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『灰色の戦線』  作者: 釣鐘銅鑼


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第十九話 見えない照準

戦場には様々な死がある。


 砲弾による死。


 爆発による死。


 銃撃による死。


 そのどれも恐ろしい。


 だが兵士たちが本能的に嫌う死が一つある。


 狙撃だ。


 敵が見えない。


 どこにいるか分からない。


 いつ撃たれるかも分からない。


 ただ突然、命だけが奪われる。


 それは戦場に潜む亡霊のような死だった。


 だから兵士は狙撃手を恐れる。


 そして狙撃手同士は互いを誰より警戒する。


 自分たちだけが知っているからだ。


 一発で全てが終わる世界を。



 丘陵地帯は静まり返っていた。


 先ほどまで移動を続けていた第七小隊と救出捕虜たちは完全に足を止めている。


 伏せる。


 息を潜める。


 誰も不用意に顔を上げない。


 ほんの一瞬でも姿を晒せば撃ち抜かれる可能性があるからだ。


 それほどまでに相手の腕は正確だった。


 最初の一発はカイの頭部から数十センチ。


 二発目は捕虜の肩。


 警告ではない。


 確実に殺しに来ている。


 そして撃った相手には、それを実現できる技量があった。



 ミラは双眼鏡を覗いていた。


 ゆっくりと。


 慎重に。


 絶対に頭を出し過ぎない。


 相手も同じ狙撃手だ。


 わずかな油断が死を招く。


 風を読む。


 地形を見る。


 射線を予測する。


 相手が潜む場所を絞っていく。


 そして気付く。


「上手い」


 小さく呟く。


 本当に上手かった。


 狙撃手は獲物を探す。


 だが優秀な狙撃手は逆だ。


 自分が探されることを前提に隠れる。


 相手は後者だった。


 発砲地点を特定させない。


 地形を利用している。


 撃った後すぐ移動している。


 教本通り。


 だが教本通りを実戦で完璧に行うことは難しい。


 それができる相手だった。



 レオは状況を分析していた。


 狙撃手がいる。


 追撃部隊も迫っている。


 足を止めれば包囲される。


 動けば撃たれる。


 最悪だった。


 アルベルト・ヴォルフは明らかに狙っている。


 足止めだ。


 狙撃手を先行させ、自分たちの移動速度を奪う。


 その間に本隊が追いつく。


 実に合理的だった。


「時間がないな」


 レオは呟く。


 そしてミラを見る。


 彼女も理解していた。


 この状況を打開できるのは自分しかいない。



 カイは岩陰に身を伏せていた。


 鼓動が速い。


 妙な緊張感だった。


 撃ち合いとは違う。


 砲撃とも違う。


 何かがこちらを見ている。


 そんな感覚。


 死神がスコープ越しに見つめているような不快感だった。


 ルークの死が脳裏を過る。


 あの瞬間も突然だった。


 一発だった。


 狙撃は人間の未来を一瞬で奪う。


 昨日も。


 今日も。


 これからも。



「カイ」


 レオが呼ぶ。


 振り向く。


「移動準備だ」


「でも狙撃手が」


「だからだ」


 レオの視線がミラへ向く。


 そこでようやく理解する。


 囮。


 誰かが相手を引き付ける。


 その間に部隊を動かす。


 そしてその役目を担える人間は一人しかいない。



 ミラは静かにライフルを構えていた。


 愛用の長距離狙撃銃。


 何百人もの命を奪い。


 何百人もの仲間を救ってきた相棒だった。


 スコープを覗く。


 世界が狭まる。


 風景が変わる。


 遠くの丘。


 崩れた石壁。


 枯れ木。


 雑草。


 その全てが情報へ変わる。


 狙撃手にとって世界は違って見える。


 距離。


 風速。


 湿度。


 太陽光。


 反射。


 全てが弾道へ影響する。



 そして。


 見つけた。


 ほんの一瞬だった。


 丘の向こう。


 岩陰。


 不自然な影。


 人間だった。


 相手もこちらを探している。


 スコープが僅かに光る。


 互いに気付いた。



 その瞬間だった。


 発砲。


 ほぼ同時。


 二つの銃声が重なる。



 弾丸が空を裂く。


 風を切る。


 数百メートルを駆け抜ける。


 そして。


 岩が砕けた。


 ミラは即座に転がる。


 直後。


 先ほどまでいた場所へ敵弾が突き刺さる。


 あと数センチ。


 遅れていれば死んでいた。



「当ててきやがった」


 珍しくミラが笑う。


 楽しそうだった。


 本当に久しぶりだった。


 戦場で自分と同じ高さにいる相手。


 それが嬉しかった。


 同時に危険だった。



 一方。


 遠方の丘。


 敵狙撃手もまた息を吐いていた。


 帝国軍特務狙撃兵。


 コードネーム《ハウンド》。


 本名を知る者は少ない。


 長距離狙撃において帝国内でも屈指の腕を持つ男だった。


 その男が微かに笑う。


「なるほど」


 面白い。


 本当に。


 共和国軍にも化け物がいるらしい。



 その時。


 無線が入る。


 相手はアルベルトだった。


『どうだ』


 ハウンドは答える。


「本物です」


 短く。


『勝てるか』


 数秒沈黙する。


 そして。


「分かりません」


 それが答えだった。



 アルベルトは通信を切る。


 そして静かに笑う。


 ハウンドが勝敗を断言しない。


 それだけで十分だった。


 相手の狙撃手は予想以上。


 第七小隊はやはり面白い。


 潰し甲斐がある。



 一方その頃。


 ミラはライフルを担ぎ直していた。


 そしてレオへ言う。


「十五分」


 短い言葉。


「稼ぐ」


 レオは頷く。


 それで十分だった。


 長い付き合いだ。


 互いに何を考えているか分かる。



 カイは思わず口を開く。


「一人で?」


 ミラは振り返らない。


 スコープを覗きながら言う。


「狙撃手はな」


 少し笑う。


「こういう時のためにいる」



 次の瞬間。


 再び銃声が響く。


 見えない戦いが始まる。


 誰にも見えない場所で。


 誰にも理解できない世界で。


 二人の狙撃手が互いの命を狙い始めていた。


 その間にもアルベルトの包囲網は迫る。


 共和国軍戦線まではあとわずか。


 だがそのわずかが、あまりにも遠かった。

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