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32 誠、また拉致される。

 ところ変わって、現在アメリカ。砂と石の大地は赤く、大陸ということもあってか延々と広がる砂漠が渇きを見せていた。

 その中で一際目立つ街があった。不夜城、ラスベガス。観光、宿泊、ショーにカジノ。煌びやかな世界の裏には影も濃く、怪しい光はネオンの香り。一晩に動く金は数百億にもおよび、夢を求め訪れる人の後が絶たない。

 決してお行儀のいい街ではなかった。喧騒、暴力、犯罪と、誰もが生き馬の目を抜くように生きている。弱みを見せれば噛みつかれ、骨の髄までしゃぶり尽くされる。君子危うきに近寄らず、成功者は屍の上に立つ覚悟が必要なのだ。

 そこへひとりの少年が降り立つ。歳は三歳とまだ若い、若すぎる。それも人がいいと評判の日本人、まさに格好の餌だった。

 それを本人も自覚しているのだろう、表情は死刑を待つ囚人並に暗い。怯える小鹿のように周囲へ視線を張り巡らせ、何かあったらすぐ逃げられるように心構えをしていた。

 その後ろから、足を踏みならして闊歩する女性がいた。彩花である。ハリウッド女優ばりに真っ赤なドレスを着飾り、周りの好奇な目など眼中にないと歩き続ける。

 可哀想な少年、誠がなぜアメリカにいるのかと言うと、拉致され続けているからである。崖、茨城にある海岸沿いからホテルで一週間、その後成田から飛行機を乗り継いでラスベガスへ。世界が変わっても成田空港とラスベガスは変わらず存在しているのは、やはり立地が関係しているようだ。

 その間何をしていたかといえば仕事である。当然誠ではなく彩花の仕事だ。ダンサーとして練習し、本番の地であるラスベガスに飛ぶ。誠はただその付き添いだった。

 要はいなくてもいい人である。それどころかただのお荷物。それでも一緒にいるのは「ついてこい」と彩花が言ったからに他ならない。

 なにゆえか、知らない。何をすべきか、わからない。母親の練習風景を観客席で見ること数十回、見事とは思うものの流石に飽きがきていた。

 拒絶することも出来たはず。いや実際に拒絶したのだが、驚くことに、涙目になって嫌だと駄々をこねるものだから、誠はそれ以上強く言えなかった。

 結局彩花の本心がわからないまま渡米、泣きたいのは誠のほうである。

 前世含めて人生初の海外は、無為に過ぎていく。あくまで彩花の付き添い、見た目どおりの年齢であり誘拐の前科もあるためひとり歩きなどさせられず、誠も望んでいなかったからだ。ラスベガスと言えばカジノもあるが、年齢制限があるため入場すら叶わない。

 結局のところ、渡米前となんら変わらぬ生活を送っていた。せめてもの願いで英会話の教本を買ってもらったためそれを読みながら周囲の人の話を聞く毎日、子どもでなくとも苦痛だった。

 そんななか、彩花はというと、順調に仕事を全うしていた。夕方と夜の二部制でステージに立つ。世界的に有名なダンサーに呼ばれての合同パフォーマンスとあって会場は満席、毎回喝采を浴びていた。

「お疲れさま」

 公演終わり、ホテルへ戻った彩花に、誠はグラスに入った薄灰色の飲み物を差し出していた。運動後にはスポーツドリンク、翌日に疲労を持ち越さないためのケアのひとつである。

 それを一気に呷る。薄味でたいしておいしくないものだが、身体が必要としている水分やミネラルは十分摂取できる。

「そろそろ疲れてきた?」

 日本語で話せる人もおらず、誠はベッドのふちに座りながら珍しく饒舌だった。

 趣味でやるスポーツとは違い、仕事でのダンスというのは気を抜く暇もない。帰ってくる度にいつもの能天気さはなりを潜め、心労を抱えて倒れるように眠る彩花の姿は弱々しく映っていた。

 それでも「辞めれば?」などと言えるはずもなく、真面目な誠はケアに集中するしかなかった。

 いつものように脱ぎ散らかして、彩花はそのままベッドに倒れ込む。余裕があればパジャマに着替えるのだか今日は一段と荒れている様子、誠はよく引き締まった裸体にナイトローブをかけて、布団を重ねていく。

 寝るにはいい時間だった。誠も自分の大きすぎるベッドに移ろうかと腰を上げた時だった。がっしりと腕を持たれたかと思えばそのままひっぱられ、絡み取られていく。

 顔が、身体が触れる。成人した男女ならば絵にもなるが、親と子どもである。間違いなど起こるはずもなく、

「誠、お前はどうして否定しないんだ?」

 と、意味不明なことを吐息の交わる距離で言い放つ。

 明日になったら耳鼻科を予約せねばと誠に決心させた。毎度毎度ちゃんと拒否しているのに、彩花は人の話を聞かずにゴーイングマイウェイしているかと思えば、そもそも聞こえていなかったらしい。

 呆れ返ってあんぐりと口を開ける誠に、彩花はさらに続けていた。

「嫌いにならないのか?」

「え、なに? なって欲しいの?」

「……」

 そして無言。

 調子が狂う。なにゆえかナーバスになっている彩花は怒られる前の子どものように唇を噛んでいる。

「嫌われたくないの?」

「嫌われたい奴なんているのか?」

「……急にまともなこというじゃん。なら嫌われないように気をつけるだけでいいよね?」

「……嫌われたくないんだ」

 ……。

 会話が堂々巡りしているようで、この迷宮の出口を見つけない限りは家に帰れないのではないかと誠は恐怖していた。

 おそらく、まだ真意にたどり着いていない。それだけわかってもなんの役にもたたないのだが、ひとまず半歩分くらいは進んだと納得するしかなかった。

 その上で、

「誰に嫌われたくないの? みんな? 家族?」

「……家族」

「家族の中の誰? みんな?」

「……亮」

 かすかすの言葉が漏れ出てくる。弟兼夫である優男が彩花を嫌う姿が想像できない。つまり彩花の悩みは杞憂ということだ。

 くだらない被害妄想に付き合わされていると、誠は脱力する。「アホなこと言ってないで寝ろ」と口を開こうとした時、彩花の言葉には続きがあった。

「――誠、お前にも」

「なんで?」

「わからん」

「はぁ……まぁ嫌いにはならないですけど」

「一生?」

 ガキみたいな言葉選びに頭がくらくら。二十云年生きてこんなことしか言えないのはどうなんだろうかと心配になる。

 仮に肯定したとして、なんの確証もなければ納得だってしないだろう。つまり意味の無い質問である。だから、

「保証はしかねます」

「……」

「そんな捨て猫みたいな目で見ないでください。だいたいそんな好かれるようなことした覚えがないんですが」

「……産んだ子どもだから?」

「長男が泣きますよ」

 第一子は大輝である。彼の立場がない。

 彩花と大輝は傍から見ても犬猿の仲だった。主に彩花が一方的に振り回し、その度大輝がわんわんと泣く。好かれていると感じるほうが無理だった。

 そもそも子育てを彩花はしていないのだから好かれる理由もなく、この世界ではそういうものだと誠も認識していた。それでも歯牙にかけない彩花の言葉は受け入れるのにちょっと時間を要した。

 大輝の名前が出ると彩花は渋い顔をして、

「あれは、真面目だ」

 本人は本音で語ったつもりである。とことんそりがあわないのだろう。

 しかし言っていることは支離滅裂である。嫌われたくないという割には、進んで嫌われることをする。嫌われたい人などいないというのに、嫌われている現状を変えようとしない。すべてが矛盾していて、普段なら彩花のことだからと納得してしまうところだが、誠は気まぐれで深く考えていた。

 まるで、好かれる前に嫌われたいとでもいうような行動に、ひとつ仮説が浮かんでいた。

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