第2話:目が覚めたら、氷の皇帝陛下が私の手を握って泣きそうになっていました
(……あたたかい)
ふかふかの、雲の上にいるような柔らかい感覚。
いつも私を苦しめていた体の芯の冷えや、魔力枯渇による激しい頭痛が、嘘のように消え去っている。
(夢……? いえ、天国かしら。やっぱりあのとき、死んでしまったのかもしれない……)
そう考えながら、ゆっくりと重い瞼を開ける。
だが視界に飛び込んできたのは、思いもよらない景色だった。
レースがふんだんにあしらわれた豪華な天蓋付きのベッドと、部屋のあちらこちらに飾られた一級品の調度品たち。ウォーカー公爵家で私に与えられていた、物置同然の狭い部屋とは比べものにならない。
わずかに首を動かすと、声がした。
「──気がついたか」
誘われるようにしてその方向に顔を向けると、ベッドの脇に置かれた椅子に、一人の男性が足を組んで座っている。
夜の闇を溶かしたような美しい黒髪に、燃えるような緋色の瞳。
雨の森で私を抱き上げてくれた、あの人だった。
彫刻のように整った美貌だが、その圧倒的な覇気と威圧感に、私は思わず身をすくめる。
(この人……もしかして、隣国のガルディニア帝国の……)
「冷徹皇帝」と名高いガイウス・フォン・ガルディニア。
戦場では容赦なく敵を蹂躙し、女性を寄せ付けない氷の如き皇帝として、我が国でも恐れられていた存在だ。
(でもどうして私がここに……? まさか処刑される……!?)
頭がハッキリしてくるのと同時に思わず身構えてしまう。そんな私を見て、ガイウス陛下はフッと表情を和らげた。いや、和らげたというより、今にも泣き出しそうな、ひどく痛々しい顔をしたのだ。
「怖い思いをさせてすまない。……いや、まずは名乗るべきだな。私はガルディニア帝国を治めるガイウスだ。君を害するつもりは欠片もない。だから──そんなに怯えないでくれ」
皇帝陛下はそう言うと、私の泥だらけだったはずの手を、壊れ物を扱うようにそっと両手で包み込んだ。
大きくて、とても温かい手。
「君が……エレイン・ウォーカー嬢で間違いないか?」
「は、はい……。どうして、私の名前を……?」
「私の部下が、聖女について調べていてね。君の国の動向は逐一報告が入っていたんだ。だが君が国を追放されるとは思いもしなかった。一報を聞いて、急いで国境へ向かったのだが……間に合って本当に良かった」
ガイウス陛下は、心底ほっとしたように深く息を吐いた。
冷徹皇帝と呼ばれているわりには、なんだかひどく必死に見える。
「あの、陛下。私は国を追放された『偽聖女』です。ウォーカー公爵家からも勘当されました。私をここに置いても、何の利益もありませんが……」
相手の意図が見えない以上、自分が本物だとは言わない方がいい。動向を調べているとしても表面的なことだけだろう。そう判断した結果だったが、私の言葉に、ガイウス陛下の緋色の瞳が一瞬だけ鋭く燃え上がった。
それは私への怒りではなく、私を傷つけた者たちへの、凄まじい怒気のようだった。
「──偽聖女だと? 誰がそんな戯言を」
低く冷えた声。これこそが冷徹皇帝とされる「氷の死神」の本領だろう。けれど、彼はすぐに私を見て、優しく微笑んだ。
「エレイン。我が国は、君がこれまでどれほどの魔力を使い、あの国を呪いから守ってきたかをすべて把握している。君こそが本物の聖女であり、あの国は稀代の至宝を自らドブに捨てたのだ」
「え……」
「君を虐げ、その功績を横取りした妹も、それを見抜けなかった愚かな王太子も、すべて私の調べがついている。……今まで、本当によく頑張ったな」
(……あ)
優しく頭に置かれた手。
まるで子どものように扱われているのに、返事ができない。
それどころか喉が詰まって、鼻の奥がツンとした。
今まで、誰も見てくれなかった。誰も認めてくれなかった。
ボロボロになりながらも、それが義務だからと自分に言い聞かせて耐えてきた日々。
でもその裏では、昔のように父に愛されたくて、新しい母に受け入れて欲しくて、妹の代わりになればきっとと期待していた。
それら全て無駄だと知って諦めようとしていたのに、まさか出会ったばかりの、隣国の皇帝陛下がすべて肯定してくれるなんて。
じわりと滲む視界。
私の頬には、いつしか雫が伝っていた。
そして一つ溢れると、止められなくなってしまう。
堰をきったように涙が溢れた。
「う、ぅ……っ」
「泣かないでくれ、エレイン。これからは、君が涙を流す必要は一切ない。君を傷つけるものは、この私が、国ごとすべて叩き潰してやるから」
サラリと物騒なことを言いながら、ガイウス陛下は艶やかなシルクのハンカチで、私の目元を優しく拭ってくれる。
「まずは、その痩せ細った体を健康に戻すのが先決だ。この城でも最高の料理人に、君のための特製メニューを作らせてある。服も、君に似合う最高のドレスを仕立てさせよう。……ここでは、誰も君を縛らない。好きなだけ眠り、好きなだけ笑って過ごしてくれ」
「そんな、私には勿体ないです……」
「勿体なくない。むしろ、これでも足りないくらいだ。……エレイン、私は君を、世界一幸せにすると決めているんだ」
直球すぎる熱い眼差しに、私の頬も熱を帯びる。
冷徹皇帝だなんて、一体誰が言ったのかしら。私の目の前にいるのは、ただただ親切で暖かい方なのに。
優しくされるのは慣れていなくて、視線を泳がせてしまう。ガイウス陛下はそれすら包み込むように、私の髪へ触れた。
──一方、その頃。
「おい! いったいどうなってる!?」
「わ、わかりません! なぜこんな……うわぁっ!!」
エレインが引き剥がしていった「結界」が完全に消滅した旧祖国では、地獄の蓋が開いたような大パニックが始まろうとしていたが、ベッドの上のエレインがそれを知る由もなかった。




