝導率の計算が未発達なこの世界で、職人の勘だけでここまで精巧な付与ができるなんて……!)
さらに歩を進めると、男たちの熱気と荒々しい歓声が渦巻く【冒険者ギルド】の大きな建物が見えてきた。
掲示板に貼り出された討伐依頼の数々、持ち込まれた魔物の解体作業、そして受付で売買される色とりどりの「魔石」。ルシアンは物陰からその光景を食い入るように見つめた。
(魔物の魔石も、種族によって魔力の波長や属性が全く違う。あの『フレイムウルフ』の魔石は、熱量変換の効率がすごく高そうだ。家庭用の調理魔導具の熱源に転用したら面白そうだな……)
市井に立ち並ぶ武器屋の店頭には、ルシアンが見たこともない未知の素材が溢れていた。
軽さと強度を両立した「飛竜の皮鎧」、魔力を通すと刃が可視光を屈折させる「銀影石の短剣」、特定のエレメントに反応する「霊木のアゾット」——どれ一つとして、見ていて飽きるものがなかった。
「この世界の技術は、数学や物理学的なアプローチは遅れているけれど、魔素の感覚的な応用においては狂おしいほどに発展している。なんて面白いんだろう!」
強くなって無双したいわけでも、英雄になりたいわけでもない。
ただ純粋に、魔法という神秘がどう人々の「生活」や「仕事」に組み込まれているのかを知るのが、楽しくて仕方がなかった。
(よし、理論は頭に入った。次は森に行って、実際にあの素材を自分で採取してみよう。薬草の精密抽出も、自分で試してみたいしね)
小さな体に底なしの魔力と膨大な知識を秘めた5歳の第三王子は、ワクワクとした笑顔を浮かべながら、今度は怪物が潜む森の入口へと足を進めるのだった。




