2.帰る場所、立つ舞台
「元々、俺たちの故郷でもあるんだ」
旅人の拳が、膝の上で握られていた。
大地は運びかけた椅子を戻し、彼にも勧めた。
「昔は、一緒に暮らしていたんですか」
「ああ。世界樹のもとでな。エルフも、俺たちダークエルフも」
旅人が腰を下ろす。
片付けを終えたジャンヌが、大地の隣へ立った。
「戦争で、俺たちは追い出された。今の里は、その後に築いた場所だ」
「何がきっかけで?」
旅人は、すぐには答えなかった。
「……長い話だ。俺が知っているのも、里で伝えられてきたことだからな」
自分の拳へ目を落とす。
「ただ、追われた後も生きてきた。畑を作り、家を建て、子を育てて。故郷を忘れたわけじゃない」
夕方の風が、広場を抜けた。
「女王様は、世界樹を取り戻そうとしている」
「ドゥラレヴィの女王?」
「ジーリア様だ。里の暮らしを支えてくださっている。俺がこうして買い出しに来られるのも、帰って荷を受け取る者がいるからだ」
足元の袋には、町で買った針や糸が覗いていた。
武器ではない。
大地はそれを見てから、顔を上げた。
「里の子供たちにも、歌を聞かせたいと言っていましたね」
「ああ。あの帽子を追いかける骸骨も、きっと喜ぶ」
「歌だけじゃなかったっすか!」
荷台から声が飛ぶ。
旅人の顔が、初めて少し緩んだ。
「明日の公演も、見に来てください。そのあと、道のことも聞かせてもらえますか」
「里へ来るのか?」
「まだ決めていません。俺たちは、森の様子をほとんど知らないので」
大地は言葉を選んだ。
「公演するなら、迎える側にも納得してもらいたい」
旅人がゆっくり頷く。
「分かった。明日、また来る」
*
宿へ戻る途中、ジャンヌが口を開いた。
「故郷を取り戻したい気持ちは、分かる」
大地は隣を見る。
「だから、すぐに味方をすると?」
「いや」
彼女は首を振った。
「私には、向こうの里で暮らす者の顔が見えていない。あの男にも、同じものが見えていないのかもしれない」
自分たちは、城に残っていた兵士の事情さえ知らなかった。
門を開けた男には、牢に囚われた弟がいた。
ジャンヌは、あの兄弟のことを思い出していた。
「話を聞くなら、もう片方からもだな」
「ああ」
大地が頷く。
「まずは、明日の公演をちゃんとやろう」
*
翌朝。
ジャンヌは宿で借りた裏庭に、大地を呼んだ。
剣は壁際へ置いてある。
首元には、向日葵の飾り。
「聖獣化を、試してみたい」
大地が彼女の顔を見る。
「傷は?」
「動くのに支障はない。だが、何が起きるか分からないから、一人ではやらない」
「……分かった。みんなにも声をかけよう」
宿の主人には、新しい芸の練習をすると伝えた。
人が入らないよう裏庭を借り直し、道具も端へ寄せる。
フランとマルディは離れた場所へ。
ラステリも、ジャンヌの足元から下がった。
「今日は、変われるか確かめるだけだ」
「分かっている」
ジャンヌが目を閉じる。
自分の内側へ意識を向け、息を整えた。
「……聖獣化」
淡い光が、身体を包んだ。
大地は思わず、息を止めた。
立っていた彼女の輪郭が低くなり、四つの足が地面を捉える。
金色の毛並み。
しなやかな背中。
長い尾が、ゆっくり揺れた。
そこにいたのは、一頭のライオンだった。
「じゃんぬ……?」
フランが小さく呼ぶ。
ライオンの耳が動いた。
その金色の目が、フランへ向く。
大地はしゃがんだ。
少し距離を空けたまま、視線を合わせる。
「聞こえてるか?」
ジャンヌが、一度頷いた。
「戻れそうなら、戻ってみよう。動くのは、それからでいい」
彼女は動かずに目を閉じた。
尾の動きが止まる。
数呼吸のあと、再び光が包み、見慣れた姿へ戻った。
大地が差し出した椅子へ、ジャンヌが腰を下ろす。
「……妙な感覚だ」
「気分は悪くないか」
「ああ。ただ、立ち方から違う。走れると思うが、どう止まるかは分からない」
自分の足を見て、眉を寄せる。
「試さなくてよかったな」
「そうだな」
大地は水を渡した。
変われた。
戻ることもできた。
それ以上は、まだ何も確かめていない。
「今日は、ここまでにしよう」
ジャンヌは少し惜しそうに裏庭を見たが、頷いた。
*
『ジャンヌさん、すごかったです』
ラステリが椅子の横へ来た。
「驚かせたか?」
『少し。でも、あの姿で舞台に出たら、きっとみんな驚きます』
ジャンヌの手が止まった。
「……舞台に?」
「似合うと思うっすよ。堂々と歩くだけでも、目を引くっす」
マルディが両手で、大きな輪を描く。
「ラステリと並んだら、体の大きさの違いも使えるな」
大地が言いかけ、ジャンヌを見た。
「やってみたいか?」
彼女はすぐには答えなかった。
昨日、布の向こうから見えた子供の顔。
自分の仕草で、広がった笑い声。
「……ああ。道具を渡すだけでなく、私にもできるなら」
「じゃあ、歩くところから練習しよう。合図して、止まって、仲間と位置を合わせる」
「剣の稽古より、地味だな」
「そこが合わないと、隣に立てないからな」
『僕も、一緒に練習します!』
フランが羽を揺らした。
「わたし、歌う!」
ジャンヌは仲間を見回した。
そして、首元の花へそっと触れる。
「頼む」
短い言葉に、皆が頷いた。
*
昼前、広場の支度を始めた頃。
昨日のダークエルフが、約束通りに現れた。
だが、大地へ声をかける前に足を止める。
その視線の先には、別の旅人がいた。
白い肌と、尖った耳。
昨日、同じ公演を見ていたエルフだった。
彼もまた、大地に話しかけようとしていた。
「……森へ行くと聞いた」
エルフが先に口を開く。
「ユグドゥーラまでなら、道を教えられる。ただし、先に確かめたい」
視線が、ダークエルフへ移った。
「お前たちは、誰に招かれている?」
ダークエルフの袋が、握り締められた。
ジャンヌは大地の横へ立った。
剣へは、手をかけない。
大地は二人の顔を見た。
昨日、置き去りにされた空席を思い出す。
「まだ、誰の招きも受けていません」
まず、そう答えた。
「これから話を聞きたいんです。二人とも」




