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34 彩花、誘われる。

 その後の公演はつつがなく進み、最終公演後のことである。

 何かをやり切ったのだから当然と言っていいのだろう、その日は関係者を集めての慰労会が行われていた。

 主賓はメインダンサーの外国人であるが、彩花も呼ばれ参加していた。しかし、ただの付き添いである誠まで呼ばれていた。本人は場違いさから不思議に思いながら、どこかで聞いた話によるとアメリカでは子どもだけでの留守番は、所によっては州法違反となっているのでそのせいかと納得していた。

 古今東西、慰労会という名のイベントはあまり変わり映えしないようで、ただそこはアメリカ、関係者が多すぎるせいで巨大な会場を貸切り、立食形式での開催となっていた。

 立ち並ぶ食事は実にアメリカン。本場のものは本場で食べるが良いと言うけれど、誠はどうしても食指が伸びずにいた。他の参加者も同様――いや、食指が伸びていないわけではなく、ここぞとばかりに顔を広げることを目的としている為、食べる暇などないように見えていた。

「誠、何か食べるか?」

 仕事モードの彩花が見下ろしながら言う。行きとは違うドレスコードの彼女もまた、酒ばかりを口にしていた。

「和食はある?」

「……寿司なら」

「いやいいや」

 即答しない理由が思いついて誠は首を横に振る。テーブルの上のものを見ることは叶わないがおそらく江戸前ではないのだろう。

 逆に興味深くもあったが、ここしばらくの食事といえば肉と脂と糖である。日本食と称して炒飯を食べる生活に飽きていた誠は久しく干物を食べていないことに気づいていた。外に出て初めてわかる故郷の味という奴である。

 仕方なくオレンジジュースで喉を潤していると、続々と彩花めがけて来客が列をなしていた。せっかくの慰労会だというのに休まる時間もなく、彩花もわかっていて順当な対応をしていた。

 その横に珍しく子どもがいるのだ、当然のことながら誠も注目を集めることとなる。

『坊や、名前は?』『歳はいくつ?』『英語が話せるんだ、賢いね』

 この数日で鍛えられた英語力のお陰で、誠は拙いながらも一応会話をできていた。

 そしてわかる、将を射んと欲すればまず馬を射よ。みな誠のことなど興味がなく、彩花の関心を引きたいだけなのだと。

 当たり前のことだから腹を立てることでもないが、彩花がそんなことで贔屓する性格をしていないところがまた悲しい。当たり障りのない会話を愛想笑いで交わし合う、誰にとっても不毛な時間に、誠は変な笑いが込み上げてくるのを必死に隠さねばならなくなっていた。

 いっそ語学留学のていで楽しもうかなどと考え始めた時だった。先ほどまで嫌になるほどうるさかった喧騒が止み、道が開く。本当に人垣が綺麗に左右へ別れ、その間をひとりの男性が歩いていた。

 彼は、主賓である。周りも配慮するのが当然だった。

 彼は一直線に彩花のもとへと向かっていた。その光景はドラマのワンシーンのようであり、姫を迎えに来たナイトといっても過言ではなかった。

 ひとつ、難点があるとするならば、彩花が子連れであるということくらいだろう。

『ミセスアヤカ。この公演が成功で終わったのは君のおかげさ』

『そんなことはない、ジョーン。あなたがいなければ始まらなかったこと』

 ジョーンと呼ばれた男性に、彩花は英語で答えていた。普段の様子からは想像がつかないが、これでも世界中を渡り歩くこともあるのだ、語学もそれなりに修めているのである。

 ジョーンは誠を一瞥すると、

『どうかな、今晩ふたりっきりで親睦を深めあうというのは』

 ド直球なお誘いは流石外国人とでも言うべきか、この世界ではオープンに不倫が可能であるため、これでも問題にはならない。

 年齢も近く、ふたりとも美男美女。周りであと一歩の勇気が出なかった男性諸君もジョーンが相手ならと諦めるしかなかった。

 ただ。

『ごめんなさい』

 一瞬の躊躇もなく、彩花は断っていた。

 彼女らしくもあり、周りは悲鳴に似た声を上げる。彩花はまだ日本での知名度しかない、枕営業というわけではないが、世界的人気のある相手と懇意になることは今後の栄光への架け橋にもつながることだった。

 しかしそれを袖にする。高飛車ともとれる態度に、状況がわかっていないのは誠だけだった。

『――君のそういうところが美しい。でもわかるだろう? 子どもじゃないんだ』

『子どもの前よ、止めて』

 ジョーンが彩花の腕を掴むと、明確に拒否して振り払う。まだ手が出ないだけ今日はずいぶん理性的だなと、誠は感心していた。

 二度も拒絶され、引き下がるかと思いきや、そうはならなかった。

『ベビーシッターはいるかな?』

 周囲に向けて言い放つ。間髪入れずにひとりの女性が前に出て、誠を抱きかかえようと手を伸ばしていた。

 それを、彩花が奪い取る。

『止めて』

『わかるだろ。ここまで言ったら僕だって引けないんだ。子どももちゃんと面倒みるから』

『そういう問題じゃない。私が嫌なの』

 議論は平行線をたどる。そんななか邪魔者扱いされている誠はまだなにひとつ理解していない、のほほんとした顔をしていた。

 わかっていることは、ジョーンが個人的な付き合いを望んでいること、そして彩花が拒否していること。誠が思う普通の感性なら、男が身を引く場面だが、この世界では男性に魅力がないと、自ら認める行為となる。簡単にわかりましたと言える立場ではないのだ。

 そして、誠はあえて止めようという気持ちは持ち合わせていなかった。周囲の反応からしておかしいのは彩花である。この世界に迎合しようと意識している誠にとって、個人の好悪と社会の通例を分けて考える程度の頭は持っていたからだ。

 それでも、親が悲しむ顔を見たくないのもまた事実である。だから、

「みすたーじょーん」

『……なんだい?』

「れっつ・ぷれい・げーむ」

 ここはラスベガス、カジノの街。欲しいものがあれば、自ら掴みにいかねばならないのだ。



 ポーカーにはテキサスホールデムというゲームがある。

 場に五枚、それと手札の二枚を組み合わせて役を作り、相手との勝敗を決めるというものだ。

 この場合、賭けるタイミングが重要となる。相手が自分より強いと判断したならば降り、また自分のほうが強いならば押す。チップがある限り駆け引きはできるため、見極めがなにより重要だ。

 しかし、誠が用意したのはそんなルールではない。ただ単純に運だけの一発勝負。降りることも釣り上げることもできない、オールインゲームだった。

「誠……」

「どうしたの?」

「勝算はあるの?」

 景品となった彩花は誠の後ろから声をかけていた。肩に置かれた手は先ほどから震えが止まらない。

 勝算とは、面白いことを聞く。そんなものがあったなら真面目にポーカーをするだろう。

 前世でも今世でも、誠にポーカーの経験は全くない。役くらいは知っているが駆け引きや用語の知識すらなかった。必然、長期戦になれば負けることが確定している。だからこそ、ただ運だけで勝負するしかなかった。

「駄目だったら、ダッシュで逃げようよ」

 実に子どもらしい提案に、すこしだけ震えが収まる。人生万事塞翁が馬、やってみれば案外どうにかなるものなのだ。

『みすたーじょーん。参加してくれてありがとう』

『どういたしまして。僕が勝ったら約束は守ってもらうよ』

 にこやかに言うが、「これは釘を刺されたかな」と、誠の内心は冷や汗である。人ひとりの人生に責任を持つこととなるのはこれが初めてではないが、たかだかトランプで決めるというのはいささか心臓に悪い。

 うまく返す言葉も見つからないまま、カードが配られる。手札に二枚、場に三枚。誠は素人らしく手の中でカードを広げ、

 ……うーん。

 言葉を失っていた。

 そこには三と十、赤と黒の二枚のカードがあった。場には七とQとA。どれも黒だが手札のマークとは一致しない。

 フラッシュ、ストレートどころかツーペアも絶望的である。もはや考える余地もなく、誠が視線を挙げると、わずかに口の端が持ち上がったジョーンの顔があった。

『どうした?』

『いえ、悪くないと思います』

 わかりやすい嘘にオーディエンスから小さな嘲笑が沸き起こる。突然始まった催しに、注目が集まるのも仕方がない。

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