エピローグ
歴史と人間の関係について江藤淳は次のように書いています。
「私たちは生きるために時代や歴史を呼び寄せようとし、あるいは拒否しようとしている」
歴史や時代というものがあらかじめ用意されていて、それに従って人間が生きているわけではありません。むしろ、逆に、人間は単純に生きようとしています。懸命に生きようとするうちに知らず知らずに歴史と時代を招き寄せているのです。
本書に登場した歴史修正主義者も生きていました。反対の立場にいた歴史正統史観の御用学者や御用官僚たちも生きていました。そして、歴史の主役たちも生きていました。フランクリン・ルーズベルトも生きようとしたのでしょう。チャーチルやスターリンや東條英機も生きようとしていました。石田三成も徳川家康も、そして無尽蔵の無辜の民もまた生きようとしていました。その結果として、あの時代のあの歴史が招き寄せられたのです。この視点を欠いて歴史を語るとき、その歴史は誤謬となります。因果関係が逆転しているからです。
しかし、ときの権力は、意図して歴史の因果関係を狂わせて虚構をあえて創り上げ、流布させます。権力の正統性を示すためです。権力は多額の予算と多数の御用学者と各種報道機関を動員します。その結果、多くの人々が誤謬を信じ込まされてしまいます。
そんな時代の最中にあって歴史の捏造を喝破し、脱却し、修正して真実を追究する運動が歴史修正主義です。
歴史はつねに揺れ動いています。なぜなら歴史は解釈の学問だからです。たとえ信用度の高い史料が存在する場合でも、その史料に書かれた内容を解釈する歴史家の立場はさまざまです。したがって、ひとつの史料に対して正反対の解釈が並立したりします
歴史は権力の興亡を描きますから、必然的に権力と無縁ではいられません。だから、歴史家が権力の側にいるのか、その反対側にいるのかによって正反対の解釈が生まれます。
権力は、その正統性を示すため有りもしない伝説を捏造したり、都合の悪い歴史的事実を隠したりします。切迫した状況下では焚書、粛清、検閲、逮捕、公職追放、プロパガンダ、裁判劇などを実施します。この事情は独裁国家であれ、民主国家であれ同じです。
正統主義史観に立つ歴史家は、客観的にみて御用学者です。彼らは権力の代弁者となって権力擁護の歴史を書き、ひろめる人々です。大学教授などが典型です。これはこれで必要な人材であり、職業であると思います。いたずらに権力をけなして世を乱しても良いことはありません。権力を守る人間がいてもいい。歴史家も人間である以上、地位や名誉や月給とひきかえに、その雇い主たる権力の意思に従わざるを得ないのです。そのような正統派学者の集まる学会が歴史修正主義を拒絶するのは当然です。
しかし、権力とは無縁な立場にいて、自由に調べ、自由に解釈する歴史家も存在します。その自由とひきかえに、在野の歴史修正主義者は世の片隅に存在するだけで、注目されることはまずありません。それでも歴史修正主義は地下茎のように時代の土中にひそみつつ生命をはぐくみ、時を得れば芽を地上に出して高々と伸び上がるでしょう。
明治維新からほぼ七十年をかけて石田三成の名誉が回復されていったように、政治環境さえ変われば、第二次世界大戦の評価も変わるにちがいありません。しかしながら、その時はまだ到来しそうにありません。なにしろ戦後を生きる日本人にとって、権力とは日本政府などではなく、その上層に存在する連合国(国際連合)であったり、アメリカ政府であったり、中国共産党であったりするからです。
石田三成の次男重成は津軽に落ち延び、津軽藩の庇護のもと、名を隠して秘かに暮らしたといいます。この重成の立場こそ、戦後日本の立場です。いまは雌伏のときです。いずれ時は来ます。それまでは強く生き抜いていくほかありません。
極端な比喩かも知れませんが、歴史にも相場があるようです。株や為替がつねに変動しつづけるように、歴史も長い目で見れば、つねに大きく揺れ動いています。ある特定の歴史観が優勢になる時代もあれば、その歴史観が夢のように消滅し、新たな歴史に書き換えられたりします。株や為替の相場を支配するのは資本ですが、歴史という相場を支配しているのは権力です。
権力が支配する歴史相場のなかで歴史家や政治家や学者や評論家たちがどんな振る舞いをするか。それを見極めることが主権者たる国民の義務のひとつです。
歴史は、必然的に最低でもふたつの視点から論じられます。権力者には自己を正当化したいという動機があります。自分たちの勝利を正統化する必要があるのです。そこで動員されるのが歴史正統主義者です。彼らは御用学者です。権力の庇護下で栄耀栄華を極めますが、そこには様々な欺瞞と捏造が盛り込まれます。プロパガンダです。これに対して歴史修正主義者は真実を追究します。権力に不都合な真実を発掘するゆえに幸薄な存在です。すでに本書に述べたとおり報われることはほとんどありません。それでも歴史の真実を伝える存在です。
「歴史なんてどうでもいいじゃないか。関係ないよ」
などと言わないで下さい。歴史認識が誤っていると、その誤った認識に立脚した政策が推進されていくことになります。戦後日本は、敗戦国ゆえに誤った歴史認識を持たざるを得ず、それに故にこそ誤った政策をたくさん抱え込んでいるのです。あなたの納めた税金の使われ方に歴史認識が深く関係しているのです。歴史は国家の羅針盤なのです。




