第八話 生き残った者たち
戦場で最も重いものは何か。
銃ではない。
弾薬でもない。
ましてや戦車でもない。
それは生き残った者が背負う記憶だった。
死んだ者は苦しまない。
苦しむのはいつも生き残った者だ。
あの日助けられなかった仲間。
あの時届かなかった手。
あの瞬間の判断。
それらは戦争が終わっても消えない。
むしろ戦争が終わった後の方が鮮明になる。
だから兵士は眠れなくなる。
だから酒に溺れる。
だから何年経っても戦場から帰れなくなる。
戦争とはそういう傷を人間の内側へ残していく。
◇
旧鉄道トンネル爆破作戦から二日後。
第七小隊は後方防衛拠点へ戻っていた。
任務は成功した。
敵機甲部隊は進軍路を失い、共和国軍は貴重な時間を確保できた。
上層部はそれを「戦術的勝利」と呼んだ。
だが現場にいる兵士たちにとって、そんな言葉はどうでもよかった。
重要なのは誰が生き残り、誰が帰ってこなかったかだけだった。
幸運にも第七小隊に戦死者はいなかった。
しかし無傷でもなかった。
エリクは重傷だった。
銃弾は脚部を貫通し、神経の一部を損傷していた。
命に別状はない。
だが前線復帰は当面不可能。
医療部隊は最低でも数か月の療養が必要だと判断していた。
それはつまり、彼がしばらく第七小隊を離れるという意味だった。
その事実は思っていた以上に重かった。
カイは野戦病院のテントを訪れていた。
消毒液の匂い。
血の臭い。
苦痛に呻く負傷兵たち。
ここもまた戦場の一部だった。
ただ銃声が聞こえないだけで。
エリクは簡易ベッドの上で天井を眺めていた。
包帯だらけの姿だったが、思ったより元気そうだった。
「そんな顔するな」
カイを見るなり苦笑する。
「死んでないぞ」
「分かってます」
「嘘つけ」
エリクは小さく笑った。
だがその笑顔の奥には疲労が見えた。
無理もない。
彼は何十人もの命を救った。
そして最後に自分自身が撃たれたのだ。
「戻れますよね」
カイは聞いた。
エリクは少しだけ黙る。
そして視線を逸らした。
「どうだろうな」
その答えに胸が重くなる。
彼自身も分からないのだ。
戦場では傷が兵士の人生を変える。
脚を失う。
腕を失う。
視力を失う。
あるいは戦う理由そのものを失う。
エリクもその岐路に立たされていた。
「もし戻れなくても」
しばらくして彼は言った。
「お前らは生きろ」
穏やかな声だった。
「それが一番大事だ」
カイは何も言えなかった。
◇
病院を出た後も気分は晴れなかった。
基地内を歩く。
後方拠点は前線よりは安全だ。
砲撃も少ない。
食事も多少マシだった。
それでも戦争はここにも存在している。
包帯姿の兵士。
義足の帰還兵。
棺を運ぶ車両。
戦争は形を変えながらあらゆる場所へ染み込んでいた。
その途中、カイはある光景を目にする。
広場の一角。
複数の兵士が集まっていた。
中央には軍服姿の男。
共和国軍の将校だった。
演説をしている。
「我々は勝利している!」
大声が響く。
「敵は疲弊している!」
「共和国に栄光を!」
周囲の兵士たちは拍手する。
だがその拍手はどこか空虚だった。
少なくともカイにはそう見えた。
前線の現実を知っているからだ。
勝利。
栄光。
そんな言葉がどれほど軽いものか。
昨日まで一緒にいた兵士が今日には死ぬ。
補充兵は来ない。
部隊は削られ続けている。
それでも勝っていると言うのか。
そんな疑問が胸に残った。
「嫌いか」
声がした。
振り向く。
レオだった。
缶コーヒーを持っている。
最近よく見かける。
どこで手に入れているのか不思議だった。
「少し」
正直に答える。
レオは小さく笑った。
「俺もだ」
意外だった。
「でも必要なんだ」
将校を見ながら言う。
「戦争は理屈だけじゃ続かない」
カイは黙って聞く。
「兵士は理由が欲しい」
レオは続けた。
「勝っていると思いたい」
「負けてるんですか」
「さあな」
即答しなかった。
それだけで十分だった。
現場の人間ですら分からない。
それがこの戦争だった。
◇
その夜だった。
第七小隊へ新しい命令が届いたのは。
レオは全員を集めた。
ミラ。
カイ。
残った隊員たち。
そして後方勤務になったトマスも呼ばれていた。
肩にはまだ包帯が巻かれている。
「偵察任務だ」
レオは地図を広げる。
全員が覗き込む。
「敵後方施設」
指差した場所は灰色地帯のさらに奥だった。
帝国軍支配地域。
「捕虜収容所があるらしい」
空気が変わる。
捕虜収容所。
つまり共和国軍兵士が捕まっている場所だ。
「救出ですか」
トマスが聞く。
レオは首を横に振った。
「まずは確認だ」
それだけだった。
だが誰も安心できなかった。
確認だけで終わる任務など前線には存在しない。
何かが起きる。
必ず。
戦争とはそういうものだった。
その時、カイはふとノアのことを思い出す。
敵国の少女。
家族とはぐれた子供。
そして収容所。
嫌な予感がした。
理由は分からない。
だが胸騒ぎが止まらない。
まるで運命がどこかで繋がり始めているような感覚だった。
◇
深夜。
基地の外れ。
ノアは一人で空を見上げていた。
戦場にしては珍しく静かな夜だった。
カイが近付くと少女は振り返る。
「また行くの?」
小さな声。
カイは頷く。
ノアは少しだけ俯いた。
そして震える手で首元のペンダントを握る。
初めて見る仕草だった。
「どうした?」
ノアはしばらく黙っていた。
やがて小さく呟く。
「お兄ちゃんも」
声が震えている。
「そこにいるかもしれない」
カイの心臓が止まりそうになる。
ノアは顔を上げた。
涙は流していない。
だが目だけが必死だった。
「捕虜収容所」
その言葉で全てが繋がる。
家族と離れ離れになった。
兄がいる。
行方不明。
そして敵後方の収容所。
偶然とは思えなかった。
カイは返事ができなかった。
軽々しく大丈夫とは言えない。
約束もできない。
戦場では約束ほど脆いものはないからだ。
それでも。
ノアの視線を見ていると。
何かを言わなければならない気がした。
「探してみる」
それが精一杯だった。
ノアは何も言わない。
ただ小さく頷く。
そして胸元のペンダントを握り締めた。
その姿を見ながら、カイは遠くの闇を見つめる。
敵後方。
捕虜収容所。
そこに何が待っているのかは分からない。
だが確かなことが一つだけあった。
この任務はただの偵察では終わらない。
そんな予感だけが、胸の奥で静かに膨らんでいた。




