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29 不倫

 佐藤 彩花。職業はダンサーであり、基本的な収入はダンス教室の講師をすることで得ている。

 基本的な、というのは時折イベントやライブなどに呼ばれてバックダンサーとして踊ったり、楽曲の振付師としても活動をしているからである。その界隈ではちょっとした有名人であり、多くの芸能人とも交流があった。

 それだけ聞けばひとかどの人物に聞こえるのだが、表現力に性格が現れるとでも言うのか、特徴的なダンスは彩花を知らない人でも、その表現に見覚えがあるほどに。

 その手の知見がない誠でも、異質ということだけはわかった。なぜなら、毎度何かを破壊することから始まるからだ。

 ダンスに破壊、一見なんらつながりがないと思うことだろう。実際どこにもつながらず、ときには風船を、またある時は壁を打ち破る。そんなパフォーマンスから始まるダンスを、破壊と創造と評する人もいた。

 ……派手好きなだけじゃん。

 世間一般の評価とは違い、家族として顔を突き合わせている誠からすれば、目立ちたがりなだけに映っていた。普通のダンスではつまらないからと、変わったことをする。それを世間が勝手に深読みしているだけだと。

 それでも、一定の評価と対価を得ているのだから立派である。忙しい時期は家に帰らずツアーへ付き合ったりと、仕事を満喫しているようだった。

 世間体はそれでいいとして、家の中ではどうかというと、怠惰の一言に尽きる。専業主婦である真由が家事に育児にと忙しくしているさなか、惰眠をむさぼっているかと思えば突然うざ絡みをする。それだけでも厄介この上ないというのに、思い出したように突然手近な人を集めて出かけるのだ。

 どこに、と決まった場所はない。車で片道二時間の距離だったりひどい時には新幹線に乗ったりと、やりたい放題である。その目的もテレビで見たグルメが食べたいだったり、景色が見たい、遊園地に行きたいなど、金も行動力もある子どものようなもので、付き合わされる側の意見は一切尊重されない。疲れていようが用事があろうがお構いなし、それが彩花という人物だった。

 そんな中でも、特に被害を受けていたのが誠である。なぜなら誠が気に入られているのは言わずもがな、大人たちは彩花の気配を察知すると、先に出かけてしまうからである。

 逃げ遅れたというよりは、逃げる術のない誠は決まって彩花に捕まり、望まない旅へと付き合わされているのだった。

 誠が嫌がっているのがわかっていて、手心を加えるつもりはないところがなお厄介で、行きたいならひとりで行けばと言ったこともある。その一言は完全に無視されたのだが、彩花がひとりで出かけることは一度もなかった。亮の言う通りさみしがり屋なのだろう、悲しいのはそれがなんの慰めにもならないことだった。

 逆に言えば、度を越したアクティブであること以外、問題がある人物ではなかった。少なくとも意味のない暴力を振るうこともなく、上から怒鳴りつけることもない。せいぜいトイレに行っている間に車を走らせて置き去りにするくらいである。冗談にならない冗談をユーモアと呼べる人なら良き友人になれるだろう。誠には無理だったが。

 座右の銘は楽心一路(らくいんいちろ)。そう豪語し、実践する彼女は悩みすら笑って解決してしまう。障害を踏み潰して進む彼女はいつだって太陽のように笑っていた。



「まぁ、本人は楽しくやってるんじゃないですか」

 イタズラ好きな実母の経歴を思い返して一言、そんな月並みなことしか言えないのは、全面的に認めたくなかったからである。

 駐車場で置き去りにされたことなどただの一例であり、物を隠されたり寝ている間に移動させられたり、一番心折れたのは誠の出品したアクセサリーを買われたことだった。出したはずの箱が何故か家に届く、出品者からは発送先の住所がわからないことによる嫌がらせに、思わず涙を零していた。それは結構な自信作だったからなおさらである。

 嫌うほどでもあるが、仮にも肉親、思い返す度にムカムカさせられてもなお、誠は拒絶をしなかった。

「あの子らしいわね」

 はるはグラスを回して、中の氷でカランコロンと音を立てる。妙齢の女性のその姿は、まるでウイスキーのロックをたしなんでいるようにも見える。

 絵になるとはこういうことを言うのだろう。これで子どもをひとりふたり産んでいるのだから、頭の下がる思いである。

「昔からあんな感じなんですか?」

「そうよ。いえ、昔のほうがひどかったわね」

 哀愁を感じる。その目は誠を見ながら、その後ろを向いていた。

 聞きたいような、聞きたくないような。歯切れの悪い表情を浮かべている誠へクスクスという笑い声が注がれていた。

「心配しなくても、一線を越えるようなことはなかったわ」

 一線、とは。むしろ怖い。

「どんな人だったんですか?」

「あの子が心を開いたのは亮だけ。知ってた? あの子、一生独身でいるってみんなの前で宣言してたのよ」

「おー……それはまた思い切ったことを」

 大それた風に言うはるへ、誠は苦笑いを浮かべる。一生独身、たかだかそれだけの事と言えてしまえるのは前世の記憶があるからで、この世界では相当ロックな発言だった。

 同時におかしくもなる。結婚できることが前提となって話が進んでいるのだ。なぜ今結婚出来ているかすら疑問だというのに、みなそれについては非常に楽観視しているきらいがあった。

「それで、きっかけはなんだったんです?」

「それがわからないのよ。昨日言ったことを覆すなんていつものことだったから気にも留めていなかったけど、今になって思い返してみれば何かあったのかも」

「気になるなら本人に聞けばいいんじゃないですか?」

 無垢な質問に、はるは弱く笑みを浮かべていた。

 おそらく大した理由ではないだろうと高を括っていた誠は上手く言葉を繋げられなかった。それはこの世界の誰よりも親らしい顔をしていたからだ。

「大人はね、子どもになんでも聞いちゃ駄目なのよ」

「……わかりません」

「あなたはそれでいいの。まだ子どもなんだから」

「そういう言い方、あんまり好きじゃないです」

 大人の常套句に、誠は嫌がる素振りを見せていた。はるは知らないが、見た目以上に人生経験は豊富だった、いまさら子どもだからとはぐらかされるわけにはいかないのだ。

 たいして、はるは笑みを浮かべたままそれ以上口を開くことはなかった。まるで背伸びする子どもを見ているような暖かい目で見つめるばかり。前世の誠よりも年上であることは間違いなく、年功序列の精神がそれ以上の追求を許さなかった。

 悔しさに唇を尖らせる誠は、気を紛らわせるようにグラスで舌を濡らして、

「……そういえば他の人達はどうしてるんですか?」

 探すような素振りで首を左右に振る。

 今日は休日である、もちろん職種によっては出勤しなければならない人もいるだろうが、全員とは言い難い。佐藤家でも平日が定休の人もいるが大半は土日が休日だった。

 そんな中で来客があれば、少なからず顔を見せるものだ。個人の部屋があるとはいえ、そこで生活の全てをまかなえないのだし、家族の交友関係はそれなりに把握しておくものである。

 という誠の考えのもと出た問いに、はるは至って冷静に返答する。

「今日はいないわ。遊び歩いてるんじゃない?」

「何しているか把握はしてないんですか?」

「しないわよ、子どもじゃあるまいし」

 当たり前のことを当たり前の如く言われてしまえば、誠もそれ以上口を出せなかった。

 把握していないと言い切るところは、佐藤家にはない光景だった。誰に聞いてもそれなりの答えが返ってくる、それが当たり前だと感じていた誠は、驚けばいいのかむしろこちらが一般的なのか判断できなかった。

 ――いや、どうなのだろうか。そもそも前世でも一般的な家庭に育っていなかった。両親はそろっておらず、母親は晩年寝たきり、どこにいるかなど把握できていて当たり前である。しかし、深夜徘徊する学生など、それこそ無断で外泊している大学生もいた。案外家族であっても把握しているほうが珍しいのかもしれない。

 唯一困るのが、

「でも、夕飯の用意とかありますよね」

「えぇ、食べる食べないは聞いているから。それまでには帰ってくるでしょう」

「食べない人もいるんですか?」

「デートでもしていれば帰ってこないでしょうね」

「……家の人とですよね?」

「いえ? よその家庭とよ」

 それは――と返答に困る。はるの口調は一切気にしているようには見えず、しかし口から語られているのは不倫の事実である。

 悩む、悩んだ。そして諦めた。いつものことである、異国の文化に触れるように、まずは常識を知ることから始めなければいけないのだ。

 このやり取りも何度目だろうか。そろそろこの世界の手引き、マナーブックが欲しいと切実に願いながら、誠はお茶とともに言いたいことを飲み込んでいた。

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