28 はる
「よく来たわね」
そう言って出迎えたのはひとりの女性だった。
年齢を重ねた見た目ではあるものの、まだ若く、五十にも満たない様子。いや、努力の結果なのだろうか、三十代でも十分通用する見た目であった。
「お久しぶりです」
「元気そうじゃん」
亮と彩花がそれぞれの言葉で挨拶を交わす。もうちょっとまともな挨拶はなかったのかと言いたくなる誠であったが、祖母らしき女性の目線が向いていることに気付いて頭を垂れていた。
「初めまして、誠です」
足を揃えて手指をまっすぐに伸ばす。腰は四十五度の最敬礼、文句のつけようがない完璧な態度を見た女性は、
「……この子が彩花の子なの? どこからか拾ってきたんじゃない?」
「はるさん、言いたい気持ちはわかるけど子どもの前では抑えてください」
はると呼ばれた女性の思わず漏れた本音に、むしろけなすだけとなったフォローが突き刺さる。そして、そんな状況でも彩花は誇らしげに胸を張っていた。
頭が残念な母親のことは手の施しようがないため放置しておくに限る、彩花以外の共通認識のもと、はるは膝を折って誠を正面から見つめていた。
「どうも、はるおばさんよ」
「ババアだろ」
余計な茶々は亮の手によって口を塞がれていた。かまえば付け上がるから無視するしかなく、聞かなかったことにして話を続けるしかなかった。
「――で、今日はまたなんの用?」
「いやぁ、本当に用はないんです。久々に顔見られたらいいなくらいで。あと一応子どもも生まれたのでその顔見せに」
「子どもなんてやればできるものでしょうに……」
立ち上がったはるが、腕を組みながらため息をつく。その反応は予想済み、やはり子どもへの興味が薄いのは世代の問題ではないようだ。
つまりはあれである。お小遣いやお年玉といった文化は期待できないのだ。
誠としては別にどっちでもいいことだったが、他の子にとっては一大事である。一大事とすら思えないところもまた悲しい。
「それで、まだひとりなの? 彩花が産んだ子なんでしょ」
「もうひとりいるけど面白そうなほうを持ってきた」
「面白そうって……」
「面白いぞ? TL協会に拉致されて海外に売り飛ばされそうになったり、年上の子に妬まれて小屋に閉じ込められた挙句、ガラスで全身傷だらけになって脱出するような奴だぞ」
彩花が意気揚々と語る。単に事実を述べているだけなので誠も否定しにくく、思い返せばなかなか波乱万丈である。おかしい、当初の計画では風のない湖面のように穏やかな生活を送ることを心がけていたはずなのに。はるを見れば「トンビの子はトンビなのね」といった顔をしていた。
助けを求められるとすればただひとり、縋るような目つきで誠が亮を見ると、意図を理解したようにウインクを返していた。
「彩花さん、別に誠くんが望んで被害にあっているわけじゃないんだから――」
「なんだ、私に意見するのか?」
「そういうわけじゃ――」
「だいたい亮も叱っていただろ、つまりどっかで本人にも非があったってことだ」
「……」
黙ってしまった。なにも解決していないのに、である。
力及ばず申し訳ないとでも言いたげな目が誠に向かれるが、一瞬期待しただけに失望のほうが大きい。所詮弟という存在は姉に勝てないのだと再認識しただけに終わっていた。
「――まぁ、立ち話もなんだし、中に入りなさい。そこそこのもてなしくらいはするわ」
このままでは埒が明かないのは見ての通り、三人は促されるまま、家の中へと入っていった。
「懐かしいなぁ」
なんの面白味もない感想を呟いたのは亮だった。彼はテーブルに座ると視線を巡らし、いつか見た景色と重ねているようだ。
「六年前か?」
「七年前よ。それくらい覚えてなさい」
同じく席に着く彩花のとぼけた発言を諫めるのははるだ。人数分のコップを置き、琥珀色のお茶を注いでいく。
その頃誠はというと、非常に気まずい感覚を覚えていた。特に共有できるエピソードもなく、まだ旧知を温めている段階である、口出しを控えたせいで、何も言えずにいた。
いっそ空気になれたら、そう考える。もともと質問を用意していなかったのだ、会話の引き出しがなく、目的を達成したらすぐに帰るつもりだった。残念なことに、帰る帰らないの決定権は誠にだけないのだが。
ようするに暇で、見られても困るし話を振られても答えられない。置物であるには座った位置が悪かった。
「どうなの、最近は?」
「さぁ? うまくやってるんじゃない?」
「彩花には聞いてないわよ。どうせ引っ掻き回して周りが苦労しているだけなんでしょうから」
正解である。補足するなら、苦労しているのはだいたい決まったメンバーであることだろうか。
流石親なだけあって、彩花のあしらい方がうまい。誠も最近になってようやく理解してきたのだが、要は相手にしないことがいちばん効果的なのだ。かといって無視をすると暴れるため、話をしつつ被せるように会話を進めなければならない。人の話を遮るような真似をしないだけ大人な部分に救われていた。
ただ、そんな完璧な作戦にも穴はある。
「――よし、そろそろ行くか」
聞き役に徹していた彩花がそう言って立ち上がる。言動を封鎖できても行動までは縛れない。
「帰るの?」
「いや、子ども部屋に置いてきたものを取りに行く」
「……全部処分したはずよ?」
訝しげに聞くと、彩花は悪童のような笑みを浮かべていた。良くないことを考えている前兆なのは、みんなが理解していた。
「中学の時開けた壁の中に隠してたものがあってさ、その回収」
「あぁ、あの。なんでそんな所に隠してんのよ」
「誰か見つけるかと思ってたのに誰も見つけなかったからな。そろそろ賞味期限切れだし、回収しておかないと爆発しそうだから」
「食品なの!?」
タチの悪いイタズラというか、最悪の光景を予想したはるが声を荒らげる。その反応を見られただけ成果があったというように笑う彩花は幸運だった、人によっては手が出ていたに違いないのだから。
持って帰りなさい! と、怒号が響く。さもありなん、逃げるように退室していく彩花を追うのは亮だった。夫婦というよりも未だ仲のいい兄弟のようで微笑ましい。
……さて。
完全に出遅れた誠は内心の困ったを表に出さずお茶を口に含んでいた。今までは置物になればよかったのだが、今はそういうわけにはいかない。押し付ける相手がいないからだ。
「ねえ」
「はい」
「彩花は上手くやってる?」
第一声はやはり子どものこと。手のかかる子ほど可愛いという言葉通り、なんだかんだ言って愛情が欠片もないなんてことはなかった。
ただ、それを孫に聞くのは正解なのだろうか。しかし細かいことを気にし出すとあれもこれもと溺れてしまうのもまた事実、誠は深く考えることをやめて、普段の彩花の様子を思い浮かべていた。




