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悲願花  作者: 非常食
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それからさらに時が過ぎた。赤子は声を上げて笑うようになり、手を伸ばし、誰かを求める仕草を覚えた。屋敷の中心は完全にそこへ移り、視線も言葉もすべてがその小さな存在へ向けられる。ハイリはそのすぐそばにいた。以前より近く、長く、呼ばれなくともそこにいてよくなり、むしろ「いて当然」の位置に収まっていた。「ハイリ様がいると安心ですわ」と誰かが言う。その言葉は温かいのに軽く、理由は分からないまま、ここにいていいのだとだけ理解できた。


ある日、客人が訪れた。揺り籠を覗き込み微笑んだ後、ふとハイリへ視線を向ける。「その子は?」短い問いに、夫人は迷いなく答えた。「この子のための子ですわ。とてもよくできているでしょう?この子が落ち着くの」客人は頷く。「まあ、そういう子は必要ですものね」必要。その言葉が静かに落ちる。ハイリは揺り籠を見つめたまま瞬きをする。“この子のための子”。意味はもう分かる。分かってしまう。胸の奥が一度だけ強く脈打つ。もしこの子が満たされれば、自分はいらなくなる。その予感だけがはっきりと形を持つ。だが涙は出ない。泣く理由ではなく、消える理由として理解しただけだった。


消えたくない、と初めてはっきり思う。ハイリはそっと手を伸ばし、小さな手に触れる。ぎゅ、と握られる弱い力が確かにそこにある。温かい。その温もりが自分を繋ぎ止める。「……だいじょうぶ」小さく呟く。その瞬間、答えのようなものが浮かぶ。この子の中にいればいい。この子が自分を必要とする限り、自分は消えない。「ね」顔を近づけ、まだ何も知らない瞳を覗き込む。「わたくし、ここにおります」ゆっくりと、教え込むように。「ここに、おりますから」


赤子は意味もなく瞬きをし、やがて小さく笑う。ただの反射。それでもハイリには十分だった。「……ああ」胸の奥が静かに満ちていく。「もう、大丈夫」この子の中に自分は残る。声も仕草も温もりも、少しずつ置いていけばいい。そうすれば消えない。ハイリは手を握ったまま、静かに思う。


これで、わたくしは消えません。

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