表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『灰色の戦線』  作者: 釣鐘銅鑼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/20

第八話 生き残った者たち

戦場で最も重いものは何か。


 銃ではない。


 弾薬でもない。


 ましてや戦車でもない。


 それは生き残った者が背負う記憶だった。


 死んだ者は苦しまない。


 苦しむのはいつも生き残った者だ。


 あの日助けられなかった仲間。


 あの時届かなかった手。


 あの瞬間の判断。


 それらは戦争が終わっても消えない。


 むしろ戦争が終わった後の方が鮮明になる。


 だから兵士は眠れなくなる。


 だから酒に溺れる。


 だから何年経っても戦場から帰れなくなる。


 戦争とはそういう傷を人間の内側へ残していく。



 旧鉄道トンネル爆破作戦から二日後。


 第七小隊は後方防衛拠点へ戻っていた。


 任務は成功した。


 敵機甲部隊は進軍路を失い、共和国軍は貴重な時間を確保できた。


 上層部はそれを「戦術的勝利」と呼んだ。


 だが現場にいる兵士たちにとって、そんな言葉はどうでもよかった。


 重要なのは誰が生き残り、誰が帰ってこなかったかだけだった。


 幸運にも第七小隊に戦死者はいなかった。


 しかし無傷でもなかった。


 エリクは重傷だった。


 銃弾は脚部を貫通し、神経の一部を損傷していた。


 命に別状はない。


 だが前線復帰は当面不可能。


 医療部隊は最低でも数か月の療養が必要だと判断していた。


 それはつまり、彼がしばらく第七小隊を離れるという意味だった。


 その事実は思っていた以上に重かった。


 カイは野戦病院のテントを訪れていた。


 消毒液の匂い。


 血の臭い。


 苦痛に呻く負傷兵たち。


 ここもまた戦場の一部だった。


 ただ銃声が聞こえないだけで。


 エリクは簡易ベッドの上で天井を眺めていた。


 包帯だらけの姿だったが、思ったより元気そうだった。


「そんな顔するな」


 カイを見るなり苦笑する。


「死んでないぞ」


「分かってます」


「嘘つけ」


 エリクは小さく笑った。


 だがその笑顔の奥には疲労が見えた。


 無理もない。


 彼は何十人もの命を救った。


 そして最後に自分自身が撃たれたのだ。


「戻れますよね」


 カイは聞いた。


 エリクは少しだけ黙る。


 そして視線を逸らした。


「どうだろうな」


 その答えに胸が重くなる。


 彼自身も分からないのだ。


 戦場では傷が兵士の人生を変える。


 脚を失う。


 腕を失う。


 視力を失う。


 あるいは戦う理由そのものを失う。


 エリクもその岐路に立たされていた。


「もし戻れなくても」


 しばらくして彼は言った。


「お前らは生きろ」


 穏やかな声だった。


「それが一番大事だ」


 カイは何も言えなかった。



 病院を出た後も気分は晴れなかった。


 基地内を歩く。


 後方拠点は前線よりは安全だ。


 砲撃も少ない。


 食事も多少マシだった。


 それでも戦争はここにも存在している。


 包帯姿の兵士。


 義足の帰還兵。


 棺を運ぶ車両。


 戦争は形を変えながらあらゆる場所へ染み込んでいた。


 その途中、カイはある光景を目にする。


 広場の一角。


 複数の兵士が集まっていた。


 中央には軍服姿の男。


 共和国軍の将校だった。


 演説をしている。


「我々は勝利している!」


 大声が響く。


「敵は疲弊している!」


「共和国に栄光を!」


 周囲の兵士たちは拍手する。


 だがその拍手はどこか空虚だった。


 少なくともカイにはそう見えた。


 前線の現実を知っているからだ。


 勝利。


 栄光。


 そんな言葉がどれほど軽いものか。


 昨日まで一緒にいた兵士が今日には死ぬ。


 補充兵は来ない。


 部隊は削られ続けている。


 それでも勝っていると言うのか。


 そんな疑問が胸に残った。


「嫌いか」


 声がした。


 振り向く。


 レオだった。


 缶コーヒーを持っている。


 最近よく見かける。


 どこで手に入れているのか不思議だった。


「少し」


 正直に答える。


 レオは小さく笑った。


「俺もだ」


 意外だった。


「でも必要なんだ」


 将校を見ながら言う。


「戦争は理屈だけじゃ続かない」


 カイは黙って聞く。


「兵士は理由が欲しい」


 レオは続けた。


「勝っていると思いたい」


「負けてるんですか」


「さあな」


 即答しなかった。


 それだけで十分だった。


 現場の人間ですら分からない。


 それがこの戦争だった。



 その夜だった。


 第七小隊へ新しい命令が届いたのは。


 レオは全員を集めた。


 ミラ。


 カイ。


 残った隊員たち。


 そして後方勤務になったトマスも呼ばれていた。


 肩にはまだ包帯が巻かれている。


「偵察任務だ」


 レオは地図を広げる。


 全員が覗き込む。


「敵後方施設」


 指差した場所は灰色地帯のさらに奥だった。


 帝国軍支配地域。


「捕虜収容所があるらしい」


 空気が変わる。


 捕虜収容所。


 つまり共和国軍兵士が捕まっている場所だ。


「救出ですか」


 トマスが聞く。


 レオは首を横に振った。


「まずは確認だ」


 それだけだった。


 だが誰も安心できなかった。


 確認だけで終わる任務など前線には存在しない。


 何かが起きる。


 必ず。


 戦争とはそういうものだった。


 その時、カイはふとノアのことを思い出す。


 敵国の少女。


 家族とはぐれた子供。


 そして収容所。


 嫌な予感がした。


 理由は分からない。


 だが胸騒ぎが止まらない。


 まるで運命がどこかで繋がり始めているような感覚だった。



 深夜。


 基地の外れ。


 ノアは一人で空を見上げていた。


 戦場にしては珍しく静かな夜だった。


 カイが近付くと少女は振り返る。


「また行くの?」


 小さな声。


 カイは頷く。


 ノアは少しだけ俯いた。


 そして震える手で首元のペンダントを握る。


 初めて見る仕草だった。


「どうした?」


 ノアはしばらく黙っていた。


 やがて小さく呟く。


「お兄ちゃんも」


 声が震えている。


「そこにいるかもしれない」


 カイの心臓が止まりそうになる。


 ノアは顔を上げた。


 涙は流していない。


 だが目だけが必死だった。


「捕虜収容所」


 その言葉で全てが繋がる。


 家族と離れ離れになった。


 兄がいる。


 行方不明。


 そして敵後方の収容所。


 偶然とは思えなかった。


 カイは返事ができなかった。


 軽々しく大丈夫とは言えない。


 約束もできない。


 戦場では約束ほど脆いものはないからだ。


 それでも。


 ノアの視線を見ていると。


 何かを言わなければならない気がした。


「探してみる」


 それが精一杯だった。


 ノアは何も言わない。


 ただ小さく頷く。


 そして胸元のペンダントを握り締めた。


 その姿を見ながら、カイは遠くの闇を見つめる。


 敵後方。


 捕虜収容所。


 そこに何が待っているのかは分からない。


 だが確かなことが一つだけあった。


 この任務はただの偵察では終わらない。


 そんな予感だけが、胸の奥で静かに膨らんでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ