第七話 鉄と炎の回廊
兵士は未来のために戦う。
そう言う者もいる。
国家のため。
故郷のため。
家族のため。
平和のため。
様々な理由が語られる。
だが最前線にいる兵士たちにとって、それは少し違った。
彼らが戦う理由はもっと単純だ。
隣にいる仲間を生かすため。
それだけだった。
◇
第七小隊は夜の灰色地帯を進んでいた。
燃え続ける前線基地を後方へ残し、目指すのは旧鉄道トンネル。
共和国軍後方補給路へ繋がる重要拠点だった。
もし敵機甲部隊に突破されれば、後方の防衛線は大混乱に陥る。
補給路が絶たれれば前線は崩壊する。
そして崩壊した前線はさらに多くの死者を生む。
それを防ぐために第七小隊は派遣された。
戦車を止めるために。
たった数人の歩兵が。
無謀だった。
それでも誰も口には出さなかった。
戦争では無謀な任務の方が多い。
今さらだった。
月明かりはない。
空は厚い雲に覆われている。
砲撃で舞い上がった灰が風に乗り、夜の世界をさらに暗くしていた。
瓦礫だらけの道路を進みながら、カイはポケットへ手を入れる。
木彫りの鳥。
ノアから渡されたお守りだった。
指先で触れる。
不思議と少しだけ心が落ち着いた。
「緊張してるな」
隣からミラの声が聞こえる。
カイは苦笑した。
「分かりますか」
「顔に出てる」
相変わらず容赦がない。
だがその言葉にはどこか親しみも混じっていた。
初めて会った頃なら、こんな会話すらなかっただろう。
戦場は人を変える。
それは悪い方向だけではなかった。
生き残った者同士には奇妙な連帯感が生まれる。
同じ地獄を見た者だけが理解できる感情だった。
◇
旧鉄道トンネルへ到着したのは深夜を回った頃だった。
山岳地帯を貫く巨大なトンネル。
かつて貨物列車が走っていた場所だ。
今は補給路として使われている。
内部は暗く、湿気が多い。
冷たい空気が流れていた。
レオは地図を確認しながら周囲を見渡す。
そして短く言った。
「ここで迎え撃つ」
工兵隊が爆薬を設置し始める。
崩落用の爆薬だ。
起爆できればトンネル全体を塞げる。
だが準備には時間が必要だった。
その時間を稼ぐのが第七小隊の仕事だった。
カイたちは防衛位置へ散開する。
射線を確認する。
弾薬を点検する。
静かな時間だった。
だからこそ不気味だった。
敵はまだ見えない。
だが確実に近付いている。
その事実だけが空気を重くしていた。
やがて。
地面が震え始める。
最初は微かだった。
だが次第に大きくなる。
規則的な振動。
重い鉄の足音。
戦車だった。
複数。
確実にこちらへ向かっている。
「来たぞ」
ミラが双眼鏡を下ろす。
その声に誰も返事をしない。
全員が既に理解していた。
戦いが始まる。
◇
敵は予想以上だった。
先頭に戦車。
その後ろに装甲車。
さらに歩兵。
かなり大規模な部隊だった。
共和国軍の混乱に乗じて一気に突破するつもりなのだろう。
合理的な判断だった。
そして最悪だった。
「引き付けろ」
レオが言う。
誰も発砲しない。
敵との距離はまだ三百メートル以上ある。
今撃てば位置が露見するだけだ。
二百五十。
二百。
百五十。
敵は進む。
止まらない。
百。
そして。
「撃て!」
夜が裂けた。
銃声。
機関銃。
爆発。
無数の火線が闇を切り裂く。
先頭の歩兵が倒れる。
続く兵士も崩れる。
敵部隊が混乱する。
だが戦車は止まらない。
巨大な鉄の塊が前進を続ける。
その砲塔がゆっくりこちらを向いた。
嫌な予感が走る。
「伏せろ!」
レオの怒声。
直後。
砲撃。
轟音。
世界が揺れる。
カイのいた陣地が吹き飛んだ。
土嚢が消し飛ぶ。
瓦礫が飛び散る。
耳鳴り。
土煙。
視界が真っ白になる。
戦車砲だった。
歩兵用火器とは比べ物にならない。
圧倒的な暴力だった。
カイは必死に身を起こす。
呼吸が苦しい。
肺へ土が入った気がする。
咳き込む。
だが休んでいる暇はない。
敵は来る。
止まらない。
戦車の後ろから歩兵が雪崩れ込んでくる。
まるで鉄の津波だった。
◇
戦況は徐々に悪化していた。
人数差が大きすぎる。
第七小隊は善戦していた。
だが限界が近い。
弾薬も減っている。
負傷者も出始めていた。
その時だった。
「エリク!」
誰かが叫ぶ。
カイが振り向く。
衛生兵が倒れていた。
脚を撃たれている。
血が流れていた。
それでもエリクは負傷兵へ手を伸ばしている。
自分の傷より他人の命。
馬鹿だった。
本当に。
だがそれがエリクだった。
「動くな!」
カイは駆け寄る。
肩を貸す。
後方へ運ぶ。
敵弾が飛ぶ。
近い。
何発も。
死神がすぐ隣を歩いている気分だった。
「悪いな」
エリクが苦笑する。
顔色が悪い。
大量出血だった。
「喋るな」
「無理だ」
エリクは小さく笑った。
「衛生兵はな」
血の付いた手で地面を押さえる。
「最後まで元気な振りをするんだよ」
冗談にもならなかった。
カイは必死に止血する。
だが血は止まらない。
嫌な予感がする。
非常に嫌な予感が。
◇
その時だった。
工兵隊から連絡が入る。
「爆薬設置完了!」
全員の表情が変わる。
希望だった。
ようやく終わる。
この地獄を止められる。
だが。
敵もそれを察した。
戦車が一斉に加速する。
歩兵が突撃する。
トンネルへ。
爆破地点へ。
「止めろ!」
レオが叫ぶ。
ミラが撃つ。
一人。
二人。
三人。
敵兵が倒れる。
だが足りない。
数が多すぎる。
そして。
一人の帝国兵が爆薬設置地点へ飛び込んだ。
誰もが凍り付く。
爆薬を解除される。
そう思った。
だが。
その兵士は違った。
起爆装置へ手榴弾を投げた。
自爆覚悟だった。
起爆装置が吹き飛ぶ。
工兵が倒れる。
全員の顔色が変わった。
終わった。
そう思った。
その瞬間。
一発の銃声が響く。
帝国兵の頭部が砕け散る。
ミラだった。
そして。
別の影が飛び出す。
レオだった。
炎と銃弾の中を駆ける。
起爆装置へ向かう。
敵兵が撃つ。
弾が飛ぶ。
それでも止まらない。
まるで死神に喧嘩を売るような走りだった。
そして。
レオは起爆スイッチを押した。
◇
山が揺れた。
世界が揺れた。
轟音。
崩落。
爆発。
巨大なトンネルが内側から崩壊する。
岩盤が落ちる。
鉄骨が折れる。
戦車が飲み込まれる。
歩兵が消える。
土煙が空を覆う。
全てが終わった。
敵進軍路は完全に塞がれた。
第七小隊は勝った。
任務は成功した。
だが。
代償は小さくなかった。
血塗れのエリク。
疲弊した仲間たち。
そして。
崩落するトンネルの前で立ち尽くすレオの背中。
その背中はいつもより少しだけ大きく見えた。
英雄ではない。
歴史に名を残す偉人でもない。
ただ仲間を生かすために走った一人の兵士。
その姿が。
カイの目には誰よりも格好良く見えた。




