17 誠、救出される
といっても、自分の息子と同じように暴行を加えるわけではなく、むしろ『逆らったらどうなるか』を実演してみせたのだから大人しくしていろという、釘を刺すような目で誠を見ていた。
それがひどく滑稽に見えて、誠はつい吹き出して笑ってしまった。
「何がおかしいっ!」
「いやー、ごめんなさい。あんまりにもチンケなもので、つい」
馬鹿にした様子で――いや心の底から馬鹿にしていた。むしろ馬鹿にしないでいられる人がいるのだろうか。誠は本気でそう感じていた。
膝を叩いて高笑い。おびえるどころか、やけに肝の据わった振る舞いに男性も言葉を失っていた。目じりに涙を浮かべるほど笑い続けた小さな子どもは、胸のつかえを吐き出すように息を吐いて、
「おじさん、誘拐はこれが初めてでしょ」
「……」
「いや、そう何度もすることじゃないからそれでいい。できれば一度もしないほうがいいんだけど、まぁ今は置いておくとして――」
一区切り。そして、
「怖いんだろ? いつだってそうさ、人と違う道を歩く人間は恐怖と戦ってる。うまくいくかどうか、誰も自分が進む道の先を知らないんだから。それはいいとして、怖いからって子どもに当たるような真似するくらいなら最初からしなきゃよかったんだ」
「知った風に言うなよ……」
「あぁ、知りたくもないね。こっちはどんな逆境にも立ち向かった人のそばで生きてきたんだ、あんたの気持ちがわかったら母さんが浮かばれない」
「俺は……俺は……」
「俺はなに? 頑張ってるから報われるべきとでも言う気かい? あんまり失望させるようなこと言うんじゃないよ、誰が頑張れば報われるって保証してくれるんだ? 世の中は残酷だ、ぶっ倒れるまで頑張っても誰も助けてくれない。でも頑張った結果は何かにつながってる、それだけ握りしめて生きていくしかないんだよ」
言葉の中に失望と、かすかに怒りを込めて。どうせ犯罪に巻き込まれるならどんな大悪党が下手人かと思えば、誠の目の前にいたのは小物も小物、計画がうまく行ったとしてもこれでは納得いくわけがない。
言われっぱなしの男性は拳を強く握りしめ――しかし振り上げることすらできないでいた。一部始終を見ていた誠は「はぁ……」とため息を漏らして、
「おじさん、あんた捕まるよ」
「何かしたのか!?」
「さぁ? したかしてないかは重要じゃないんだ。悪因悪果、流されるだけの人間はその流れに逆らうことができないんだ、だから捕まる。徳も思慮も計画性も、なーんにも足りてないんだよ」
「お、俺は選ぶ側の人間だっ!」
叫ぶ男性に誠はなおも笑う。
選ぶ人間とは、貴き人のことである。つまりこんなところで実働する人間ではない。
そんなこともわからない彼が、いっそ哀れに思えてしまう。手に収まるだけの小金をものにして調子に乗ってしまった、悲しき人間の末路を見たような気がして。
その時だった。噂をすればなんとやら、遠くで聞こえていたサイレンの音がすぐ近くまで響き、明らかに近くで止まる。
「っ――来い!」
「うわっ」
男性は明らかに怯えた表情で、手近の誠を引っ張り上げる。そのまま抱えて音の鳴るほうへと足を運ぶと、特徴的な赤色灯がふたりを照らしていた。
誠の予想よりずっと早い。日本の警察とは優秀なんだなぁと、助けが来たことに喜ぶでもなく眺めていると、こめかみに硬いものが当たっていた。冷たく、重い。それがなにか見えない誠は、立ち並ぶ警官が強化プラスチックの盾を構える様子を見て察した。
「銃刀法違反ですね」
「黙れ」
ぐっと強く押し込まれ、地味に痛い。普通なら恐怖に身を竦めるだろうが、一度死んだ身だからなのか、誠は自分でも驚くほど落ち着いていた。
「抵抗はよせ、完全に包囲されている」
拡声器越しに警察の説得が飛ぶ。これがまたうるさくて、誠の表情を歪ませていた。
その視界の隅で、ひとり走る人がいた。
女性である。女性である。今朝、砂浜で会ったあの女性が被害者然として手を振りながら警察のほうへと向かう。その剥き出しの背中へ男が銃口を向けていた。
パンッと乾いた音が響く。銃声、本能的に恐怖が刻み込まれてでもいるのだろうか、時が止まったような静寂の後、女性がゆっくりと前のめりに倒れていく姿が見え、
「うっ……ああぁっ!」
足から血を吹き出しながらも助けを求めて這い進む様子に、男性は再度照準を定めていた。
慌てたのは警察である。目の前で犠牲者が出るのをなにもせずに眺めているなどできるわけもなく、しかし彼女までの距離は一跳躍で届かない。どう考えても銃弾のほうが早く届く状況で、それでも職務のために前進していた。
「それは嫌ですねぇ」
緊迫した雰囲気の中、誠だけが冷静だった。男の胸に抱かれた彼は手を伸ばし、銃を構える腕に体重をかける。いかに軽くとも男性の伸びきった腕は耐え切ることができず、銃弾は女性の手前の床を穿つに終わった。
「何しやがる!」
「いやいや、そう焦らない。ここで殺したら“人質も簡単に殺す奴”って見なされちゃうかもしれないじゃないですか。僕だって死にたくないし、ここはひとりくらい逃がす度量を見せたほうがいいですよ」
「あっ……くっ……くそがっ!」
まるで根拠のない誠の言葉にも反論できず、男は銃口を誠へと向け直していた。
その間に女性は回収され、なおも膠着状態が続く。包囲が狭まり、男はじりじりと後ずさり始めていた。
このまま交渉に入るかに思えた事件は、誠の予想外の形で収束を迎える。睨み合いのさなか、筒状の何かが転がってきて、男性と誠は思わず視線を向けてしまっていた。直後、激しい光と音の渦がふたりを飲み込んでいた。
フラッシュバン、閃光手榴弾である。暴徒鎮圧、人質救出と、今の状況で使われるにふさわしい武器は予期していなかった者の目と耳を容易に破壊していた。
鋭すぎる刺激は痛みとなんら変わらず、悲鳴をあげているはずなのにそれすら聞こえない。視界が新雪降り注ぐ早朝のように白く染まる中、誠は一瞬宙を浮いたあと、硬い腕の中にいた。
「――」
「――」
何も見えない、何も聞こえないまま、誠が唯一わかったのは揺られ、移動しているということ。がさつな運び方に不満を言う余裕もなく、ようやく止まったときには夏の潮風が頬を撫でていた。
救出された、そのことを未だ気付けずにいる誠は、込み上げるものを感じて口元を押さえたが、ついには堪えきれず吐き出してしまう。
今朝方食べた味噌汁の、酸っぱい味が口の中に広がっていた。
「新潟県警は、本日、同県在住の会社員、神原 崇容疑者を、複数の幼児を誘拐した疑いで現行犯逮捕しました。警察によりますと、神原容疑者は海水浴に来ていた幼児を連れ去り、近くの廃倉庫に監禁していた疑いが持たれています。取り調べに対し容疑を一部否認しており、警察は動機や背後関係について詳しく調べを進めています。また、被害にあった子どもたちは全員保護され、命に別状はないということです――」
警察署から解放された誠はひとまず病院へ搬送されることとなっていた。外傷がないことはわかっていたが大事をとっての入院である。
簡単な検査の後、ベッドで午後のニュースを眺めていると、そこへ現れたのは父親、健太郎だった。
「お前、全国ニュースに出たな」
開口一番、冗談めかして言う。
救出された子どもは七人、しかしテレビに映ったのは誠だけ。他の子どもは睡眠薬で眠らされ、危険はないと隠されながら搬送されたのだから表に出ることはなかった。タイミングが悪かったというだけの話である。
「まだ学校に行ってなくてよかったと、思ってますよ」
ベッドに横たわりながら皮肉を言う。一過性のものだとわかっていても、ぴーちくぱーちくと数日質問攻めにされるのは耐えられそうになかった。
しかし、と誠は一息つく。運がよかった――いや、誘拐されている時点で運は悪いと言っているようなものだが、それでも生きて、こうしてまた肉親と出会うことができている。やはり徳を積むことは間違っていなかったと再認識していた。
運がよかったと言えば、警察の対応が異常に早かったことが頭をよぎる。誠が誘拐されて二時間と経たずに制圧だ、正直よく練られた犯行には見えなかったにしても早すぎる。
「……警察は、どうしてあんなに早く来られたんですか?」
わからないことは悩んでいても仕方がない。聞くが早いと、誠は質問していた。
それに、
「そりゃ、TL協会の人間だからな」
「それは……どういう意味です?」
「早い話、監視されているってことだ」
……なるほど。
納得するより、むしろ怖くなってそれ以上聞くことを止めていた。
この世界、油断すると思いもよらぬ闇が吹き出してくる。受け容れるしかなかった。




