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その日もハイリは揺り籠のそばにいた。小さな手が指を掴み、離して、また掴む。繰り返されるその動きが愛おしくて、時間の流れが緩やかになる。泣き声は前より短く、揺らせばすぐに落ち着くようになっていた。自分の手の動きが、この子に届いているのだと思うと、胸の奥が静かに満たされる。
「上手ね、ハイリ」
夫人の声が背後から落ちる。振り返ると、寝台にもたれたままこちらを見ていた。顔色はまだ完全ではないが、その目は柔らかい。
「はい」ハイリは小さく頷く。「ねむりそうです」
「ええ、あなたがいると落ち着くのね」
その言葉に、ほんの少しだけ背筋が伸びる。役に立てているのだと分かる瞬間が、こんなにも温かいとは知らなかった。
そのまま揺り籠を見つめていると、扉の向こうで控えていた侍女たちの声が重なる。小さく、しかしはっきりと耳に届く距離だった。
「本当に助かりますね」「ええ、この子のために用意しておいて良かったですわ」「あの子がいれば、将来も安心ですものね」
言葉は軽く、穏やかに交わされる。誰も声を潜めようとはしていない。ただの事実を確認するように、当たり前の調子で。
ハイリは揺り籠を見つめたまま、ゆっくりと瞬きをする。
“この子のために用意しておいて”
その言葉が、頭の中で静かに形を取る。
意味は、完全には分からない。
けれど、否定する理由もなかった。
「……わたくし」
小さく呟く。
「おやくに、たてておりますか」
夫人は少しだけ目を細めた。「ええ、とても。あなたがいてくれて助かっているわ」
その答えに、胸の奥がほどける。
よかった、と素直に思う。
ここにいていいのだと、初めてはっきり許された気がした。
揺り籠の中で、赤子が小さく動く。まぶたが揺れ、口元がわずかに緩む。次の瞬間、ふっと形のある笑みになる。
ハイリは息を止めた。
「……わらった」
思わずこぼれる。
指をそっと差し出す。触れることはしない。ただ、その表情を壊さないように見つめる。
胸の奥が、温かく満ちていく。
「わたくしに……」
そう思う。
自分に向けられたものだと、疑わなかった。
夫人はその様子を見て、静かに微笑む。
その視線はやはり揺り籠に向けられていたが、ハイリは気づかない。
ただ、その場にいることを許されている安心だけを抱きしめていた。
「おともだちですもの」
小さく、確かめるように言う。
その言葉は、誰にも否定されない。
だからこそ、静かにそこに残った。




