6.金色の一歩
「そこから、もう半歩」
大地が地面の印を指した。
金色の前足が、ゆっくりと土を踏む。
止まる。
尾も、隣の木箱には当たらない。
『今度は、僕の横です』
ラステリが、離れた場所で跳ねた。
ライオン姿のジャンヌが顔を向ける。
歩き出す前に、一度大地を見た。
大地は頷いた。
「ああ。いつもの速さで」
*
ユグドゥーラで場所を借りてから、練習を重ねた。
走らない。
跳ばない。
まずは歩き、目印で止まる。
それでも、最初は簡単ではなかった。
視線を上げると、足元の印を見失う。
ラステリに近づきすぎて、彼が慌てて下がったこともある。
元の姿へ戻ったジャンヌが、地面の足跡を見比べた。
「これでは、隣で演じる方が困るな」
『僕も、立つ場所を変えすぎました』
「なら、両方直そう」
大地は目印を置き直す。
入ってくる場所。
止まる場所。
戻る道。
マルディには客席から見える景色を確かめてもらい、フランには動きの区切りに合わせて短く歌ってもらった。
ラステリが転がした玉を、前足でそっと止める動きも練習した。
強く押さえず、足を上げたらラステリが回収する。
一度終えるごとに休み、同じ動きができるか確かめる。
公演の朝には、ジャンヌはラステリの横で落ち着いて足を止められるようになっていた。
「本番では、ここまでだ」
大地が言う。
「練習でできなかったことは、増やさない」
「分かっている」
ジャンヌは返事をし、少し考えた。
「ただ、一つ。最後に、客席へ礼をしたい」
大地は彼女を見る。
「それも、今から確かめよう」
*
夕方、広場に人が集まった。
リオルは客席の脇に立ち、ネイアスは後ろの席に座っている。
子供を膝へ乗せる父親。
仕事の手を拭きながら来た女性。
立ったまま、腕を組んでいる者もいた。
大地は、皆の顔を見渡した。
「サーカス団、ソル・フロールです」
軽く一礼する。
右手を掲げ、目にかかった髪を払った。
「さぁ、開演だ!」
灯りがつく。
ラステリが舞台の真ん中へ跳ねた。
玉を一つ。
二つ。
受け止めた身体の反対側から、別の玉を放り上げる。
子供が目を丸くした。
隣の母親へ何か囁く。
次の玉をマルディが受け取ろうとして、空の帽子を差し出した。
ラステリは、その帽子まで受け止める。
「あっ、そっちは返してほしいっす!」
慌てる道化に、最前列から笑い声が漏れた。
マルディが帽子を取り戻してお辞儀すると、中から幻の花がこぼれた。
身を引いていた子供が、今度は前へ乗り出す。
大地は舞台袖へ目を向けた。
ジャンヌが立っている。
練習した道へ、障害物はない。
「いけるか?」
「ああ」
いつもと同じ、短い返事。
けれど、剣の柄に置かれていない手が、一度だけ開いて閉じた。
大地が小さく頷く。
彼女も頷き返した。
*
「次は、新しい団員の出番です」
大地の声に、客席の顔が上がる。
「驚くかもしれませんが、舞台の中でお楽しみください。彼女の名前は、ジャンヌ」
ジャンヌが前へ出た。
客席へ、一礼する。
「聖獣化」
淡い光。
金色の毛並みが、灯りを受けた。
ざわめきが広がる。
椅子を引く音。
子供を抱き寄せる腕。
ジャンヌは、決めた場所から動かなかった。
大地も慌てて次の合図を出さない。
金色の目が、客席を見ている。
やがて、ざわめきの中から小さな声がした。
「……さっきのお姉さん?」
大地が笑う。
「そう。うちの、大切な仲間です」
ラステリが、その横へ跳ねた。
玉を一つ、軽く転がす。
ジャンヌが前足を下ろす。
玉が、足元で止まった。
ラステリは、わざと反対側を探してみせる。
身体を伸ばし、縮め、舞台の端へ。
「そっちじゃないよ!」
最前列の子供が声を上げた。
「ライオンのところ!」
ラステリが振り返る。
ジャンヌは客席へ顔を向け、それから玉を見る。
前足を上げた。
そこへラステリが近づき、玉を回収する。
何事もなかったように高く掲げた。
笑い声が広がった。
大地が、次の合図を送る。
フランの短い旋律が流れた。
ジャンヌが歩く。
ラステリと、少し間を空けて並ぶ。
目印のところで、止まった。
一拍。
二人が揃って、頭を下げる。
小さな拍手が鳴った。
リオルだった。
隣の里人が続き、その音が広場へ広がる。
ジャンヌの耳が動いた。
それでも、もう一歩足したりはしない。
練習した道を戻り、舞台袖で元の姿へ戻った。
大地が待っていた。
「できたな」
ジャンヌが息を吐く。
舞台の方へ顔を向けたまま、頷いた。
「……ああ。聞こえた」
その言葉だけで、大地には十分だった。
*
公演の最後は、フランの歌だった。
大地たちは横へ並び、もう一度、頭を下げる。
客席から、手が振られた。
里へ来た日に、窓からこちらを覗いていた子供もいる。
ジャンヌは少しぎこちなく、手を振り返した。
ネイアスが立ち上がる。
「リオルの話だけでは、想像できなかったな」
大地へ向ける声は、面会の時より柔らかかった。
「楽しんでもらえましたか」
「ああ。子供たちも、よく見ていた」
大地は安堵し、息を吐いた。
その時、広場の入口から警備の男が来た。
立ち止まって、一度客席を見る。
ネイアスへ近づき、小声で何か伝えた。
里長の顔が変わった。
「使者は、どこにいる」
「入口で待たせています。ドゥラレヴィの女王からの書状を持っていると」
大地は、片付けようとしていた玉を止めた。
ネイアスが立ち去る前に、警備の男がもう一つ告げる。
「それと……サーカス団の団長にも、伝えたいことがあるそうです」
今度は、大地が顔を上げた。
まだ拍手の余韻が残る広場へ、森の向こうからの言葉が届こうとしていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
もし少しでも面白いと感じていただけたら、
下の【★★★★★】から評価をしていただけると嬉しいです!
この★の数が作品の伸びに直結するので、
本当に大きな力になります…!
また、ブックマークしていただけると
更新通知が届くので見逃し防止にもなります!
引き続き応援よろしくお願いします!




