44 誠と観覧車
「あの……どこに向かわれているのですか?」
お見合いの会場である旅館から出て、数分。夕暮れ近くの街中を誠は歩いていた。
「いや特に決めてないんです。どこか行きたいところはありますか?」
「いえ……」
三歩後ろを歩く響歌は風に消え入りそうな声で答えていた。煮え切らない、それは性格なのか教育なのか、佐藤家では埋もれてしまう気弱さも、誠は嫌な感情を抱いていなかった。むしろ普段がうるさすぎるのだ。
「では、すこし行きたいところがあるのです。付き合っていただけますか?」
「はい……」
仕立てのいい和装の裾をつかみながら、内心を見せずに頷く。小さな足を懸命に動かして歩く誠の後ろに足並みをそろえてゆっくりと歩きだしていた。
「観覧車、乗りませんか?」
近くのとある商業施設まできて、誠は尋ねていた。
一度目含めて人生でまだ体験したことがなかった。金がなかったのは言わずもがな、今世でもそれほど人気のあるアトラクションではないらしい。
むしろどう乗るのだろうか。やはり定番のペアか、しかし家族は何人もいる、組み分けを考えるだけでだいぶ労力をつかいそうだった。そういうところからも積極的に乗るという選択肢が生まれないのかもしれない。
選択権を与えられた響歌は、これからを想像するように大きな円を見上げて、ゆっくり首を縦に振る。
本心はわからないまでも、了承したのは確かであり、二人はそれぞれの歩幅で乗り場に近づく。
「ふたり、お願いします」
「はい、兄弟かな?」
「いえ、今日お見合いがありまして。一応婚約を見定められているところですかね」
小学生が何を言っているんだと怒られるどころか、受付の女性は「頑張って」の一言で済ませていた。そういう世界なのだと慣れてしまえばむしろ堂々としていられた。
待ち時間はなく、促されるままかごに乗る。やや不安定な乗り心地も座ってしまえば気にならなくなり、どんどんと上昇していく視界に、一種の感動すら感じていた。
「乗ったことありますか?」
「えっ?」
「観覧車。僕、初めてなんですよね」
外に目を向けたまま誠が聞けば、向かいにしおらしく座る響歌が小さく「はい」と答えていた。
「あー……もしかして高所恐怖症とかですか?」
「いえ……違うと思います」
「ならよかった」
せっかくの娯楽をつまらないで終わってはただの損である。時間的にも金銭的にも、無駄を誠は許容したくない。
ただだんだんと頂点に近づいて、景色が変わらないことに気付く。遠くに何があるのか、あれはなんだと探る楽しみ方を知らない誠にとって、高いところから見る景色はただの風景画に過ぎず、「この程度か」と座り直す。
向かいの女性は外も見ず、俯いたままである。
「響歌さん」
「は、はい」
「僕、まだ結婚しません」
断言していた。色々考えてわかることもあるのだが、今までの人生、巧遅は拙速に如かずという言葉があるとおり、とにかくやったもん勝ちになることが多かった。なんにせよ、行動に移してこそ成果は花開く、誠はゆっくりと言葉を選びながら話し続けた。
「そもそも結婚ってなんなんですかね? もっと小さい頃は大学卒業して社会に出て、仕事に慣れた頃好きな人を見つけて結婚するのかなって思ってました。三十過ぎて子どもが出来て、定年する頃に孫がいて、ひ孫の顔は見られないかもしれない。そんな人生、おかしいですか?」
「……遅いんじゃないですか?」
「僕からすれば生き急ぎ過ぎているように見えますけどね。二十で子どもがいて、四十からセカンドライフ。それからどれだけ生きるかわかりませんけど、自分ファーストに考えすぎなんですよ」
理解されないとわかっていながら誠は語る。異端なのはどちらかなんて明白で、しかし言わねばどこにも吐き出すところがなくて息が詰まりそう。それにここまで言えばこのお見合いが失敗だったと響歌が諦めるだろうという打算もあった。
「響歌さんはどうですか? 僕と結婚したいですか?」
「それは――」
「本心でお願いします。家のこととか、親のこととか、将来のこととかを全部無視して本音で語りましょうよ」
遮るように言って、誠は沙汰を待った。勝算はあった、そもそも高校生が小学生と結婚を進められている時点で心情はマイナスからスタートしているはず。そのくせ現体制に反抗的でわかったように物を話す。好かれる理由がなかった。
誠ですら、相手が自分みたいな人間だと若干忌避感が勝る。初対面の人ならなおさらだ。
「……私は、結婚してみたいです」
「そうですよね、ありが――はい? 今なんて言いました?」
悠斗には悪いが勝利のガッツポーズ――とはいかなかった。信じられないものを見る目で響歌を見る。
「冷静になってください。結婚ですよ? これと、本当に結婚したいんですか?」
なぜか自分を指さし、卑下し断らせようとする。今日何しにここへ来たのか疑いたくなるものである。
化け物でも目の前に出たかのように驚く誠へ、響歌は反応に眉を曲げながら、
「……はい」
「あの、理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「楽しそうだな、と」
えー……。それだけはないでしょ。
世の中独特な感性の人はいる。その類であるならば仕方ないが、きっと結婚しても価値観は合わないことが証明された。
そして一転、誠は窮地に立たされていた。まさかの事態にサブプランを考えていなかったため、完全に頭の中は真っ白である。
真面目であるが故、応用が利かない。誠とはそういう人間だった。
絶望感に打ちひしがれるように黙る誠へ、響歌は慌てるように顔を上げ、
「あ、あの……でも、結婚したくないなら私、諦めます……」
語尾は小さく、肩をすぼめ、明らかに意気消沈といった様子。必要ないのに思わず罪悪感を覚えてしまうのが、誠の悪いところだった。
地獄のような雰囲気だが、まだまだ観覧車は折り返し地点、誠がもう二度と乗ってやるかと八つ当たりしていると、
「いいんです、本当に。気にしないでください」
「でも……」
それ以上誠は言葉を繋げることはできなかった。そもそも結婚の意思がない人間の言葉など何を言っても慰めになどなりはしないのだから。
こうなることはわかっていたはずなのに、お見合いする前から強く否定しない誠が悪い。全面的に、完膚なきまでに。自己嫌悪が暗い夜闇のように背中から掴みかかってくる。
「今日はありがとうございました」
「えっ?」
「私も初めて観覧車に乗ったんです、それも男の人と。とてもいい思い出になりました」
初めて響歌の笑顔を見た。泣いているような笑みに誠は力なく頷いて、それっきり会話することはなかった。
観覧車は回る。もうしばらく、時間がかかりそうだった。
それが、小学生の誠が彼女との最後の会話だった。




