9.針仕事の女王
マルディの帽子から花が消えると、最前列の子供が泣いた。
大地は慌てて舞台袖を覗く。
怖がらせたのかと思った。違った。
「あのお花、ほしかった……」
マルディが両手で自分の頬を押さえる。
「お持ち帰りはできないんすよ。もう一回出すんで、それで勘弁してほしいっす!」
子供の鼻が鳴った。
隣にいた母親が笑い、袖で涙を拭う。花が再び現れると、その子は両手を広げたまま見上げた。
ドゥラレヴィの公演には、仕事を抜けられない者もいた。
大地は演目の順を少し入れ替え、広場の端からでも見える位置へラステリを送った。玉が上がるたび、屋根の上からも歓声が飛ぶ。
ジャンヌの出番では、最初に人の姿を見せてから変化した。
金色の前足が玉を止める。ラステリが探すふりを始めると、子供たちは椅子から半分立ち上がった。
「そこ! そこだよ!」
ジャンヌは一度だけ首を傾けてみせた。
練習でラステリと決めた、新しい仕草だった。
舞台袖で見ていたジーリアが、口元へ手を当てる。
*
終演後、女王は余ったパンを配っていた。
幼い子には二つ。公演を見られず戻った警備の者には、包みごと手渡す。
「帽子の続きを頼める?」
「もちろんっす。今度は帽子が三つになるっすよ」
「それは見ていないわ」
ジーリアも残った。
大地は片付ける手を止め、その横顔を見た。
こんな顔をする人なのかと思った。初めて会った時の笑い方とは違っていた。
マルディの小さな追加公演を見終えると、彼女は大地を苗の棚へ連れていった。
「母を匿った人が、持ち出したの」
布を開く。光る種の下には、古い布袋が敷かれていた。
「妖精が生まれると聞きました」
「そう。世界樹の周りでは、根元の実から小さな命が生まれることがあったそうよ。どちらの種族の子にも、いたずらをしたんですって」
ジーリアは、種には触れなかった。
「根元から離れたままでは、目覚めない。育て方を知る人も、もう少ないの」
「戻れたら、植えるんですか」
「そのためにも、戻るのよ」
言葉の終わりが強くなる。
大地は公演用の外套を脱いだ。女王の前で、団長の顔を作り続けるのが急に難しくなった。
「ネイアスと、直接話せませんか」
「条件を聞いたはずよ」
「道を開ける。その先を決めないままでは、向こうも開けられない」
「追い出された者が、帰る許しを乞うの?」
ジーリアが振り向いた。
大地は目を逸らさなかった。
「向こうに今いる家族を、追い出さないと約束してほしい」
長い沈黙になった。
女王の視線が、大地の首元から右手へ移る。さらに、その背後でフランを抱き上げるジャンヌへ。
「あなたは、変わった仲間と暮らしているのね」
「ええ」
「誰も、血のことを聞かない?」
大地は答えかけて、やめた。
フランを見て足を止めた町の人々。マルディを警戒した門番。ジャンヌの故郷で起きたこと。
「聞く人はいます。嫌な目で見る人も」
「でも、一緒に行くのでしょう」
「ああ」
女王は、笑わなかった。
「母も、そんなふうに帰ってこられたらよかった」
*
翌朝まで返事を待つことになった。
大地は里を出る支度を整えつつ、書き直した手紙を机へ置いた。
ネイアスへ、直接会う場所を設けてほしいと頼むものだ。公演の広場を使う案は消した。家々に近すぎる。
「ここはどうだ」
ダレンが、地図の一か所を指した。
古い荷の積み替え場。今は使われていないが、両方の道から行けるという。
「俺たちも、昔はそこで荷を受け取っていた。顔を合わせたくない者同士でも、場所だけは使えた」
「見に行けますか」
「ああ」
案内を頼み、朝食へ戻る。
フランはパンを半分に割っていた。小さい方をマルディの皿へ置こうとして、首を傾げる。
「たべられないんだった」
「お気持ちだけで、腹いっぱいっす」
大地は笑った。
窓の外では、ジーリアが子供の外套の紐を結び直している。
昨日の問いを、思い出した。
誰も血のことを聞かない場所。
大地には、そんな場所を約束できない。けれど隣に誰を置くかは、これからも自分たちで決めていきたかった。




