30 誠、話し合う
「皆、自由なんですねぇ」
誠の口から出たのは取ってつけたような言葉である。これが肉親ならもっと追求したことだろう、しかし親の親、初対面の相手へいつも通り接するほど、肝は座っていなかった。
「そんなものよ。熟青春だなんて、浮かれてるの」
「熟青春?」
「そうよ。十代を青春と呼ぶなら、子育ても終わって定年まで、お金や時間を一番自由に使える時期のことをそう呼ぶ人もいるわ」
はるの口調は投げやりである。しかし納得、結婚が早いこの世界だからこその人生の楽しみ方だ。健全であればなお良かったのだが、そこは事情があるのだろう。
となれば引っかかりを覚えて誠は前を向く。
「はるさんは遊んだりしないんですか?」
自然な流れで質問する。誰もいない家を守る理由はあるのだろうか、周りが遊んでいるなら自分だって遊んでもいいはずである。
それに対してはるは自嘲気味に笑いながら首を横に振る。
「もうそんな元気ないわよ」
「えっ、いやまだ若いでしょ」
「……こんな若いうちからお世辞を覚えるなんて、あの子ったらどんな教育をしているのかしら?」
誠の本心は何故か曲解されてしまう。変に飛び火すると、後日彩花から何を言われるかわからないところが怖いところである。
おそらく四十代、見た目で言うなら三十代でも十分通用する、これを若くないと言ってしまうと誠としてもどうしていいかわからない。
「本当なのに……」
「えっと……何が目的? お小遣いでも欲しいの?」
「どうしてそうなるんですか。見た目で健康そうと言っただけです」
肌艶を見ればその人の栄養状態がわかる。肌や目が黄色く変色する黄疸もなく、乾燥によるひび割れもない。むしろ細身ながらふっくらとした頬は淡く紅を差して、振る舞いは凛と咲く野菊のようである。
生前の母親の歳の重ね方を見ている誠としては、健勝であることはなによりだった。誠本人も最大限健康に気をつかっているが、不慮の事故による外傷に関しては本人の意図するところではなかった。
他意はない、それは誠の真意である。なのにはるは目を見開いてから、急に撫でられた猫のような目で、
「おばさんでも、まだまだいけるってことかしら」
人差し指を唇に付ける仕草は、とても経産婦に見えないあでやかなものだった。
……えぇ。
誠は困っていた。そういう意味で言ったわけではなく、いや好きに捉えてもらっても構わなかったが、少なくとも是非を聞くには誠は幼すぎた。
「ま、まぁ……節度を持っていればいいんじゃないですか」
「もう、冗談よ。おばさんをからかうのはよしなさい」
言う割に、声が弾んでいる。若い若いともてはやした者が言うのは違うかもしれないが、干支が三周りも上の人が浮かれる姿を見るのは誠にとっても辛いものだった。
いや、確かに若いのだ。それは間違いない。もっと言うならこの世界の人はみな若い、若作りしている。それは男女区別なく、美を磨くことに余念がないように感じられていた。
いずれ自分もそういうケアが必要になるのだろう、と予感はあった。前世の学校では教えてくれない内容であるから、経験などあるはずもない。強敵の存在に胸の動悸が収まらないから、今だけはまだ考えないようにしていた。
意識の飛んでいた誠は、眼前に迫る顔に気付いて固まっていた。いつのまにか立ち上がり、のぞき込む祖母の目は水晶のように透き通り、吸いこまれそうなほどに煌めいていた。
「ど、どうしたんですか?」
「ふーむ……」
「あの――」
それは値踏みだった。なにかを見透かすような態度はわかりやすく、ただ何を見られているのかわからない。何かしただろうかと、誠は首を傾げるばかり。
数秒とも、数分ともとれる時間が経過して、ようやくはるが身を引いた。ひどい圧迫面接が終わりようやく息をゆっくり吐く。
その油断が面倒くさいことになると、いつもの誠なら予想できたことだった。しかし今は最大限警戒すべき相手、彩花が近くにいない。気の緩みが彼を窮地へと叩きつけていた。
はるが歩き出す。目的を持ってテーブルの周りを沿うように。目的地はすぐそこ、誠の後ろだった。
なんでしょうか、というまもなく脇にはるの手が入る。持ち上げられるのは慣れっこで特に抵抗する必要もない。そこから半回転、お互い顔を凝視する形から――
「……えっと」
「あの子が気にいるわけだわ。どう? うちの子になってみない?」
唇が触れるだけのキスの後、締め付けるように抱かれていた。
愛情表現ではあるがラブではなくライクのほう。思えば親からそういうことをされた覚えのない誠にとって新鮮な出来事だった。仮に彩花から同じことをされれば即流しに向かい口をすすぐ自信がある。裏で何を考えているか分からないからだ。
「なりませんが」
「そう? あなたみたいに中途半端な常識を持っていると彩花に目をつけられて大変でしょう? こっちに来ればしばらくは安泰よ」
魅力的な提案に誠の心は揺らいでいた。目が泳ぐ、しかし、それでもしばらくしか安泰ではないところが、課題の根深さを示していた。
例えば本当にはるの提案を受け入れたとしよう、武力でもなんでも使って彩花をこの家から追い出す。普通ならそれで終わりと言えるところ、間違いなく彩花は毎日抗議に訪れる。それも次第にエスカレートし、道中拉致なら穏便で最悪重機を持って無理やりこじ開けることも厭わないだろう。
愛が深いなんて綺麗な理由ではない、一度手にした玩具を手放せないだけである。
だから誠は惜しみながら首を横に振る。親子に骨肉の争いをさせるわけにはいかないからだ。
「そう、残念。でもいつでも遊びに来ていいからね」
「子どもに興味ないんじゃないんですか?」
「どうしてそう思ったの?」
「いや、そういう人が多いように見えるので……」
「まぁ、そう見えるのかもね。関心がないわけじゃないのよ、でも一緒に住んでいる夫婦のほうが大事だから」
言いたいことはわかる、しかし、
「でもはるさん、今別々じゃないですか」
「……それを言われると弱っちゃうわね」
無神経な一言に、はるは誠を椅子に立たせていた。
意外だった。誠がそう感じるのには理由がある。
憂いの表情、それ自体の理由は明白だ。流石に自分を優先しすぎて、夫婦のていを成していない、その哀愁が彼女の表情に現れている。今家にいるということは家事も彼女がメインで、真由と同じく専業主婦だからなのだろう。
日常を送っていると感謝の念を忘れるというが、まさしくその通り。深いところではどう思っているかなど、今の誠にはわかる由もないが、少なからずはるは不満を抱えていた。よくある話である。
よくある話なのだが、それが意外だった。
超結婚主義、その是非は重要でなく、マジョリティ側の人間は順風満帆、完璧な制度の上、なんの不満もなく生きていると錯覚していた。前世から見れば異常であってもちゃんと社会として成り立っているのだから、非の打ち所がないのだと思っていたのだ。
しかし実態はどうだ、主義や文化にかかわらず、同じようなのことで悩み、憂い、悲しんでいる。もはや別の生物なのではとすら考えていた誠にとって、この世界もまた現実の上に立っていると、当たり前のことに気付かされていた。
解決策はない。はるの夫婦の問題に、孫とはいえ部外者が口を出すことではないからだ。それに、一度も夫婦というものを経験したことのない誠には、納得させられるような意見を出せるはずもなかった。
だから、誠は両手を広げていた。理屈ではなく、なんとなく。包むには短すぎる腕を精一杯伸ばして、はるに抱きついていた。
「わかんないですけど、ちゃんと話したほうがいいと思います。夫婦のこととか、家族のこととか。考えているだけじゃ伝わりませんから」
「……そうね、でも怖いわ」
その声は微かに震えていた。
怖い、その感情は間違っていない。誰だって、押し通すのは勇気がいる。それでも前に進むためには、時に必要なことでもあった。
「じゃあ、一緒にお話ししましょうか」
「あなたが?」
「味方がいるってわかっていると話やすくないですか? 僕はそう感じます」
誠はぐっと拳を握って見せた。小さな手では頼りなさが際立つ。
だからはるは笑って、
「ふふ、そうね。その時はお願いするわ」
誠の頭をこれでもかと撫でていた。




