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45 誠と後悔

「誠、響歌ちゃんがどこ行くとか言っていなかった?」

 悠斗が語りかけてくる。場所はリビング、夕食後の歓談の時間に突然のことだった。

 お見合いからすでに十日と過ぎて、後味の悪い思い出となっていたところを呼び起こされ、誠は目を細めながら手に持っていた文庫本を置く。

「いえ、言ってなかったと思いますけど。何かありました?」

 誠は包み隠さず、あの日なにがあったかを悠斗に伝えていた。先方に今回のお見合いがうまく行かなかったことを伝える必要があるからだ。だからと言って取引がなくなるわけではない、だから気にするなと悠斗は言っていたので、それ以上のことがあるとは考えていなかった。

「家出したんだと」

「……誰が?」

 信じられず首を傾げながら誠が聞き返す。話の流れから誰がなんてわかりきっているが、あの主体性のない性格で家出とは、どうしても結びつかなかった。

「響歌ちゃん。昨日から帰ってきてないらしくてこっちにも連絡来たんだよ」

「え、大丈夫なんですか?」

「いや、知らん」

 それは冷たい一言だった。少なくとも細い縁でつながった人である、そんな言い方はないだろうと、誠は立ち上がりかけて、

 ……いや、違うか。

 ゆっくりと座り直す。

 響歌が家出した、そのことと佐藤家、そして誠にはなにも関係性はない。むしろ関係性を断ったのは誠だった。ここで立ち上がって何ができるというのだ、資格も権利もない人間が口を挟むことではなかった。

 悠斗の対応は常識的で大人である。義理で誠に確認をとった、そこで関係ないことがわかれば後は響歌の家の問題である。必要以上に騒ぎ立てることは品がなく、誰も望んでいない。

 だから悠斗はそれっきり話題に出すことすらなく、自室に戻っていた。無力さに歯をかみしめる子どもを置いて。



「うじうじしてどうしたのー?」

 その日の深夜、風呂上りの美咲が缶ビールを片手に自室へ戻ると、ベッドの上に体育座りをしている誠の姿があった。

 しばらくは触れず、三十分ほどが経過して問う。

「……」

 こんなところまできて、誠は黙ったままだった。うつろな目は生気をなくし、どこを見ているかもわからない。

 空になった缶を置いて、美咲は誠の隣に座る。そして肩に手を回すと、ゆっくりとベッドに引き倒していた。

「考えてどーにもならないならー、それはどーにもならないことだよー」

「……」

「無視するなー」

 あれだけ嫌がっていた頬つつきにも反応を見せず、まるで人形のよう。重症だ、今なら何をしても気付かれることはないだろう。

 だから美咲は目の前にあるもちもちすべすべのほっぺに噛みついていた。容赦なくしっかり歯形を残すように。

「――いったぁ!?」

「あ、生きてた」

「生きてます!」

 ようやく反応を示した誠は飛びあがってベッドから離れていた。じくじくと痛む頬をさすり、何度も血が出ていないことを確認する。幸いなことに外傷はなかったが、くっきりと綺麗な半円の痕だけが痛々しく刻まれていた。

 その下手人である美咲は、ほくほくとした笑みを浮かべ、

「無視するからだよー」

「……無視していたわけじゃないです」

 それは誰が聞いても苦し紛れの言い訳で、美咲はその白い歯を見せつけるように口を開いていた。

「わかりましたよ……考えてたんです。僕がもっと上手くできたんじゃないかって」

 観念して語り始める。それは意味の無いことだった。どの時点で動いていれば最良だったか、いつ話していれば回避できたのか、人それを後悔と呼ぶ。

 そんなこと誠自身も理解していた。しかし考えずにはいられない。ただ考えれば考えるほどいかに自分が浅はかで軽薄だったかを再認識するばかりで何ひとつ進展してはいなかった。

「結局、卑怯なんです。受け入れることもできずに、相手には幸せになって欲しい、苦労しないで欲しいと勝手に願う。そんな人間なんです」

 独白は続く。痛々しいほどに自分を刺す誠へ美咲は手招きをしていた。

 近づく彼の肩を持ち、半回転。そのまま膝の上に座らせると、

「悩め悩めー」

「悩んでいいんですか?」

「だってー悩んでも解決しないけどー、悩まなくても解決しないでしょー。ならー、悩みたいだけ悩んでーいいんじゃない?」

 子どもを相手するように頭を撫でられ、こそばゆさに顔をしかめる。

「……悠斗さんに聞いていたら答えて貰えたんでしょうか?」

「なにがー?」

「今回のお見合い相手のことです」

「うーん……言わなかったんじゃないかなー」

 喉の震えが後頭部から伝わる。

「聞いた話だけどー、お見合い相手、傷持ちだったらしいよー」

「傷持ち?」

「うん、小さい頃ー火傷でー二の腕あたりの皮膚が爛れてるってー。昔の考えだけどー、子どもにも感染るーって理由で今も結婚断られることあるらしーよー」

 科学的根拠が何ひとつない、暴言だった。遺伝を少しでも理解している人間ならば、外傷が子どもに影響を与えることなどないと、鼻で笑うだろう。

 しかし染み付いた価値観とはどうにも拭い難い。親が一夫一妻だからというだけでなく、自身の身体的特徴で結婚できないとわかった時の、響歌の気持ちは筆舌に尽くし難い。

 それを知らずにいた誠は――。

「ね、そうなるでしょー」

 抱きかかえる腕に力が入り、苦しい程に誠は締め付けられていた。

「そーゆー同情で結婚とか決めて欲しくないからー、わざと言わなかったんじゃないかなー」

「どうして……」

「親だからー」

 たった一言、これ以上わかりやすい回答はなかった。

「よーやくねー、私も親心っていうのがわかってきた気がするよー。だからー誠が悩んでるなら悩めばいいと思うしー、全部投げ出してもいいと思うよー。その上でー、今私が言うことがあるならー、今回のお見合いは誰も損してないなーってことかなー」

「いや、響歌さんは悲しんでるんじゃ……」

「どーだろー、人間案外図太いからねー。家出したって死んだ訳じゃないんだしー、新しいかんきょーで心機一転よろしくやってるかもねー」

「そうですかね……」

 楽観的すぎる考えだが、誠は意外にすんなり飲み込むことができた。もとより何もできないことは変わらないのだ、憂うより願う、それが誠にできる最善だった。

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