きみだからこそ
法定速度も対向車だろうが無視してあっという間に車は現場に到着した。慌てて外に出る。辺りは驚くほど静かだった。バタバタと祐基の近くにスーツのエージェントたちが駆け寄ってくる。
バイザーを上げた一人が祐基の肩を軽く叩いた。
「待ってたぜ、あいつをさっさと正気に戻してやってくれ。恋人が来たならはしゃいでいるのが恥ずかしくなって人間に戻るさ」
軽口を叩いた彼はすぐにバイザーを下ろし、銃を構えた。ぎょっと身を縮めれば「念のためだ」と苦笑される。
「いまからあいつの元まで案内する。大丈夫、きみはいつものレックスを思い出すんだ。アドバイスはひとつ、絶対に怖がるな」
「わかりました、お願いします。やってみます」
覚悟が決まっている祐基に驚いたのか、ガチャ、と銃が鳴った。だがすぐに合図があり、複数人のエージェントに囲まれて祐基はゆっくりと歩きだす。
そして倒壊したビルを抜け、制止して空を見ているウィルの前に進んだ。クルルル、と小さく唸っている。こちらに気づいたのか、恐竜に似ている顔が空から地面へと向けられた。
あそこにいるのはウィルだ。わかっている。
理解しているのに祐基の足はすくんでいた。初めて怪獣ときちんと向き合ったせいだ。三メートルに近い体躯は大型怪獣に振り分けられ〝アダルト〟と呼ばれると教えてもらった。まさしく今目の前にいるものはそうだった。
漆黒の鎧をまとった怪獣は白い息を吐く。動きこそしないが、こちらの様子を伺っている。いつでも攻撃できるはずだ。鋭い歯が覗いた。青い血が滴り、テレビで見た殺戮が脳によぎってしまう。彼の後ろには惨殺された怪獣の死体が転がっている。
「ひるむな」と鋭い言葉が飛んできた。言われても、本能が拒絶したがっている。
(これが、いつもウィルが見ていた景色なんだ。自分が小さいことが怖い。銃があったって立ち向かっていくなんて恐ろしくて仕方ない)
あれはウィルのはずなのに、底から込みあがってくる本能的な恐怖で歯が震えてガチガチと鳴る。体温が急激に冷えていき顔が青ざめていた。あんなものにナイフ一本で戦う彼の凄さを思い知る。
(とんでもないよ、ウィル。かっこよすぎるって。なのに俺の前ではあんなにやさしくなるんだから、変な人だな)
浴びた血も闘争心もすべて洗い流して、きれいな姿で帰ってきてくれる。恐ろしい戦いの後にか「落ち着くから」と祐基を抱きしめて安心感を得ている。
ウィルはそういう男だ。太陽みたいな髪の色をした、暖かな日差しと同じ体温の大型犬。
間違っても怪獣じゃなければ、夜と同じ黒はまったく似合っていない。よぎった彼の照れ笑いに緊張が解けていく。大丈夫、と胸を軽く叩いた。
「うん、ほんとセンスがない。どうせなら大好きなチョコレートドーナツみたいな色にすればよかったのに。そっちの方がおいしそうで俺は好きだな」
エージェントたちにその場にとどまっていて欲しいと訴えて、祐基は一人で歩き出した。ウィルが一瞬警戒心を強めたのか、体勢を低くして爪で地面を引っ掻く。えぐれたところは絶対に見ないようにした。
大丈夫と言い聞かせ、祐基は息を深く吸って恐怖心を殺そうと努めた。あれは大好きな人なのだから、怖がることなんてまったくない。
「ウィル。ウィリアム、俺たち本当に相性が良すぎたんだね」
「グルルル……」
「ごめん、もっと早くあなたがこうなることに危機感を持つべきだった」
鼻先で足が止まる。見上げても固い鎧があるだけだ。待てども攻撃はしてこない。恐る恐る手を伸ばしてみる。触れる前にわずかに動いたから、指が跳ねて止まった。
「大丈夫、もう全部終わったよ。ウィルが倒したんだ」
伸ばした指先が鼻に当たった。体温は感じない。けれど嫌がられなかった。安堵しつつ、撫でれば前足が祐基の後ろに回ってきた。体勢がさらに低くなり、顎が地面につく。まるで犬がもっと撫でて欲しいとねだるような姿勢だ。
耳をくっつけるとキン、キン、と金属がぶつかるような音が聞こえる。
呼吸に合わせて喜んでいるみたいなリズムで鳴っていた。
たまにウィルに抱きついていると聞こえることがあった音。
そのときはくぐもっていてもどかしかったが、いまははっきりと聞こえる。祐基は耳を押し当てて音に集中する。強張っていた力が抜け、早打ちしていた脈も落ち着いていく。
「やっぱりウィルなんだな。よかった、違う人だったらどうしようかと思った」
『ユウ、キ』
「うん、聞こえる。俺のせいでこんなかっこいい姿になっちゃったの?」
『もど、り、たい』
「わかってる。でももう少しこのまま……」
両手を広げてウィルに抱き着き、そっと肌を撫でた。いつもは彼から抱きしめてもらうから新鮮だ。温かさがじんわりと沁みるように出てきて、祐基の冷えた肌に当たる。無抵抗な彼から伝わってくる温度はいつもと変わらない。
「俺にとって、怪獣って完璧の象徴だったんだ。いまはもうその呪縛はなくなったけど、もしかしたら俺が無意識に願ってたのかな。好きな人も完璧になって欲しいって」
おどけてみても返事はない。もう一度ゴツゴツしたところを撫でてから顔を離す。
「ウィルは優しくて、甘えさせ上手で、かっこよくて、マッチョで、ふふ、エッチもうまいし。彼氏として完璧なのにね。でも黒色だけは似合わないから、金色のドラゴンがいい」
『ユ、ユウキ』
「戻ってきて。そうだ、よくあるあれ、やってみようか。キスで目覚めるやつ。あなたに初めてキスされたとき、きっと俺も目が覚めたんだ。だから返してあげるよ」
顎が少し上に向いた。ちょうどいい角度だ。祐基は鼻先を袖で十分に拭く。青い血が取れたのを確認してから、ちゅ、と軽く唇を押し当てた。
するとパキパキとなにかがひび割れたのか、ウィルの体が小刻みに震える。ひびはじょじょに広がっていき中から青い光が溢れだした。彼の肌に浮かんでいた光と同じだ。だから祐基は唇を離さずにウィルを抱きしめ続けた。
しばらくすると剥がれた鎧が地面に落ちていく。光は収縮し、人間の形になっていった。
生えた腕が祐基の背中に回ってきて、力強く抱きしめられる。
固い皮膚が当たっていた唇には柔らかいものが触れた。
すぐに抱きしめ返して、顔を押し付けると舌が入ってくる。
ちゅ、ちゅ、と絡ませて深く気持ちがいい感触を楽しんでから名残惜しいけれど離れた。
そこには素っ裸のウィルが立っていた。顔を真っ赤にして、祐基を見下ろしている。あは、と祐基は情けない彼氏の姿に笑い出す。笑いは止まらず抱き着いてみると涙が出てきた。
「本当に戻るやつがあるかよ! もー、恥ずかしいなぁ」
「同感だ……。しかもこれ報道された。確実にテレビに流れたよな」
「あっ。わ、忘れてた!」
二人できゃーっと叫んで地面に突き刺さった鎧の陰に隠れた。仲間たちが歓喜の声をあげて走ってくるのが聞こえ、ウィルはまた百面相をする。仕事仲間たちにすべて見られたのだからしょうがない。
けれど祐基は大きく息を吐いてウィルにもたれかかった。
「よかったぁ、いつものウィルだ。あはは、かっこつかないの。あー、よかった! 単純すぎ。キスで戻るって、あははっ」
「わ、悪かったな。……ありがとう、祐基。ずっと祐基のこと思い出してたんだ。怪獣に飲み込まれないように必死にきみのことを抱きしめたいって叫び続けてた。英雄よりきみの彼氏でいる方が何百倍もいい」
突き出していた唇にキスをされ、締まりがないと頬を軽くビンタした。報道ヘリが上空を飛んでいるせいで影ができる。
「俺たちこれからどうなるのかな。離れ離れにされる? それともモルモット?」
「わからない。骨を使うリスクがわかってしまった以上、いろいろなことが大きく転換を迎えるはずだ。でも頑張って交渉しよう。大丈夫、俺がこうして元に戻れたんだから、パートナーがいないとだめだって証明してみせる。──愛してるよ、俺のヒーロー」
「俺も、役に立ててうれしい。また怪獣になってもすぐキスしてあげるよ、どんな姿になっても大好きだから」
頬を撫でてきた手に手を重ねる。もう一度顔を近づけたが、エージェントたちが二人を囲んで騒ぎだしたせいでキスはできなかった。




