最悪な出会い
カラカラとグラスの中の氷を回す。中身はすでに飲み切っていて空っぽだ。ウィルはため息を吐いて机に突っ伏した。新しいカクテルを作っていたバーテンダーも彼の後頭部を見下ろして眉をひそめた。
ここのところ本当についていないことが続いている。
日本に来てから付き合っていた恋人に振られたのは二週間前で、失意に落ち込み続けていた。なのに三日も連続で出動した上に大型二体、中型一体を対応したせいでほとんど眠れていないし、あげくに患者とのパートナーが決まったときた。
同僚たちからも同情され、いまこうしてやけ酒にふけっている姿は特ダネが欲しい三流雑誌の記者たちの格好の餌食だろう。
「怪獣、最近増えているそうですね」とバーテンダーが目の前にカクテルを置いたので、顔をあげる。
「情報が回るのが早いなぁ。一応隠してるつもりらしいのに。会社の方も対策に必死こいてはいるけど、追いついてないのが現状だよ。家に帰らない日も増えてきた」
「だから彼氏に振られたんですか」
「ごふっ! な、なんてこというんだ、ほかの客もいるんだからやめてくれよ!」
「振られた日にこの店で泣きわめいていた人が何を言ってるんだか。全員から一杯ずつおごってもらっていたでしょ」
「くそー、お代わり!」
一気にグラスを空にしてバーテンダーに突き出す。呆れた彼が次のものを作りに少し離れた。
やれやれと言いたいのはこっちだ。傷をえぐってきて楽しんでいるつもりだろう。常連なのである程度の無礼も許し合える仲だが、別れた彼を運命の相手だと信じてやまなかったウィルの未練はまだ大きい。
仕方なくタバコを取り出し、火をつけたところでだれかが横に座った。
「こんばんわ」
声をかけられたので振り向けば、髪をハーフアップにまとめた若い日本人の青年がウィルに微笑みかけていた。
「こんばんわ。知り合いだったかな」
「初めましてですよ。おひとりですか」
少し身を乗りだして話しかけてくる彼に警戒心を抱く。
職業病だ。日本に来る前は軍隊に所属しており、初見の者をつい観察し敵かどうか見極めようとする。だがウィルはすぐに口角をゆるく上げてうなずいた。
なにせこの店は自分がいま所属している会社の提携先が経営している。怪しいヤツが入ってくる可能性は極めて低く、問題が起こっても容易に対処できるのはわかっていた。
そして青年はウィルにとってかなり好みなタイプだった。
切れ長の涼やかな目元、腰がきゅっと細く、指も長くきれいだ。艶やかな黒髪をまとめているおかげで見える首も長い。
アジア人らしい顔立ちにウィルの気持ちもわずかにあがる。
「残念ながらそう。きみもひとり? よかったら一杯おごるよ」
「え、いいですよ、お気遣いなく。お兄さん日本語上手ですね。それにすごくかっこいいなって思って、つい声かけちゃった」
つ、と伸びてきた指がウィルの手の甲を引っ掻いた。久しぶりの人肌にドキリと心臓が跳ねる。
バーテンダーが空気を呼んでグラスを二つ、彼らの前に置いた。ウィルはタバコをふかして煙をくゆらせつつ、酒を傾けた。
「さっき怪獣の話をしてたのが聞こえて、やっぱり特殊部隊の人? 街で見かけた気がする。すごい筋肉なのも服の上からでもわかるなぁ」
「誘うのが下手だね。慣れてない?」
青年が動揺したのか視線を揺らした。ふ、と軽く笑って彼に向き合う。
「ずいぶん汗をかいているし、口も乾いている。声が上ずっているのは緊張のせいだ。距離の詰め方も性急すぎるかな。おごられるのも遠慮しないで飲んでいいんだよ。乾杯」
カン、とグラス同士をあてれば、青年の顔が引きった。ウィルは気がよくなり酒が進む。
青年の顔からはわざとらしい微笑みが消えてぶっきらぼうさが出てくる。グラスを勢いよく取ると意を決したように勢いよく飲んでしまった。
けれどその仕草に酒を飲み慣れていないのも察しがつく。
「一気飲みするなよ……。それで、俺になにか用かい、少年」
「成人済みです。この店の中だと一番かっこいいのはあなただったから、一発ヤれないかなと思って」
「はい?」
淡々と告げられた内容にウィルは仰天した。まだ幼さの残る顔立ちの彼からそんな言葉が出てくるとは思わなかったせいだ。
「単刀直入に言います。これで俺のこと買ってくれませんか。好きなことなんでもしていいから。きついのでもNGなし。どう?」
目の前に三本指が立てられる。彼の顔と指を何度も見、吸い殻がぽてっと灰皿の上に落ちた。
彼は夕飯を誘うようにウィルに売春を持ちかけてきたのだ。彼氏に振られたというのも聞いていたのだろう。
ゆっくりと彼が発した日本語の意味を咀嚼し、勢いをつけて椅子から立ち上がった。
「馬鹿なこと言うんじゃない! 自分の体を売ろうなんてとんでもないことをするな!」
タバコの火を消して青年の肩を掴み、「いいか」と真剣なまなざしで見つめた。
「いま歳はいくつだ。金がどうしても必要なら貸してあげるよ。それに働く場所も一緒に探そう。見つかるまで手伝うから、絶対にそんなことはやめなさい」
「二十三ですけど。金には困ってない。どうせ就職先なんて決まるわけないし。なんだ、理由が必要なのかもと気を使っただけなのに」
「は? その、つまり、え?」
彼はウィルが残していた酒も飲み切り、足を組むとからかうように笑いだす。
「俺はもうすぐ死ぬかもしれなくて、だから最後によさそうな男と寝ときたかっただけ」
細長い指がウィルの二の腕を揉んだ。それから胸を指でなぞり、腹筋を辿り距離がさらに接近する。触れられたせいでウィルの背中がゾクッと震える。
「体が大きくて強そうなやつがいいんだよね。それに彼氏に振られたならフリーだろ。あと腐れないし、人助けだと思って俺のこと抱いてくれない? あ、むしろ俺が酒おごろっか。それともいくら払えば抱いてくれる?」
彼から畳みかけられた言葉にクラクラした。どうやらアルコールが回ってきているらしく、視界がボヤける。急に立ち上がったのが良くなかった。
青年はよろめいたウィルをなんとか受け止め、「飲みすぎですよー」と呑気な声をかけてくる。
「これじゃだれかが介抱しないとですね。お会計とタクシー呼んでくれます?」
バーテンダーがうなずいたのがボヤける視界の端に見えた。
そしてあれよあれよと店を出て、夜風の冷たさに当たりながらタクシーに押し込められ、気づけばホテル街に来ていた。
けれど自分を支える青年の手はずっと震えていて、いまも逃げ出さないように見張られている。一体どんな覚悟だよ、と失笑しそうになる。
死にそうだから抱いてくれというのもおかしな話じゃないか。普通の思考回路とは思えない。変な子だ。
アルコールでぐらつく脳ではちゃんと考えるのが難しく、さっさとルームキーを受け取った彼に引きずられるように部屋へと向かっていく。
部屋の鍵を開けるのをてこずっていたから、観念して奪い簡単に開けてやった。なるほど、慣れてないのはこっちもか、と呆れる。
「悪いけど本当に休憩だけだ。どう説得しても死に際の子と寝る気は起きないよ。代金は俺が持つから好きなもの頼んでいい」
「もしかして俺のことぜんぜんタイプじゃない? 顔の良さには自信あったんだけど、モテてきたし」
「どうかな。名前は? 俺はウィル。身分を証明できるものとかある?」
「え、言いたくない。……わかったからそんな睨まないでよ。ユウ。それ以上は答えません。服脱いだらその気になってくれる?」
「ならない。いいからユウくんも横に来て寝っ転がろうよ。ここんとこちゃんと寝てなくて眠いんだ。話だけならいくらでも聞いてあげるから」
「嫌だ。準備までしてきてるんだから、せめて、」
「せめて? すごいな、そんなことまでしてどうして男と寝たいんだ? モテるんならもっと歳が近い子とか、あんな下手な真似しなくてもいいじゃん。自分を傷つけるみたいなやり方はするべきじゃない」
青年はウィルの問いから逃げるように風呂場へと駆け込み、ドアを強く閉めた。お互いに引くつもりはないようだ。ほどなくしてシャワーの音が聞こえてきた。
この間に逃げたって良かったが、どうにもユウのことが放っておける気がせず、ウィルは広いベッドに寝たまま携帯の充電を始める。
どうせ宿泊プランだし、ついでに飯でも頼むかとメニューを広げたが食欲はわかなかった。
懇願してきた彼の目は真剣だった。からかうような口調だったが、目の奥には諦めが混じっていて、だから「死ぬかも」と言ってきたのに信憑性を感じた。
いくら何でも必死すぎる。
その理由を知りたいと思うのは当然の欲求だし、ウィルは正義感が強かった。困っているのなら助けたい。力になれることはないかとお節介をかけてしまう。
金が必要なら貸してもいいし、病院の紹介だって、就職先のあっせんも、とにかくやれることならいくらでも手を差し伸べたい。
「そのせいで振られたってのにな、はは」
思わず飛び出た独り言が大きく、慌てて口をふさいだ。幸いユウはまだ風呂に入っている。
安堵してから、天井を眺めた。
助けたいと思うのだったらお望み通り抱いてやればいい。けれどどうにも乗り気にはなれなかった。一晩だけの関係だっていつもなら構わない。経験はあるし、たしかにいまは悲しいことに付き合っている人もいないのでちょうどいいというのもわかる。
ただもし病人だというならやっぱり寝るのはいくらなんでも無理だ。




