4.世界樹の見える場所
三歩目で、尾が木箱に当たった。
大地は転がりかけた箱を押さえる。
金色のライオンが、ぴたりと止まった。
耳が、わずかに伏せられている。
「大丈夫。空箱だ」
出発前の早朝。
宿の裏庭をもう一度借り、ジャンヌは聖獣化の練習をしていた。
昨日は変化と解除だけ。
今日は、少し歩いて止まるところまでだ。
大地が地面の線を指す。
「もう一度。急がなくていい」
前足が、一歩出る。
後ろ足が続く。
人の姿とは違う重心を探しながら、ジャンヌはゆっくり進んだ。
『ここです』
線の横で、ラステリが小さく跳ねる。
ジャンヌは線を少し越え、それから足を止めた。
「さっきより近い」
マルディが、倒れない位置へ木箱を寄せる。
「尾の分も、場所がいるっすね。舞台の端ぎりぎりはやめた方がよさそうっす」
金色の目が、自分の尾へ向いた。
ジャンヌはもう一度、ゆっくり歩く。
次は線の手前で止まった。
フランが拍手した。
「止まれた!」
大地も笑った。
「ああ。今日はここまでだ」
光がほどけ、ジャンヌが元の姿へ戻る。
彼女は水を受け取り、地面の線を見た。
「剣を振れたからといって、何でもできるわけではないな」
「でも、自分で止まれた」
「ああ」
その返事には、小さな満足があった。
*
宿の前には、リオルが来ていた。
大地たちは借りた場所を片付け、主人へ礼を言う。
「行けなかったら、戻ってきな。馬の場所は空けておくよ」
「ありがとうございます」
大地が頭を下げると、通りの向こうから子供が手を振った。
昨日の公演を見ていた子だ。
「また来てね!」
荷台から、フランが大きく手を振り返す。
馬車が動き始めた。
ダレンは先に発っていた。
預かった木の実の袋は、食料と一緒にしまってある。
街道をしばらく進むと、畑が少なくなった。
道の両側に木が増え、風の音が変わっていく。
「止まってくれ」
リオルが呼びかけたのは、道が二つに分かれる場所だった。
片方には、深い轍。
もう片方は狭く、下草が道へ伸びている。
彼は広い方を指した。
「こちらがユグドゥーラへの道だ。馬車なら進める」
大地は、細い道へも目を向けた。
踏まれたばかりの草が倒れている。
ダレンも、この道を通ったのだろうか。
「ドゥラレヴィへは、あちらから?」
「ああ。ただ、途中の道までは私にも案内できない」
リオルは答え、それから少し声を落とした。
「この先では、向こうの里の話をする相手は選んだ方がいい」
「話をしただけでも、疑われますか」
「今は、そう受け取る者もいる」
ジャンヌが顔を上げる。
「お前もか?」
リオルはすぐには答えなかった。
「……私も、昨日は確かめに行った」
大地たちは、それ以上問い詰めなかった。
馬車を広い道へ向ける。
二本の道は、木々の間で見えなくなった。
*
森の中は、昼でも光が柔らかかった。
葉の間を抜ける日差しが、馬の背に揺れる。
鳥の声。
湿った土の匂い。
だが、街道で見かけたような人の往来はない。
やがて、リオルが馬車を降りた。
「ここから先は、私が前を歩く」
道の先に、木で組まれた柵があった。
その前に、武装したエルフが二人。
弓は下げているが、視線は大地たちから離れない。
「止まれ」
一人が手を上げた。
リオルが進み、名前を告げる。
「町で会った旅のサーカス団だ。里に入る前に、話を聞いてもらいたい」
警備の男が、大地を見る。
次にラステリ。
フラン。
そして、荷台のマルディで目を止めた。
「……随分、変わった一団だな」
「よく言われるっす」
「団長の大地です」
大地は御者台から降りた。
「勝手に入るつもりはありません。荷も確認してください」
ジャンヌも降り、馬のそばへ立つ。
剣は鞘に収めたままだ。
大地の右手で、ジレンツも静かな指輪の姿を保っていた。
幕。
玉。
布。
道化の帽子。
箱を開けるたびに、警備の男の眉が寄る。
マルディが被り直そうとした帽子まで、裏側を調べられた。
「中には何もいないっすよ。今は」
「マルディ」
「はいっす」
大地に呼ばれ、道化は静かに両手を下ろした。
最後に、食料の袋が開かれた。
男の指が、木の実を包んだ小袋へ伸びる。
一つ取り出し、表情を変えた。
「これは、どこで手に入れた」
「町で。ドゥラレヴィのダレンという人から、旅の食料にと」
一瞬、空気が止まった。
もう一人のエルフが、柵の前へ立つ。
「向こうの者と会っていたのか」
大地は頷く。
「公演を見に来てくれました。里の話も聞きました」
「何を頼まれた?」
声が硬くなる。
「子供たちにも、公演を見せたいと。ですが、里へ行く約束はまだしていません」
男がリオルを見た。
「知っていて連れてきたのか」
「知っている。私も同じ公演を見ていた」
「ならば――」
「だから、ここで確かめてもらっている」
リオルは相手の言葉を遮った。
大きな声ではない。
その背中が、少しだけ強張っていた。
大地は、開いた箱の隣で待った。
もらった袋を隠さずに済んだことへ、今は安堵していた。
ここで荷から見つかって、初めて嘘をつく方が怖かった。
*
話し合いの末、警備の一人が里へ知らせに向かった。
大地たちは、柵の手前で返事を待つことになった。
フランが、小さく大地の袖を引く。
「とと。あれ」
彼女の視線を追う。
木々の間で、道が少しだけ開けていた。
遠くの森を越え、その向こうへ伸びる巨大な影。
最初は、山だと思った。
違う。
太い幹が空へ伸び、枝が遥か上で広がっている。
葉の重なりは、森そのものをもう一つ持ち上げたようだった。
「……世界樹だ」
リオルが言う。
声が、わずかに柔らかくなった。
「私たちは、あの樹のそばで暮らしている」
大地は見上げたまま、言葉を失った。
その姿を、ダレンも見て育ったのだろうか。
それとも、帰れない場所として話に聞いてきたのだろうか。
まだ、何も知らない。
手元では、警備の男が小袋を調べている。
一つの樹の姿を眺めるにも、ここには柵があった。
やがて、里へ向かったエルフが戻ってきた。
「ネイアス様が、話を聞くそうだ」
大地が顔を上げる。
「ただし、舞台を出す許可ではない。まずは団長、お前からだ」
柵の留め具が、外された。




