35 誠、ポーカーをする
ジョーンは手札を伏せたままだ。誰にも見えないようカードの端をめくって確認しただけで、今は綺麗に並んでいる。なるほど、そうするのがかっこいいのか、と誠は感心していた。
大勝負だというのに余裕を見せていたのは、その実、たいして心配をしていないからだ。周りの目がある会場では暴力沙汰などご法度であるが、ふたりきりの密室でなすがままでいられるほど彩花はお行儀よくない。本当に拒否したいならここで意固地にならず、ジョーンの部屋に行ってから断ればよかっただけなのだ。
実際、それは有効な判断である。公の場では引くに引けないジョーンも、誰の目もない自室なら強く出ることはなかっただろう。そんな事情を誠は露ほども知らないために、彩花なら引っぱたいてでも逃げ出してくるだろうなと勝手な予想をしていた。
誤算があるとするならば、誠には彩花の真意がわからないところにあった。じっと見つめている彩花の存在に気づかず、ゲームは進んでいく。
四枚目のカードが並べられた。クローバーのJ、まだ誠に役はない。
テーブルの上の黒一色のカードを見つめながら、誠は目線を上げる。役としてはフラッシュまであと一枚だが、手札を一枚も使わない役では意味がない。勝敗に関してはもう諦めていて、
『みすたーじょーん、少し聞いてもいいですか?』
『勝負中だろう』
『そうですけれど、それだけだと"モッタイナイ"じゃないですか』
豪胆にも誠は言ってのける。
時間稼ぎの意味はなかった。ただの興味である。
世界的に有名ということは、その経歴も世間に晒されていることでもある。誠も興味本位で調べたのだが、この御仁、なかなかに波乱万丈な人生を歩んでいた。
『えっと……』
『どうかしたかな?』
『すみません、まだ英語が上手くなくて。言葉が思い浮かばないんです』
所詮は受験英語の弊害か、ネイティブと話すには経験が大いに不足していた。
申し訳なさそうに頭を下げる誠に、ジョーンは一言『通訳』とだけ言う。この場には彩花を含め、日本人スタッフも多くいるのだ、そのための人員もそろっていた。
「えっと。ジューンさん、最近母親には逢いましたか?」
それは何気ない質問だった。しかし、通訳の人は言葉を失っていた。
いやそれは彼だけではない。周りの日本語がわかる観客ですらざわめきを隠さない。
禁忌だった。ひどくナイーブな問題へ、誠はずかずかと踏み込んでいた。
『彼はなんと?』
『あ、いや――』
『子どもの言うことだ。君が気にすることではない』
『では――』
観念したように通訳すると、ジョーンは一瞬眉をひそめてから誠を睨んでいた。
なぜなら、ジョーンは幼いころ、家族から虐待を受けていたからだ。
質問の意図を探るような目が誠を射抜く。
『どうしてそれが聞きたいんだ?』
「僕にとって、母親は自分の命より大切な人です。わからないんです、ジョーンさんが母親を見捨てた理由が」
「誠。それ以上はいけない」
誠の暴言に、流石の彩花も待ったをかける。
見捨てた、というのは正しいかどうか。だが、ジョーンが母親の元から逃げて今の環境にいることは事実だった。
『そうか。君は幸せな家族のもとに生まれて何不自由なく生きてきたんだな』
「そうですかね。苦労のほうが多かったし後悔しない日なんて一日もなかったですよ」
誠のここで言う母親とは前世の話である。が、聞いている人からすればその所業は彩花によるものだと考えるだろう。
実際、彩花に視線が集まっていた。突然のカミングアウトに、彩花は信じられないものを見るように誠へ目を向けていた。
『嫌いかね、母親が』
「いいえ。足りないなら自分が補えばいい。裏切られたなら裏切られなくなるまで信じればいい。僕はそう考える人間です」
『僕と君では環境が違うようだ』
「でしょうね。僕は諦められなかった。だからあなたに聞きたいんです、どうして諦めたのか」
ジョーンは黙る。ぐつぐつと怒りを胸の中で滾らせている様子はなく、真剣に考えこんでいるようだった。
『僕にはなにもできなかった。まだ五歳の時のことだからね』
「僕はもうすぐ三歳ですけど、年齢とか関係ありますか? たとえ一時離れたとしても、迎えに行ける距離なのになぜ行かないんです?」
『向こうも逢いたくないだろうさ』
心無い質問にも、ジョーンは淡々と答えていた。むしろ次は何を言うのか気にしているように、テーブルに両肘をついて顎を手の上にのせていた。
ジョーンの親は一夫一妻だ。それが普通である国に生まれていた。
父親は政治家として家を空けることが多く、母親により女手ひとつで育てられていた。
かつてのインタビューでジョーンが語った母親の所業を誠は知っている。肉体的な虐待は少なく、むしろ無視や暴言といった精神的な面での攻撃が多かったそうだ。神経質で完璧主義、子育てというものが致命的に向いていなかったと、その時のジョーンは記者に告げていた。
その後、児童養護施設で育ち、十五の時にパフォーマンスの世界に飛び込んだ。すぐに頭角を現し、現在の地位を不動のものとするまで大した時間を要さなかった。それがジョーンという男の半生である。
過去の苦痛を跳ね返すように輝く天才、それがジョーンについたタグラインである。そんな風にもてはやされる彼を誠は懐疑的に見ていた。
「そうですか。なら僕が言うことはないですね」
『おや、そうなのかい?』
「はい、もともと他人に説教できるほど立派な人間ではないですし。ただ考え方が根本的に違う人なんだと教えていただけたのでそれで充分です」
『……逆に君が僕の立場ならどうしたんだい?』
「そうですね……」
誠はカードをテーブルに置いて考える。
前世の母、静江は優しい人だった。どこまでも優しく、貧乏くじを引き続けるような人である。他人はそれを見て馬鹿だ、愚かだと笑うことだろう。だからと言って誠も一緒になって嘲笑うことなどできるはずもない。
「味方でいたと思います」
『味方とは?』
「誰に何を言われても、その信念、生き方を否定することだけはしなかった。世界中でみんなが敵になっても、僕だけは母の味方になります」
誠の口から自然と言葉が紡がれる。偽りのない本心がやけにしっくり来ていた。
そして、
「ワンペア。楽しい時間、ありがとうございました」
テーブルの上、最後のカードはハートの三。ほとんど最弱の役であるが、誠はどうにか勝負の舞台に立てていた。
対するジョーンはじっと誠を見つめたまま微動だにしない。一分、それ以上の時間をほとんど瞬きもせずにいた。
『……負けたよ』
ようやく口を開いたと思えば、それだけ言って席を立つ。残されたカードをめくることすらせずに、背中を向けて彼は会場から出て行ってしまった。
誠はふぅ、と一息。勝負に勝ったはずなのに、どこからも歓声は上がらない。むしろ奇妙なものを見るような目が責め立てるようにすら感じられる。
「誠」
「彩花さん」
「お前は本当に飽きない奴だな」
少しは怒られるかと思えば、彩花は誠を抱きかかえていた。肺がつぶれるほどの力で抱きしめられて、その足は宿泊している部屋へと向かっていた。
その直後、誰かがジョーンの手札をめくっていた。カードは、クローバーのKと十。ポーカーで一番有名な役が完成していたことに、大きく歓声が上がる。その声は会場を出る誠の耳にも届いていた。
……かっこいいなぁ。
状況を理解した誠は声に出さず、ただ感心することしかできなかった。




