1話
城の東棟にあるルシアンの部屋には、朝の柔らかい光が差し込んでいた。
「ルシアン様、おはようございます。ほら、もう朝ですよ。お着替えしましょうね」
そう言ってカーテンを大きく開けたのは、専属メイドのミーシャ(16歳)だ。
王都近郊の農村出身である彼女は、明るく裏表のない性格で、5歳のルシアンを実の弟のように可愛がっている。
そのすぐ後ろでは、下級貴族出身のセシリア(15歳)が、仕立ての良い小さな服を丁寧に整えて準備していた。
「おはよう、ミーシャ、セシリア」
ルシアンはベッドの上で小さく体を伸ばした。
前世の記憶と大人の思考力を持つ身としては、年下の少女たちに服を脱がされ、体を拭かれ、着せ替え人形のように着替えさせられる時間は、最初は恥ずかしさで悶絶しそうな代物だった。
しかし、5歳になった今ではすっかり開き直っている。身を委ねてしまえば実に快適であり、されるがままに腕を通した。
「ふふ、今日のルシアン様もおとなしくてお利口さんですね。はい、靴下も履きましょうねー」
「……うん」
ミーシャの手際よいお世話を受けながら、ルシアンは頭の中で体内の状態をチェックする。
(よし、昨夜も魔力を完全に枯渇させてから眠についたおかげで、魔力脈がまたほんのわずかに太くなっているな……)
ルシアンが日常的に行っているのは、前世の知識と実地検証に基づいた「魔力タンクの拡張」だ。
魔力を極限まで使い果たして気絶するように眠ると、翌朝には魔力を貯める臓器の総量がわずかに増える。
この世界の人々は魔力酔いや疲労を嫌って限界まで使い切ることを避けるが、幼少期からのこの地道な過酷トレーニングにより、ルシアンの魔力総量はすでに常人の大人の何倍もの規模に達していた。
お世話を終えると、朝食のために王家の食堂へと向かう。
豪華な長テーブルには、父である国王アルベルト、母である第一王妃エレノア、そして二人の兄がついていた。
「おはようございます、父上、母上、兄上たち」
ルシアンが丁寧にあいさつをして席につくと、豪放磊落な父・アルベルト(42歳)が豪快に笑った。
「おお、ルシアン! 今朝も元気そうだな。お前は本当に手がかからん良い子だ。レオハルトやジュリアンが幼かった頃は、朝から城中を暴れ回っていたものだがな」
「父上、私の幼少期の恥ずかしい話を弟の前で蒸し返さないでください」
眉をひそめて苦笑いしたのは、第一王子で長男のレオハルト(18歳)だ。
剣技に秀で、次期王太子として騎士団からも一目置かれている頼れる長兄である。
「しかし父上の仰る通りです。ルシアンは昔から落ち着きすぎているくらいですよ。……時にルシアン、最近も図書室の本を読んでいるのか?」
問いかけてきたのは、第二王子で次男のジュリアン(14歳)だった。
座学や政治に長けた知性派の兄で、最近ルシアンの読書スピードと読書量にうっすらとした凄みと違和感を抱き始めている人物だ。
「うん、ジュリアン兄様。図書室の歴史と地理の本はすごく面白いよ。もっと色んなことを知りたいんだ」
ルシアンは5歳児らしい可愛らしい笑みを浮かべて答えた。
言語翻訳と完全記憶の転生特典により、ルシアンはすでに図書室の膨大な蔵書を短時間で「丸暗記」し終えている。
しかし、それをそのまま明かせば大騒ぎになるため、あくまで「本好きな聡明な子供」の範囲を装っていた。
「そうか。だが根を詰めすぎるなよ。お前はまだ5歳なのだから、外で遊ぶのも仕事のうちだ」
母のエレノア(38歳)が、慈愛に満ちた笑顔でルシアンの皿に料理を取り分けてくれる。
「はい、母上。お外のお散歩も大好きです」
ルシアンは素直に頷きながら、出された朝食に一口口をつけた。
この世界の料理は素材が良いものの、調味料や調理法のバリエーションが著しく乏しい。現代地球の豊かな食文化を知るルシアンにとっては、少し物足りないのが本音だった。
(うーん、味付けは塩とハーブが中心か……。あとで隠し部屋に行って、特典で取り寄せた醤油かポン酢をこっそり舐めよう)
転生時に神アトラクスから与えられた「地球の調味料を取り寄せられる不思議な機能」。無限収納(時間停止機能付き)の中に保存してあるそれらの調味料は、ルシアンにとって最高の密かな癒やしとなっていた。
食事が終わり、家族との和やかな歓談が一段落すると、ルシアンの脳内は素早く「本日の行動計画」へと切り替わる。
(さて、午前中は家庭教師の講義を適当に受け流して、午後は護衛を撒く時間だな)
王城での平和で恵まれた生活には感謝している。ミーシャたちのお世話も心地いい。しかし、ルシアンの知的好奇心は城の中だけには収まりきらなかった。
『この世界には、どんな魔法があって、どんな人々が暮らしているのか?』
まだ見ぬ外の世界への憧れと、自身の魔力をどこまで高められるかという実験への欲求。第三王子という、政治の中心から絶妙に離れた自由な立場をフルに活用し、ルシアンは今日もまた、専属護衛を煙に巻いて市井と森へと抜け出す算段を立てるのだった。




