8.帰れなかった子
ドゥラレヴィへの道で、馬車は二度止まった。
一度目は、張り出した枝を避けるため。二度目は、車輪がぬかるみに取られたためだった。
案内のダレンが肩まで泥を付け、ジャンヌと車体を押す。
「すまん。普段は、荷を背負って通るから」
「謝るなら、押しながらにしろ」
車輪が動いた。
勢い余って転びかけたダレンを、ジャンヌが腕で支える。彼は息を切らして笑った。
「女王様にも言われる。口より手を動かせって」
里の入口には、石が積まれていた。
高さの揃わない壁の間を抜けると、薪の匂いがする。屋根を繕う男が顔を上げ、井戸端の子供が、ダレンを見つけて駆けてきた。
「骸骨、来た?」
「いきなり自分っすか」
荷台からマルディが帽子を上げる。
子供は本物を見た途端、ダレンの後ろへ隠れた。
「……話と違うっす」
その声に、隠れた肩が小さく揺れた。
*
ジーリアは、机の上の布を畳んでいた。
訪れた大地たちを見ると、針を器へ戻す。窓辺には、継ぎを当てた外套が何着も掛かっていた。
「待たせたわね。ここでは、女王も針を持つの」
冗談めいた声だったが、指先には細い傷があった。
大地が名乗り、ジャンヌも続く。
「獣人が、エルフの里で歓迎されたそうね」
「最初からではない。荷も道具も調べられた」
「それで、公演をした」
「ああ。子供たちが笑った」
ジーリアは外套へ視線を戻した。
「こちらの子供にも、見せてやってほしい」
「そのつもりで来ました。ただ、先にお聞きしたいことがあります」
大地は、ネイアスへ出した書状の期限について尋ねた。
女王の手が、布から離れた。
「道を開けばいいだけよ。私たちが世界樹へ戻る道を」
「今、住んでいる人たちは?」
「私たちが出ていった時、そんなことを尋ねた者がいたかしら」
空気が変わった。
入口に立つダレンが、何か言おうとしてやめる。
「私の母は、あそこから帰れなくなった」
ジーリアは自分の胸元を指した。
「あなたが聞いた、人間の子を身ごもった女。それが母よ」
大地は椅子の背から身を離した。
遠い昔の出来事だと思っていた。その子供が、今、目の前でこちらを見ている。
「母を匿った者たちまで追われた。戦いで傷ついて、私を産んで、死んだと聞かされた。私には、母の声も分からない」
彼女は淡々と話した。
その調子を保つために、何度同じ話を自分へ語ったのだろう。
「ネイアスは、昔のことだと言った?」
「自分たちが正しかっただけでは済まない、と」
「便利な言い方ね」
ジーリアが笑った。
大地には、それに続ける言葉が見つからなかった。
*
面会が終わると、ダレンは一団を集会小屋へ案内した。
床を空け、馬を繋ぐ場所まで、里の者が手伝ってくれる。
フランに近づいた子供が、羽へ伸ばした手を引っ込めた。
「さわっても、いい?」
「そっとね」
フランが片方の羽を広げる。小さな指が、おそるおそる触れた。
その姿を窓の外から見ていたジーリアが、大地へ声をかけた。
「公演は明日でどうかしら」
「警備の人も、休めますか」
「交代で見せるわ」
女王は即答した。
大地は頷いた。少なくとも、この里の人々を喜ばせたいという願いまで疑いたくはなかった。
広場を確かめていると、木箱を抱えた老女が通りかかった。
中には、土を付けた苗が並んでいる。
「どけますよ」
「そっと頼むよ。根を傷めると育たない」
大地が箱の片側を持つと、苗の間に一つだけ、淡く光る種があった。
「これは?」
「昔、世界樹から持ち出した実の種さ。私たちには、これしか残っていない」
老女は布をかぶせた。
「樹から生まれる妖精の揺り籠だと言われている。けれど、まだ一度も芽を出さない」
マルディが、布の端を見る。
大地はそれ以上触れず、箱を指定された棚へ運んだ。
*
夜、ジャンヌは剣の手入れをしていた。
「どう思う?」
大地が尋ねると、布を動かす手が止まった。
「私も、母を殺した者を追った。目の前にいれば、冷静でいられたとは言えない」
「でも、向こうの子供を追い出すのは違う」
「ああ。そこは、言わねばならない」
ジャンヌは刃を鞘へ戻した。
「憎む理由を知ったからといって、何をされても受け入れる必要はない。お前もだ、大地」
大地は頷いた。
窓の向こうでは、明日の公演に使う長椅子を、ダレンたちが運んでいた。
笑い声が、一つ聞こえた。
ここで戦いが始まるとしたら、この声を出した者も剣を取るのだ。




