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38 誠、進展する

 翌日は透き通る青が眩しい晴天だった。

 誠はジョーンと手を繋ぎながら公園を歩く。目的の時間よりも随分早く到着したのは、単にやることがなかったからだけではなかった。

 あてもなく一周、二周。歩くごとに会話は減り、足取りも遅くなる。これが彩花なら「いい加減にしろよ」と言った誠だったが、すっかり絆された彼は踏ん切りがつくまで待つつもりだった。

 ジョーンの気持ちとは裏腹に、時間は確実に進んでいく。定められた時刻へ着実に近づいていた。

 ……。

 あと五分、一分。公園の中で指定されたベンチに座っている人の姿はない。

 時間になる。しかしまだ現れない。

 徐々に落胆がジョーンの手に滲んでくるが、予定もあるのだろうと言い訳してさらに五分、やはり現れない。連絡もなく表情に陰りを見せるジョーンに対して、誠はというと、冷ややかな目を彼に向けていた。

 呆れていたのだ、色々と。その理由を口にする。

「ジョーンさん」

『ごめん、帰ろうか』

「いや、そうじゃなくて。あっち、見えますか?」

 誠が指差した先にはひとりの男性がいた。仕立てのいいスーツに身を包み、随分と色の落ちた髪が陽の光に輝く。彼は誠たちからベンチを挟んだ向こう側でひとりうなだれていた。

 二十分ほど前から付かず離れず、お互いずっと円を描いていたのだ。あれが目的に近しい人物だと誠が気づいたのはもう十分も前のことだった。

 遠く離れていても親子なのだと思うと、誠の脳裏には彩花の顔が浮かぶ。あれと同じ扱いだけはされたくないなと考えていると、

『あれは……何をしているんだろう』

 ぽつりとジョーンが呟いていた。

 もはや笑うことすら出来ず、誠は今聞いたことを無かったことにした。

「……行きましょう」

『そ、そうだね』

 訝しげに立ち尽くすジョーンの手を引き、誠は前進する。ともかく今必要なのは劇薬とわかってでも前を向くことだった。


 さすがに自分に向かってくる人の姿はよく見えるようで、還暦あたりに見える男性はジョーンの顔を認めると、一瞬顔色を変えていた。

 喜か悲か。外国人の表情は分かりにくいなと考える誠にも視線が注がれる。

 さもありなん、彼からすれば誰なんだという話である。その点については誠も弁解のしようがない。しかし今そのことについて考えるべきではないのだ。立派な大人である彼は、それでもチラチラと気にしながらジョーンを舐めまわすように見つめ、

『……大きくなったな』

『テレビ見てないの?』

『あぁ、それより今の姿の方がずっと立派だ』

 親子の邂逅はぎこちなく、しかし双方ともに空白を埋めるように会話が生まれる。

 だがそこでお互い言葉を失っていた。近況を語るには時間が足りず、思いの丈をぶつけるには性急過ぎる。限られた時間を最大限利用するために、言葉を選んでいるようだった。

『……元気でやってる?』

『そっちこそニュースを見てないのか?』

『活動拠点がアメリカなんだ、なかなか情報が入ってこないんだよ』

『そうか。まぁそれなりだな』

 あぁ、もどかしい。とても親子とは思えない会話だが、それでも一歩ずつ歩み寄る姿に誠は満足そうに頷いていた。

 思っていたよりずっと状況はいい。誠はそう感じていた。虐待していたのは母親なれど、父親にも咎はある。むしろわかっていて虐待を放置していた分、より罪深いとも言える。

 同じ家にいて知らなかったで済む話ではない。過度な期待からくる過剰な教育と苛烈な罰則、人の心を壊すには十分なのだから。

 それを世界で唯一非難できるジョーンは、報復とばかりに一発くらい殴る権利を有してなお、久しぶりに会えたことを心の底から喜んでいるように見えた。

『ところで――』

 ジョーンの父親は、話題を探すように視線を巡らせたあと、恐らくいちばん気になっていただろうことに踏み込んだ。そう、誠の存在である。

『この子は……お前の子か?』

『違うよ。まだ結婚もしていないし』

『じゃあどこの子なんだ?』

『ビジネスパートナーの子だよ。無理言って着いてきてもらったんだ』

 ジョーンの言葉に嘘偽りはない。全て正しいのだが、非常に言葉足らずだ。その証拠に、話を聞いた方は疑いの目をジョーンに向けていた。

 このままでは長くなることが確定していた。なので誠が一歩前に出る。

「すみません。僕が色々余分なことを言ったので、ジョーンさんが決心したというか決心させたというか……」

『それにしても親元から離して連れてくるのは違うだろう』

 それはそう、誠も否定できない。

 未だに必要だったのか甚だ怪しいのである。いや、不幸なすれ違いで今日こうして話すら出来なかった可能性もあるが、一時的に視野狭窄に陥っていただけだと思いたい。

『この子はね、見た目で侮ってはいけないよ。芯のある受け答えをするし、下手したら僕より物事をよく知っているから』

「そんなことないです」

『なるほど、お前がそういうくらいならそうなんだろう』

 理論の跳躍である。論理的な根拠は何ひとつないというのにジョーンの父はふむふむと頷いていた。

 褒め殺され、しかし誠は満更でもない顔をしていた。思えばちゃんと褒められる機会はなかなかないのだ。家族は変人を見るような目しか向けることはなく、師である美咲も叩いて伸ばすタイプだった。

『君、名前は?』

「誠です。誠 佐藤。日本人です」

『日本人……グループマリッジの国か』

「そうですね。僕の家もグループマリッジです」

 彼がわざわざ言ったのは、オーストラリアでは重婚を認めていないからである。

 そういう国は多い。元々なかった考え方なので、むしろ多夫多妻の方が新興なのだけれど、今では半数以上の国で認められていた。

 この国の政治家からすれば、自分の存在は異文化を持ち込む存在だろうか、と誠は不安視する。しかし彼は困り顔をするものの、それ以上踏み込んでこようとはしなかった。

 何故か、誠の方が気になってしまう。

「どうかしましたか?」

『いや……仕事の話でな。我が国でもグループマリッジの認可を求める声が大きく、日本ほど特権を与えないまでも制度作りを検討しなければならないのだよ』

「特権?」

『ああ。住宅控除に若年給付、その代わり相続権の放棄があるけれどね』

「……え?」

 翻訳機から聞こえてくる言葉に誠は耳を疑っていた。

 相続権の放棄とは。単純に考えれば、相続というものがないのだ。

 普通なら考えられないことだった。相続とは土地に始まり社会的地位を受け継ぐ歴史がある。それを放棄するとは祖先を蔑ろにし、自身のルーツを不明確にする行為だった。

 が、しかし。同時に今の家族観でどうやって相続するのかという話である。戸籍は蜘蛛の巣、引き継ぐにしても父親すらはっきりしていない。まさか複数の親の遺産をひとりで受け持つには荷が重すぎるし、引き継げない子ども同士で兄弟喧嘩が起こることだろう。

 現実的にみて相続は放棄せねばならず、しかしそれでは民族性が保てない。誠は理解不能に苦しむよりも、それほどまでに社会性を重視している今の日本人に間違った関心を持っていた。

『――と、君には興味ないことだったかな?』

「いえ、興味深いお話を聞けて勉強になりました。あー、でも今は僕のことよりおふたりのことを優先してください」

『そうだったね、すまない。しかし本当に子どもとは思えないな』

『父さん、言ったでしょ。この子は他の子とは違うんだって』

 素直に褒められれば恥ずかしく、誠はそれ以降しゅんと小さくなることしか出来ずにいた。

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