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怪獣なんかこわくない  作者: 二代目チウネ


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16/27

海を見てるつもり

 ほんの少しの気まずさは残ってしまったが、二人はようやく本日最後の目的である海にやってきた。


 祐基の言っていた通り吹いてくる風はまだ冷たい。


 夕方近くもあり、人は少なく潮騒だけが繰り返し続いていた。レジャーシートを広げて海を眺めながらウィルはコーヒーをすすった。だいぶ冷めているが味はうまいままだ。祐基が神妙な顔でドーナツが入った箱をのぞき込んでいる。


 まさか元恋人に話しかけられるとは災難だった。情けないと怒られるし、プライベートな部分を見て嫌になっていなければいいが。


 けれどまず言うべきことがある。すっかりタイミングを逃していて、後回しになってしまっていた。


 ドーナツをひとくちかじり、甘すぎたのか口を引きつらせている祐基に向き合った。


「助けてくれてありがとう」


「大げさすぎ。こっちこそ元カレなのに邪見にしてすみません」


「えぇ? 困ってたからかばってくれたんじゃないの?」


 ちら、と祐基はウィルを横目で見ると、またドーナツにかぶりついた。今度は甘さに慣れ始めているのか二口ほど食べて、差し出してくる。受け取って続きを食べる。


 彼の耳がわずかに赤くなった気がしたが、夕陽が眩しいので見間違いかもしれない。


「デートとか言われて本当は嫌だったろうなって、もっと言い方あったのに」


「そんなこと」と言いかけて言葉を止めた。ジュースのストローの先をかじり、祐基は足を抱えて丸くなっている。


 さっさと一個を食べ終えて、ウィルはサクラ味のドーナツを手に取った。かじってみると、クリームからほのかに桜の香りがする。


「……ハルとは日本に来てすぐに付き合ったんだ。日本語も教えてくれてさ、いい人だった。このままずっと一緒にいるかと思ったんだが、『優しすぎる』って振られたんだよ。それが重荷になったって」


 甘いものを食べているのにほろ苦い話だ。祐基も一瞬困惑した様子をみせたが、ミニドーナツのカップを掴むと口に次々と放り込んだ。


「彼氏ができたってわかって、正直安心してるんだ。俺もようやく諦める覚悟が決まったよ」


「俺のことタイプなの?」


「その、まぁ、どちらかと言えば」


 沈黙が流れる。またコーヒーをすすって海を眺めた。だったらキスしてこいとか寝てくれとわめかれるのだろうか。それは勘弁願いたい。


 もちろん祐基のことを嫌ってはいない。


 最初バーで会ったときはかなり好みだと感じたのは嘘ではなかった。キスをしたときに骨が共鳴し得られる安心感は、できればもう一度欲しいと思えるほど良かった。だからこそ一線ひかねば、と気を引き締めている。


 仕事だ。彼を守り、支え、病気を治すためにできる限りの対応をする。


 性的接触は常識的に考えたらありえないのだ。


 この三日間、祐基と過ごして思ったのは「彼はあまりに幸福を知らない」だった。


 親からの愛情を注がれてこず、友人たちと騒いだこともなければ、ドーナツ一つまともに食べていない。あげくに病気を患い捨てられた。


 答えを見つけるために手を出したのが三流娯楽雑誌だったのもなんともかわいらしい間違いだ。そんな青年にできることはなんだろうと考えていた。


「雑誌になんて書いてたか知らないが、別にセックスがこの世で一番気持ちいいことではないよ。こうして海に沈む夕日を見ながら甘いものを食べるのだって十分最高じゃないか。友人同士でくだらない話をするのだって時間を忘れられるし、旅行の計画を立てているときの楽しさだってなににも代えがたい。そういうのを全部大事な人とするんだ。安直に体を重ねたって、祐基の欲しいものは手に入らないんじゃないかな」


「大事な人……」


「でも今日は出かけてよかった。症状が出たら不安だったけど、ハルに啖呵切ったときは咳の一つも出なかったな! いまも顔色がいいし、今度は釣りにでも行ってみようか。森林浴もストレスに効くかも。スパは人が多いから、もう少し元気になってからがいいかな」


「たしかに咳は出なかったけど、俺、いま苦しいよ」


「それは大変だ。薬飲む? あんまりひどいなら咳してもかまわないよ。ここでならいくらでも対処できるから」


「俺がウィルに触ってほしいと思っても許してくれないのに、そっちは手つないでくるじゃん」


 息が止まりそうになった。吹いてきた冷たい風が頬を撫でる。


 祐基がのばしてきた手を振り払えず、その手が肌に触れた瞬間に熱を持っているのを感じた。そして肌の奥の骨が反応したのか微かに光り始める。


 夕陽も落ちてきて辺りが暗いおかげで光はあざやかに、祐基の手を青く染めた。


 それを見た彼の目が揺れている。動揺しているのだと思った。細い指に光の線をなぞられてゾクゾクと鳥肌が立った。


「気づいてるよ、俺が触ると光るんだ。ほかの患者でも同じことはあった?」


「き、記憶上はない、かな」


「パートナーに選ばれるときってくじ引き?」


「わからない。俺はずっと選ばれないように止められていたし、パートナーをやってるやつからも聞いたことはない」


「だったら、特別なことなんだ。ねぇ、どうして俺だけウィルって呼んでるの。元カレも仕事仲間もあなたのこと、レックスって呼んでたのに。最初にウィルって名乗ったのは、偶然?」


 ばつん、とすべての音が聞こえなくなった。波も鳥の声も、ウィルの耳には届かずに手前で止まる。真剣に見つめてくる祐基以外が視界から遠ざかった。気づけば祐基の顔が間近にあった。


「俺がキスしたいのもセックスしてほしいのも、最初は現実を忘れたかったから。でもいまは違うって言ったら?」


「っ、おい、待って、待ってくれ」


「この世に一目ぼれってあると思う? このまま優しくされたら俺は勘違いし続けるよ。重荷だなんて贅沢なこと言えない。もっと教えて。俺が怪獣を生み出さなくなるまで、あなたが面倒をみてくれる間、俺はきっと我慢できなくなる」


「お、落ち着いて。我慢って、⁉」


 口に柔らかいものがぶつかった。すぐに離れたが、祐基はウィルの首元をぎゅっと掴み、顔を真っ赤にしながらうつむく。


「じゃなきゃ俺の怪獣をぶっ殺したヤツ追いかけて抱いてくれなんて言わないよ。あのとき好きなものを探そうって提案してきたよね。頑張って探したんだよ。なにもないのが怖くなって」


「なにが言いたいんだ。おい、まさか、そんな、マジか……」


 顔を手で覆う。彼の言いたいことは察した。ウィルは薄く息を吐いてかぶりを振る。だが祐基の熱を持った手が胸に触れてくる。向き合うべきだ。


 覆っていた手をどければ、潤んだ茶色の瞳に自分が映っていた。


「気づいちゃったんだ、俺、あなたのことが好き。こんな空っぽの俺に優しさをくれるウィルが好き。あったかいホットミルクをくれたウィルが俺の好きなものなんだよ。もっといろいろしてほしい、だから、ごめん。いっきに考えちゃったから良くなかった。く、けほ、ごほっ」


「祐基!」


 伝えることがどれだけストレスになったのか、祐基は咳き込み始め、慌ててカバンに手を突っ込んで薬を探すが、間に合わなかった。


 こんなタイミングにいつもみたいにキスで口を塞ぐのもためらったせいで結局耐えられずに祐基のカイジュウニウムがドーナツにかかる。ぐにぐにと姿を変えていく。あっという間に小さな怪獣が生まれ、「キシャア」と産声をあげた。


「クソ、」とウィルは掴んでそのまま握りつぶす。怪獣の体がはじけ、花火のように血が散った。ぼたぼたとレジャーシートと砂の上に落ちる。残りのドーナツにはギリギリかからなかったが、食べる気は失せてしまった。


 つらそうに呼吸を荒くした祐基が寄りかかってくる。肩を撫でようとしたが、寸前で止めていた。なにせ手が血で真っ青に染まっている。汚してしまうのだから、触れられはしない。


「本当に怪獣には容赦ないな。うん、やっぱり我慢比べ続けよう。でも俺を好きになってくれるのが一番手っ取り早い治療法かもね」


「これから暮らしていこうっていうのに、とんでもない爆弾発言食らっちまった……」


「あは、あははっ! 人に感情を向けるのも出すのもこんなに大変なんだ、知らなかった。はー、疲れたしもう帰ろうよ」


 最後の明かりが祐基の顔を照らした。悲しそうに笑っているのに、彼の上がってきた体温からは喜びも感じ取れる。体の中からキン、リン、と骨が鳴った音が聞こえた。


 幸せになれる方法──……。


 考えていこうする矢先だった。死にたがっていた青年に男が提案したものは、あくまでその場しのぎの冗談に近かった。それでも無垢な祐基は、恋を選んでしまった。

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