39・興醒めのかおり
「楔ねぇ」
「そう、楔だよ。焼けるように熱く、そしてたくましい、オスの象徴……」
鼓膜に染み込むような声。
異国の美少年剣士リシェルが、比喩をふんだんに用いて、なめらかにささやく。
何のことを言ってるのかは、わかる。
何をやれと言ってるのかも、わかる。
これがわからないほど俺は鈍感でもなければピュアでもない。
早い話が、この少年は、あの苦労人ぽい騎士から俺へと鞍替えしたいと、強い男である俺に抱かれることを望んでいるのだ。
やられたいのだ。
だから、乗り換えるとか言ってたんだな、さっき。
……うん、ひどい尻軽だ。
せめて四十九日が終わってからにしろよ。草葉の陰で元カレが泣いてるぞ。俺を口説くよりも先にさ、あの人がお亡くなりになった現場でアーメンのひとつくらい言ってやれよな。でなきゃ浮かばれないぞ。
騎士クラウス。
聖オリヴィエ騎士団に所属していた、聖剣の使い手。
違法な大金が眠っていた廃棄施設で呪いにやられて一発で腐れ死に、持っていた『守護者の剣』ごとその遺体は要塞みたいなブルドーザーの錆となった。
「なんか知らんけど死んでた」という感想しか出てこないその死に様は、同情する気も起きないほどの呆気なさだった。
この少年の話からすると…………おそらく。
あのクラウスさんとこの少年も、そういう関係だったのだろう。
男と男の、生々しい関係。
剣と鞘の間柄。
(……あの物腰柔らかくて穏やかな人が、こんな若い子を手込めにするとはなぁ……)
想像すらしなかったわ。
人は見かけによらないとは、よく言ったもんだね。
それとも、今の俺みたいに誘惑でもされて、ついムラムラきて我慢できず、その気になったのかな。
いったいどっちだったんだろ。
──と、それはともかく。
リシェル少年が、俺を求めているのはわかった。
わかったが。
実際にその要求を受け入れるかどうかは、また別の話だ。
「おっ、そうだな」と二つ返事で賛同してこのソファーをベッド代わりにギシギシアンアンして男同士のただれた友情をピストン運動で深めるかといわれたら、ちょっと考えさせてほしい。
確かに、この少年は綺麗だ。
この容姿で甘い言葉まで駆使して口説かれたら、そっちの気がない者でも、乗り気になりそうなほどに。
でも俺、化け物なんでな……。
性的にじゃなくて、物理的に食いたい性分なんだよね……。
そっちの誘いなら喜んで乗ったのに……
……ってそれも無いな。ないない。
この少年が更生のしようがないくらいの根性ウンコで誰からも愛想を尽かされた非道な人間だったら、この場でディナーにしても許されたかもしれないが……。
そんなに悪い性格じゃないんだよな。なかなかの自信家ではあるが。
しかも、自信家なだけあって、優れた才能持ちときてる。
こりゃ食ったら駄目ですね。いけません。
「ふふ……男とするのは、初めて?」
「まあな」
肉を食らったり血を飲んだりしたことならあるけど、口説かれるのは未知の経験だ。しかも年下の少年に。
「そう。だったら僕がリードしてあげないといけないね」
リシェル少年が、自分の唇を、べろりと舌で一周させた。
向かい合い、接近していた顔を、ゆっくりと時間をかけてさらに接近させてくる。
チューでもする気かな。
いや、そんなぬるいもんじゃなく、ディープなやつを初手からかまして、優位に立つつもりかもしれない。
「──と、思ってたんだけど」
顔と顔が、ゆっくりとすれ違う。
俺の右側へ。
リシェル少年からしたら、俺の左側。
じわりじわりとすれ違いながら、リシェル少年の顔の高さが低くなっていく。
美しい顔が、スローな動きで、俺の、右の首筋に寄っていく。
クンクン……
数度、鼻を鳴らした。
匂いでもかいでいるのか?
リシェル少年は、素早く顔を引き戻すと俺の顔をじっと見て、
「…………ヤな臭いがするよ。くさいくさい、女の汁のくささ。発情したメスの、品のない甘ったるい臭いが」
怒ったような、すねたような表情で、そう言った。
「あー……」
そういやそうだったな。
さっき玉鎮のいろんな液体で濡れたばかりだった。
タオルで拭いたりシャツ着替えたりしたが、それくらいじゃ匂いまでは取れないか。ここまで密着した距離だとさすがに鼻につくんだな。
食欲をそそるいい匂いだと思うんだが……そうか、品のない甘ったるさときたか。
男を好きな男からしたら、そんなふうに感じるとはね。
もしくは、これから一戦交えようとしてる相手からそんな匂いがしたことへの不快さから、嫌悪しただけなのかもしれないが……。
「僕に会いにくる前に、どこかの誰かさんを抱いてくるとか、とんだ色男だね。男は経験なくても女の扱いは手慣れてるわけだ」
「そう言われたらそうだが、ちょっと違うんだけど……」
手慣れてきたのは確かだが、それは気持ち良くしてやったり活力を与えてやったりする行為であって、おたくがやりたがっている行為とは違うんだよ。
「誤解だとでも言いたいの?」
「そこが難しいところだ」
「だったら、次までにうまい言い訳を考えておくんだね……よっ、と」
リシェル少年が、跳ねるように俺の膝から立ち上がった。
興味がなくなったとばかりに、すたすたと元いたパイプ椅子へと戻り、腰かける。
「そんな乳くさい香水をつけられてたら、ムードも何もあったものじゃない。僕を従順にさせるのは、またの機会だね」
と言い、この件はもう終わりとばかりに、うっすら微笑んだ。
一方的に抱かれようとしてきて、
一方的に興醒めして、
一方的にキャンセル。
話が通じないというか、自分の話を進めることしか頭にないというか……これは、やりたいことをやるためなら平然と暴走するタイプだ。歯止めがない。俺を仕留めに来日しただけはある。
どうしたものか。
あとで本当にヤっちゃって言うこときかせないとならんのか。
……男同士かぁ……まだ女としたこともないのになぁ俺……。
と、今後どうするかはさておき。
もうこれ以上いても収穫も進展も無さげなので、二三、世間話を交わしてから部屋を出た。
「んじゃ、またな」
「じゃあね。いつでも来ていいからね。待ってるよ」
扉を閉め、カードキーで鍵をかける。
内からではなく、外から簡単にロックできる扉。自由にふらふらしてほしくないお客様に滞在してもらうための部屋の扉だ。
カードキーだが、玉鎮の治療をおこなう前に、ちーちゃんさんがくれたのだ。
「これがあれば、そこらの部屋の扉ならスッと開け閉めできるっスよ!」とのことだ。序盤で手に入る鍵みたいなもんだな。銀とか盗賊とか。
別に使うことなんかないと思ったのだが……間狩たちも持ってるとのことで一応もらっといたのだが、まさか早速使うとはね。
無くさないよう──いや、壊さないようにしないとな。俺はしょっちゅう酷い目に合わされてるから。
嫌な星のもとに生まれたもんだなと思いながら、俺は今度こそ外の空気を浴びるために玄関へと向かったのだった──




