56 修一、帰る
言いたくないなら無理に問い詰めるつもりはなかった。ただの興味本位、それが質問の全てである。
それでも約二年、傍から見れば何ら進展がない様子。沙耶ほど強く言う気はないにしても、乗りかかった船の行く先くらいは気になっていた。
「……よくわからないんだ」
「何が?」
「志乃ちゃんを受け入れて、どうなるのか。自分が何をしなくちゃいけないか。そもそも婚約とはなんなのか。まだ自分の中で答えが出せないままで、なんとも情けない話なんだけど」
「……」
弱音を吐くくらいには信頼されているらしく、修一はそれを揶揄しない。ただ大きく息を吐いて、
「いや、そんなもんだろ」
「そう?」
「お前いくつだよ」
わかりきった質問に、誠は「……戸籍上は十二」と答える。
相変わらず面白くない答えしかできない知人に、うんうんと頷いて、
「わかんなくて当然じゃん。自分の親見て見ろよ、ちゃんと考えて結婚したように見えるか?」
「……いや、まぁ、はい」
「だろ? 人生どうにもならねぇ時もあれば案外うまくいくこともある。取り返しがつかないことじゃないからその時の気分で決める。大人だってそんなもんなのに子どもが答えを出せるわけないじゃん」
まるで見てきたかのように言う。当然すべての人に当てはまるとは思っていないが、誠も身に覚えがあるというふうに首を縦に振る。
「駄目ならすまん、でいいんだよ。それ以上言ってくるなら話し合って別れるしかないんじゃねえの?」
「それは真摯とは言えないよ?」
「それでも一生我慢するよりましだろ」
それは他者を省みない子供の理論だった。
利己的で傲慢な考えである、嫌われても仕方がない暴言に、誠は目を開いて数秒、突然堰を切ったように吹き出していた。
馬鹿にするような、嫌な笑い方ではなかった。それでもイラッとしたので修一は目を細めながら軽く小突く。
「ふふ、ごめんて」
「なんだよ気持ちわりぃ」
「そう言わないでよ。これでも長年頭を抱えていた難問が解けて肩の荷が降りたところなんだから」
その言葉通り、やけにスッキリとした表情の誠がいた。晴れ晴れと霧が晴れたような清々しさに、修一はもう一度拳をぶつける。
「いたっ、これは何に対しての暴力?」
「なんでもいいだろ、別に」
「……そういえば修一は新しい恋愛とか考えないの?」
その言葉を聞いて、どういう神経してんだと修一は正気を疑っていた。
「――で?」
「しつこい」
答えないでいたところ、追求の手は諦めることを知らなかったようで、修一は扇ぐように払い除ける。
……ちっ。
恋愛がもてはやされ、結婚がスタートラインな風潮であるとはいえ、四六時中そのことばかりではただの発情期。低学年で憧れた人がいなくなって以来、てんで興味が薄くなってしまった修一は、それでも後悔していなかった。そんなことを考える暇もないほど日々充実していて、そんなことを口に出してしまえばどうなるか、火を見るより明らかで、代わりに睨みを利かせていた。
「……どうでもいい。どうしようもなくなったら偽装結婚でもすればいいだけだし」
振り切るように投げやりな答えとは裏腹に、耳が少し熱を帯びている。
偽装結婚、仰々しい物言いであるが、その実昔からある抜け道だった。要は結婚さえしていれば社会的に問題なく見られるのだ、どこかの家庭に籍だけ置いて、あとは同棲すらしない。そんな人が少なからず存在していた。
当然バレたら印象は悪くなる。それでもバレなければいいと、実態を伴わない婚約を結ぶ人の数は年々増えているのも事実だった。
それを制度の限界と見るか時代の移り変わりと見るか。修一には関係のないことであり、
「もったいない」
「何が?」
「修一はいい大黒柱になれるよ」
それは一般的には褒め言葉だった。そして、本人に響かなければなんの意味もない言葉でもあった。
「やだよ、めんどくさい。あぁいうのはお前みたいなお人よしがやるもんだろ」
「お人よしなのはどっちだか。それに偽装結婚したいと思っていても無理だと思うよ」
「なんで?」
「沙耶ちゃんが止めるから」
誠の発言に「まさか」と鼻で笑う。どうしてそこで沙耶が出てくるのだ、他人の結婚にまで口を出せるはずがない。
その時、話題に出したせいか一瞬視線を感じて修一は目を周囲に向ける……いや、気のせいだ。皆交流会に集中していてよそを気に掛ける時間などないのだから。
戯言で盛り上がっていると、離席した女生徒が戻ってくる。幾分か和らいだ雰囲気に「仲いいんだね」と言われ、修一は返事もろくにせずまたそっぽを向くのだった。
帰るまでが修学旅行、そんなことを言い出したのは誰だろうか。
どちらにせよ京都を出発した新幹線の中は、行きとうってかわって静寂、アドレナリンで沸騰していた頭は冷水を浴びせられたように凍え、普段と違う環境で知らずのうちに蓄積された疲労が身に染み入る。緊張の糸が切れたものから泥のように眠っていた。
修一も、特にやることがなく寝てしまおうと考えていた。隣にいたはずの誠は今はなく、無闇に話しかけられることもない。落ち着いて、ゆったりと過ごす時間は何物にも代えがたく、少しだけ肌寒い。
寝て起きれば東京駅に到着していることだろう、通り過ぎる景色を消すようにブラインドを落とした時、隣の空席の埋まる音がした。
「なんだ……って、沙耶か」
何しに消えたかわからない悪友が戻ってきたかと思えば、これから家に帰るまで、いや家に帰ってからも見ることとなる顔があった。
なぜか、若干不満そう。
……。
面倒事の臭いをかぎ取った修一は背中を向けて目を瞑る。それが最善手であることを、長年の付き合いから理解していた。
そして、その程度の抵抗では効果的とは言えないことも。
「修君」
「……」
「偽装結婚考えてるって本当?」
「……可能性のひとつって話だ。聞き耳立ててるんじゃねぇ」
他校交流会の件と、すぐに見当がつく。が、だからなんだ。間違ったことを言っていないのだから弱気になる必要がなかった。
「駄目だよ」
それを一刀両断される。がっくりと肩を落とした修一は気だるげに首だけ沙耶に向け、小さな子どもへ諭すように言う。
「駄目とかじゃない。そういう未来もあるってだけだ」
「じゃあ私が修君と結婚する」
「……」
めんどくせぇ、そんな言葉が修一の顔に張り付いていた。
法的に無理じゃない。そういう人もいる。しかし想定をしていなかった。
「あのなぁ……」
否定の言葉が浮かぶ、しかし口に出ることはない。
適当な言葉で意見を変えるほど、沙耶は馬鹿じゃない。理路整然と、一手一手詰めるように話さなければ逆に押し切られる。だから修一は実際に結婚した時のことを考え、シミュレーションし、
「……あー、なんだ。あんまり騒がしいのは嫌いだからな、そこらへんしっかりしろよ」
それは許諾の言葉だった。




