オレンジは瑞々しく
爽やかな風が通り過ぎる。少し潮風を感じて、くん、と匂いを嗅げばなんだか塩っ辛い。海が近いのがよくわかる。そのまま木に実っていたオレンジをもぎりかごの中に入れた。さんさんと降り注ぐ日差しが熱くて汗を拭う。
祐基はアメリカに来ていた。ウィルの故郷だ。休日を利用して彼の家族が経営している農園に行きたいとごねにごねまくり、ようやく叶ったのだ。
「収穫できた?」
後ろから声をかけられちょっとだけ飛び上がる。麦わら帽子かぶったウィルが恋人のために影を作りに来たらしい。
かごの中身を数え、肩をすくめた。結果はあまり良くない。なにせ景色を見るのに必死で手を動かしていなかった。
「なにも面白い物なんてないだろ。どうせならもっと観光地とか行けばいいのに。もったいない」
「ウィルがどんなところで育ったのか見てみたくって。それに、ご両親も快く迎えてくれたから」
「父さんと母さんって呼んで構わないんだよ」
ウィルが祐基の手を取って、軍手の上から左手の薬指を撫でた。そこには指輪がしてある。パッと振り払って「慣れないんだ!」と強めに訴えた。恥ずかしさを誤魔化すために目についたオレンジをもぎる。
彼の家族はとんでもなく明るく、優しく、陽気な人たちだった。まさしくこの目の前にいるウィリアムくんを育て上げた想像通りの両親で、祐基が訪れたときにもわざわざ空港まで迎えに来てくれた。
姿を見つけた瞬間、初対面にもかかわらずめいっぱいハグしてすぐご飯にも連れていかれた。人生で一番テーブルの上に料理が乗っていたと思う。
自分の元家族とあまりに違いすぎて戸惑ったが、気まずそうなウィルが新鮮で来た甲斐があったと喜んだ。
「ようやく落ち着いてきたのに、まさか里帰りするとはなぁ」
同意してからウィルを見上げる。そろりと近づいて体をくっつければ、彼の上半身が屈んできて口が重なった。さっきオレンジをつまみぐいしたから酸っぱい。
怪獣化という衝撃的な出来事から早くも一年が経っていた。
あれから二人には様々なことが起こったが、幸い仲が引き裂かれたり日常を送れなくなるような結果にはならなかった。マンションに二人で住みながら、祐基は家庭教師、ウィルはエージェントとして働き続けている。
カイジュウニウムの研究が目覚ましく進んだおかげで、世界はほんの少し良くなったらしい。
便宜上つけられていた患者へのパートナーは、いまや骨を持つものとの相性で決められるようになった。むしろ必要だったのはエージェントたち自身だった。
事故で発見されたリスクは早くに対応できる方法がわかっていたので脅威とはみなされず、ウィルが言っていた通り転換を迎えたのだ。さらに怪獣症の発作も抑えられるのだから、二人は英雄として表彰された。
もちろん先駆者としてウィルと祐基は実験にも引き続き協力している。完全に怪獣になったのはあの一度だけだが、ある程度コントロールできるようにウィルは訓練を行っており、いつかウルヴァリンのようになりたいらしい。
そのおかげでご褒美として一週間ほどの休暇が与えられた。怪獣退治に出動せずにそばにいてくれるのが祐基にとっては一番のご褒美だ。嬉しくてたまらない。
キスの感触を確かめていると、昨日の出来事が祐基の脳内に鮮明によみがえった。
夕方近く、農園を案内すると連れ出され、二人で海がよく見える丘の上に歩いて行った。
そこで突然ウィルが片膝をついて、夕陽に照らされた金髪をきらきらと輝かせながら祐基の手に指輪を置いてきた。まさかプロポーズだなんて可能性すら考えてもいなかったから、思わず咳き込みそうになるほどの衝撃だった。
「早すぎると思うかもしれないけど、俺はどの恋人たちよりもきみがいないと生きていけない。そうだろう? だから、もし祐基にこの景色を見てもらう機会があったら、絶対に言おうと思ってたんだ。……結婚しよう。もうとっくにパートナーだけど、俺と家族になってくれますか」
熱烈な告白にめまいがしそうになった。その可能性を夢見た日はあった。けれど祐基にとっての家族は府の象徴だ。まったく、それすらもこの太陽の英雄は書き換えようと来た。もちろん答えはイエス以外なく、自分で指輪を着けてこれでもかと熱いキスを交わした。
(いつの間に用意してたんだか。気づかない俺も、実行しちゃうウィルも変なの)
恋人から家族に変化することに不安はある。それでも彼とならやっていけると信じたい。怪獣だって倒せるんだから大丈夫に決まっている。ふふ、と思わず笑いだしたせいで頬をつつかれた。は、と今日に意識が戻ってくる。
「よく笑うようになってくれてうれしいよ。でもそういうときはよからぬことを考えているってのも知ったけどね」
「俺ってウィルの伴侶になるんだなって噛みしめてたの。一年前は怪獣症にかかって家族に捨てられて死んでやるって思ってたのに、そのおかげでこんな人生になるなんてありえなさすぎて、面白くなってた」
「たしかに、俺もまさか自分が怪獣になるなんて考えもしてなかった。祐基と出会ってなければあのときにハチの巣にされて別の人の骨になってたかもな」
「人生って不思議だね。あとは病気が治れば完璧なのに」
漏れ出した願望に、慌てて口を手で覆った。それはまだ課題が多く難しい望みだ。なによりも『完璧』という言葉を使うのはできるだけ禁止と約束している。ちら、とウィルを横目で見れば困ったように頭を掻いていた。
「治るまでいくらでも付き合うし、守るから安心してくれ。はは、でも少しは自分で怪獣を倒せるように鍛えてもらおうか。体力もつくからすぐにバテて気絶するのも減るだろ」
「げっ、ここでそういうこと言うなよ! デリカシーないな、もう。だってそれはウィルのがでかすぎるのと気持ちいいからで、ごほっ」
言いかけた言葉をとめるために咳をすればウィルの顔が青ざめる。してやったりだ。バシンと尻を叩いて祐基は走り出した。
「あ、こらっ」とウィルも後追いかけ始める。あはは、と笑いが止まらなくなった。
知らない世界はまだまだたくさんある。いくら完璧になるように教育されていても卵の殻に閉じこもったままじゃ飛べない雛のままだ。
殻を破ったいまはなにもかもが輝いている。ドーナツもオレンジも大好きになった。
ウィルとたくさん旅行がしたい。
バイクは風が当たって気持ちがいい。
こうして農園も駆けるのも、泥まみれの靴が地面を踏みしめるのも、世界はたのしいことに溢れている。
まだまだ物足りない。ほんの一部を知ったら欲求はあふれ出してくる。教えて欲しい。世界は自分を中心に回っていると、気づかせてくれた優しい人に愛されたい。
「怪獣さんこちら! 捕まえられたらしてほしいことなんでもしてやるよ!」
「言ったな、現役軍人を舐めるなよ!」
あっという間に掴まって、二人はせっかく収穫したオレンジをまき散らしながら倒れ込んだ。散らばったオレンジ色と綺麗な金色の髪が陽を浴びてまぶしくきらめいた。




