21 誠、報復される
その夜は、健太郎の拳骨から始まっていた。
彼は一言も発さず、何を注意したのかもわからない。それどころか、健太郎自身も理由を理解していなかった。
なぜなら、全ての事情を知る美咲の差し金だからである。
「――で、なんで怒られたかわかるー?」
夜、美咲の部屋。
思わず涙が出るほどの痛みに耐えながら、誠はその部屋の床で正座をしていた。
公園から帰宅し、今日の出来事を一部始終美咲に話した後のことだった。誠の持っていた金は、美咲のスマホを借りてのネット販売で得た収益。その金額を知る美咲に虚偽の申告はできない。それと助言をもらいたいという意図も含まれていた。
直後に健太郎を呼び出しての拳骨――誠は選択を誤ったと半ば後悔していた。
しかし、これまた回答に困る質問である。なぜなら先に答えが用意されていないからだ。
「えっと……大人気なかったから?」
そう答えると、「はぁ」と盛大なため息が返ってきた。ハズレもハズレ、大ハズレなのだろう。
こんな理不尽な目にあっても誠が声を荒げないのは、自分のしたことが全て正しいとは思っていなかったからである。しかし、それも健太郎により禊は済んだこと、これ以上耐えるつもりはなかった。
「じゃあなんで怒られてるのか教えてもらえますでしょうか?」
誠が嫌々聞けば、小生意気な態度がかえって良かったようで、美咲は笑みを浮かべて口を開いた。
「信念を持ってやったことならー、もっと胸を張りなよー。けんたろーに怒らせたのはー、お金を無駄にしたことだからー」
「……そっち?」
「そうだよー。一応でも誠は私の弟子でー、ちゃんと商品を作って売ったんだからー、もちろん買った人もいるわけでー、対価として払った人の気持ちを考えたらー、もっとやりようはあったよねー」
その言葉に、誠は口を閉ざした。
いつもの間延びした調子からは想像できない、核心を突いた意見だった。
金は労働の対価である。受け取った金をどう使おうと、持ち主の勝手だ。そう考えるのが世の中の大半だろう。しかし美咲はクリエイティブな職業、買い手がつかなければそれ以上作品を生み出すこともできず、腕を磨くこともできない。購入することとはただ商品を受け取ることのみにあらず、投資や応援の意味合いもあると美咲は言っていた。
その真意を完全に理解できずとも、同じ創作に携わる者として、初めて商品が売れた時の感情を誠は思い出した。喜悦か、安堵か。言葉で形容するには学が足らず、それでも嫌な思いでなかったことだけははっきりとしていた。
「……すみませんでした」
ただ給与をもらうのとは違う考え方に、感銘を受ける。生きている年数はそれほど差がないのに、自分の存在が酷く矮小に思えて、誠は頭をあげられずにいた。
金とは額面以上に重いものである、それを知った夜だった。
人生とは。
そう聞かれてすぐに答えられる者はどれだけいるだろうか。
たとえ即答できたとしても、それが聞き手を納得させられるかはまた別問題だ。何も考えずに出した答えだと見抜かれぬよう、せめて形だけでも取り繕うのが賢明である。
しかしこの時、誠は自信を持って即答できる自信があった。
人生とは。
予想もできない出来事が起こる。そしてそれは往々にして人によって引き起こされるものだ、と。
彼がなぜその境地に至ったかを話すには午前にまで時計を戻す必要があった。
今日も快晴、気持ちの良い冬の陽だまりが佐藤家のマンションを明るく照らしていた。
まだ未就学児しかいない家庭では、今日も行くところは決まっていた。公園である。
毎度毎度、よく飽きないと思われるが――現に誠は飽きていたが――子どもとはそういうものであった。狂ったように同じことを繰り返しても、いつでも新鮮に笑える。それは大人になると失ってしまう特技であった。
朝食後、真由が家事しているなか、誠はふと異変に気付く。それがなんなのか、うまく言葉にできぬまま、長男の大輝に引っ張られる形で公園へと向かっていた。
いつもの通りの公園は、遊びに飢えた子どもたちを受け入れる。それにしても今日は保護者が多い。ずいぶんと楽になった面倒を放り投げて、誠は定位置であるベンチへと向かっていた。
……あぁ。
そのとき、ようやく今朝感じていた異変の正体に気づいた。
いや、異変というほどのものではない。ただの休日だったのだ。
両親たちが仕事に行かない日、早朝の慌ただしさがないだけで家庭内は様変わりしていた。緩く、緊張感のない空気は焦る必要がないだけだった。
そして休日はいつものベンチを独り占めできた。理由は知らないが、亜弓が来ない日なのである。それだけで、世界が一瞬にして色褪せたように、誠は全てに興味を失っていた。
黙って帰ろうか、そんなことまで思い浮かんでくる始末。どうせ兄姉は誠のことなど眼中になく、家庭外でできた友達と思い思いの遊びに興じている。いてもいなくても同じなのは把握済みだった。
――さて。
何かきっかけがあれば、そんなことを考えていた誠の視界に影が入る。三つの影が差し込む。逆光に照らされたその影が、意思を持って誠へと近づいてきた。
なにか見覚えがあると気づいた時にはもう遅く、なんと昨日捨て置いた小学生三人組が誠の前に立っていた。
えぇ……と落胆する暇もない。春の訪れを感じさせるような柔らかい日差しは思考を毒のように蝕んで常に一歩遅く動作していた。
「お前、ついてこい」
中央、三人のリーダーと思われる少年が誠に声をかける。公園の真ん中でそんなことを言えばどうなるか――わかっていない。誠は鼻で笑った。
声をあげれば、誰かしら気付いてしまう。優位は誠側にあった。
……いや、果たしてそうだろうか。この公園では年上が年下の面倒を見ることが当たり前である。三人が囲っているとはいえ、聞かん坊に対して手を焼いているようにしか見えない可能性もある。
そこまで考えたところで、誠は思考を止めた。昨日散々言ったのだ、ちょっと殴られるかもしれないが、彼らの溜飲が下がるなら必要経費である。越えてはいけないボーダーくらいわかっているだろうと、甘い考えのまま、誠は少年らの要求を受け入れていた。




