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16 誠、誘拐される

 その後、飛んできた玲奈に事情を話した誠はほかの兄弟共々、いったん海の家に戻っていた。

「災難だったわね」

 玲奈の言うとおり、災難だった。あと少し、何か悪い方向に転がっていたなら、今こうしていられるかすら不安視されていたのだから。

 どれだけ世の中が良くなったとしても一定数、変な人間は存在するようで、たまたま運が悪かったと諦めるしかなかった。昨日の喧嘩で徳が下がったからなのだろうか。

 残りの日程も、明日の朝まで。得られたものは教訓だけという散々な旅行も、終わってみれば『もう少し何かすればよかった』という後悔しか残らなかった。



 だからといってまさか拉致監禁されるとは、誰が想像できただろうか。

 稀有な経験をしたいと考えていた誠だったが、犯罪に巻き込まれたいわけじゃなく、やはり、あのとき蟹に指を挟まれてでも大輝のご機嫌を取るべきだったと反省した。

 事の起こりはトイレに行ったことだった。早くから介添なし、ひとりで用を足すようにしていた誠がいつものように小便器と向かい合っていた。

 雫を振り払い、ズボンを上げたと同時に視界が暗くなる。何か被せられたと気づいた時には抱えあげられ、口元を押さえられて叫ぶこともできずに運び出されていた。

 白昼堂々の犯行は手際よく、五分もしないうちに車は発進、着の身着のままの誠には助けを求める手段すらなく、諦めの二文字が脳内に浮かんでいた。

 そして連れてこられた場所はコンクリート打ちっぱなしの倉庫らしき場所、その一室だった。

 ちくちくと毛羽立つ雑巾のような布袋を剥がされ、ようやく目に光が触れる。時間の経過からそれほど離れていないとわかっていても、子どもの足で帰るにはあまりに距離が離れていた。

「生きてるか? 生きてるよな? 死んだら商品になんないもんな」

 そこに居たのは痩躯の男性だった。頭は禿げあがり、骨ばった手足は変な癖がついたように曲がっている。一目見れば忘れない印象の彼だが誠は身に覚えがなかった。

 安否を確認して彼は部屋から出ていく。ひとりにしても問題ないと判断されたのだろう、間違ってはいないように誠も思えて、やることもなく思案する。

 怨恨による犯行ではなく無差別的犯行、そういうこともまぁあるだろう。それは今問題ではなく、重要なのは彼の目的だった。

 商品と言った、ここまで誘拐されてきたことも含めすぐに殺されるということはないと分かる。ひとついいことを見つけると誠の感情が和らいで冷静さを取り戻させる。

 誘拐、と聞いてすぐに思いつくのは身代金目的である。しかし今回は果たしてそうだろうか。誠の家は、貧乏ではないがことさらに裕福とは言えない。高級車を乗り回すようなこともなく、外食も少ない。前世の高給取りの特徴がこの世界にも適応されるかは置いておくとして、リスクに見合う金額を得たいと考え実行するのが普通だと信じたい。

 身代金目的を除くと、誠の身柄自体に用がある、要するに欲しいから監禁するというものだが、こちらもまた考えにくい。十把一絡(じゅっぱひとから)げの顔というのもあるが、成人男性が一歳の男子を求めることなどあるだろうか……ないと信じたい。

 ではなんだろうか。人攫いならば人身売買、最近聞いたような言葉になんだったかなぁ、と頭を悩ませる誠の前に見知った顔がドアから現れた。

 今朝方、暴行を働いた男の子だ。

 視線をあげると部屋の中が見えてくる。そこには誠以外にも数人の子どもの姿があった。一様に、眠ったままカートに乗せられているところから、睡眠薬を使われたのだろうと推測できる。

 禍根とか、そういう話ではなくなって、組織的な犯行であることが伺えた。状況は良くなるどころか悪化しているが、もとより誠に何が出来るというのか、助けは外に求めるしかなかった。

「お前、捕まったな」

 棒に刺さった飴を舐めながら、小太りの男の子、澪真が誠を見下ろしていた。

 まさか主犯格の一味だとは夢にも思わず、さてどうするかと誠は悩んでいた。媚びてどうにかなるようにも思えず、逆らって反感を買うのも要らぬ手傷を増やすだけ。助けは……おそらくそんなに早くは来ないだろうから、それまでどうするかが悩みの種だった。

「スマートフォン、もう持ってないよ」

 とりあえず、会話。誠が選んだのはそれだった。籠絡できれば万々歳だがそんな上手いこといきっこない、何らかの情報が抜き出せれば御の字くらいに考えていた。

「いらない。これが終わったら、パパが買ってくれるから」

「よかったね、その頃僕はどこに売られてるか知ってる?」

 尋ねれば返答はなく、澪真は言われた言葉の意味すらわからないかのように無表情だった。

 子どもだし、知っていたとして手伝えるわけもなく。誠はそう判断して、質問を続けていた。

「お父さんとお母さんは他に何人いるの?」

「パパとママはひとりじゃないとダメなんだよ。そう言ってた、周りが変だって」

「……」

 なるほど、と頷く。一夫一妻の思想に一瞬同意しかけたがTL協会の信者であるらしい。聞いた話によると結婚詐欺による人身売買をしているとかいないとか、いつから子どもまで攫うようになったのか知らないが犯罪者の考えることなどわかる必要もなかった。

 必要なのは買い手がいて、今誠は売られようとしているということ。そして、売り先はおそらく海外である。

 そこで誠はひとつ仮説を立てていた。このまま夜まで隠れ、夜霧に紛れて海に出る。そして取引を待つ相手に引渡し、誘拐は完了、いくらか金を得て子どもにスマートフォンを買い与える。確証はないが、もし自分が誘拐するならばこれで行くと思っていた。

 上手くいくかは別として、とにかく期限は夜まで。海上に出てしまえば助かる光景が浮かばず、なにかするにはなるべく早くがいい。もっとも、今のところ策はないのだけれど。

「お父さんとお母さんはどんな人?」

「……なんで?」

 いささか性急すぎた質問を不審がられ、返ってきた言葉に誠は息を飲む。相手は子どもなれど立場は上、体格も上なのは実証済みである。

「……スマートフォン買ってくれるなんていい人だなって」

「うん。でも(いのり)は知らない」

「……妹?」

 知らない名前に当たりをつけて尋ねると、澪真は首を横に振っていた。

「パパが連れてきたパパのお金が好きな人。買ったんだって言ってた、四人目だけど」

「……海であった人?」

「うん」

 頷かれ、誠はよく分からなくなる。

 澪真の言葉を信じるならば、祈という女性は母親ではないらしく、後妻ということになるのだろうか。再婚というこの世界では聞き馴染みのない言葉が浮かぶが四人目というのはなんだろうか。

 なんにせよ、誠は少し安心していた。こんな状況で何を呑気なことと思われるだろうが、この世界、嫉妬という言葉がないのかというほど、交際相手がよく入れ替わっていた。昨日愛した相手が翌日別の男性と愛を紡いでいる、それが当たり前であると教育されていても少しくらいもやもやするほうが人間らしいはずなのだ。

 玉の輿を狙う、金の力で相手を縛る。恋愛結婚とは呼べない打算がこの世の中に存在しているだけで、自分が完全に間違っていると思わずに済んでいた。

 ただ、それを真実の愛と呼ぶのはさすがに笑いが堪えられない。どちらかといえば人間臭い愛だ。

 結局のところ、誘拐をするような犯罪者の考えることなど一般人にはわからない、そんなふうに考えていた誠は扉が開く音に気づいて眉を持ち上げていた。

「……澪真、なにしてる?」

「パパ……」

 あの痩躯――というより痩せすぎの男が、息子である澪真を睨みつけていた。腕を掻きむしる指の動きが忙しなく、表情は石のように険しくしわが刻まれていた。

「何をしていた?」

「……」

 あれはゴミを見る目だ、と誠は一歩離れた位置から感じていた。たまに美咲がするやつである。

 怖いんだよなぁ、と他人事のような感想を浮かべていると、澪真の太った身体が宙を浮いていた。見逃したが蹴られたらしく、誠の横を転がる彼の顔は恐怖に縛り付けられていた。

「クソが、余分なことしかしねえ」

 吐き捨てるように言う男は、次の標的を誠に定めていた。

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