第二十話 狙撃手たちの戦場
戦争には様々な戦いが存在する。
歩兵同士が泥の中で殺し合う戦い。
戦車が鋼鉄をぶつけ合う戦い。
砲兵が何十キロ先の敵を吹き飛ばす戦い。
そして狙撃手の戦い。
それは他のどれとも違う。
派手さはない。
歓声もない。
仲間すら存在しない。
あるのは静寂だけだ。
息を潜める時間。
引き金を引く一瞬。
そして生死を分ける僅かな差。
狙撃手の戦場は孤独だった。
だからこそ残酷だった。
◇
ミラ・クロウは瓦礫の陰に伏せていた。
丘陵地帯の斜面。
草木の少ない乾いた地面。
風は弱い。
視界は良好。
本来なら狙撃には向いている。
だが今は違った。
相手もまた狙撃手だからだ。
しかも相当な腕前。
少しでも油断すれば終わる。
ミラはゆっくりと呼吸を整える。
焦らない。
急がない。
狙撃手に必要なのは反射神経ではない。
忍耐力だった。
◇
遠方。
約九百メートル。
敵狙撃手もまた伏せていた。
岩陰。
自然の窪地。
完璧な隠蔽。
普通の兵士なら絶対に見つけられない。
だがミラは違う。
そしてハウンドも理解していた。
相手は普通ではない。
発砲位置。
風の流れ。
射角。
全てを読んでいる。
同じ種類の人間だ。
◇
再び銃声が響く。
ハウンドだった。
弾丸が空気を切り裂く。
ミラは撃たれる前に動いていた。
ほぼ本能だった。
直後。
先ほどまで頭があった場所へ弾丸が突き刺さる。
土が弾ける。
岩が砕ける。
あと一瞬遅れていたら終わっていた。
◇
ミラは転がりながら別の遮蔽物へ移動する。
そして笑った。
戦場で笑うことなど滅多にない。
だが今は違う。
本当に久しぶりだった。
命を懸けた読み合い。
相手も同じ速度で考えている。
同じように射線を読み。
同じように風を読み。
同じように殺意を向けてくる。
懐かしい感覚だった。
◇
七年前。
弟を失ったあの日。
ミラは狙撃手になった。
遠くから敵を殺せば仲間を守れると思った。
誰かを救えると思った。
だが現実は違った。
何人殺しても弟は戻らない。
何人撃ち抜いても戦争は終わらない。
それでも引き金を引き続けた。
他に生き方を知らなかったからだ。
◇
そして今。
初めて思う。
この戦場には意味がある。
第七小隊を生かすため。
カイたちを帰すため。
ノアを待つ少女の涙を増やさないため。
守る理由がある。
それだけで十分だった。
◇
一方。
レオたちは移動を続けていた。
ミラが時間を稼いでいる。
その事実が全員の背中を押している。
足を止めることはできない。
止まれば彼女の覚悟を無駄にする。
だから進む。
共和国軍戦線へ。
あと十数キロ。
遠い。
だが希望は見えていた。
◇
カイは走りながら何度も振り返る。
遠くで銃声が響く。
一発。
また一発。
狙撃手同士の戦いは続いている。
見えない場所で。
誰にも知られず。
ただ命だけを賭けて。
◇
レオはそんなカイを見ていた。
若い。
優しすぎる。
だから危うい。
戦争はそういう人間から壊していく。
それでも。
そういう人間がいなくなったら終わりだとも思う。
誰も悲しまなくなったら。
誰も怒らなくなったら。
それはもう兵士ではない。
ただの殺人機械だ。
◇
その頃。
アルベルト・ヴォルフは追撃部隊と共に前進していた。
双眼鏡越しに前方を見る。
獲物は逃げている。
だが焦りはない。
むしろ楽しんでいた。
包囲網は崩された。
部隊にも損害が出た。
普通の指揮官なら不機嫌になる。
だがアルベルトは違う。
予想外が好きだった。
計算外が好きだった。
だから第七小隊が気に入っている。
彼らは予想を裏切る。
だから面白い。
◇
「少佐」
副官が声を掛ける。
「ハウンドが足止めを継続中です」
アルベルトは頷く。
「そうか」
そして笑う。
穏やかに。
不気味なほど穏やかに。
「なら追いつけるな」
◇
再び丘陵地帯。
ミラは呼吸を整えていた。
汗が流れる。
だが手は震えない。
心拍数も安定している。
長年の経験が身体へ染み付いている。
そして。
見つけた。
ほんの僅かな違和感。
風ではない。
光でもない。
自然の中に混じる人工物。
ライフルの銃身だった。
◇
発砲。
迷わない。
引き金を引く。
弾丸が飛ぶ。
九百メートル。
風速。
落下。
全てを計算した一撃。
◇
直後。
ハウンドが飛ぶ。
ほぼ同時だった。
岩が砕ける。
石片が飛び散る。
あと数センチ。
本当にあと数センチだった。
◇
ハウンドは思わず息を吐いた。
冷や汗が流れている。
久しぶりだった。
死を感じたのは。
この距離で。
この速度で。
ここまで正確な射撃。
帝国内でも数えるほどしかいない。
◇
「いいな」
ハウンドは呟く。
笑っていた。
敵であることを忘れそうになるほど。
狙撃手として純粋に興奮していた。
◇
だが。
その瞬間。
彼は気付く。
ミラの本当の狙いに。
自分を倒すことではない。
時間を稼ぐこと。
それが目的だった。
つまり。
自分は足止めされている。
◇
ハウンドは苦笑した。
ようやく理解する。
相手は最初から勝負していなかった。
任務を遂行していただけだった。
そして。
その任務は成功しつつある。
◇
遠く。
共和国軍戦線の砲声が聞こえる。
微かに。
だが確かに。
第七小隊は近付いている。
安全圏へ。
帰る場所へ。
そしてミラは最後にもう一度だけスコープを覗く。
敵狙撃手もまたこちらを見ていた。
互いに撃たない。
ただ見つめる。
奇妙な静寂だった。
◇
やがてミラは立ち上がる。
ライフルを背負う。
任務は終わった。
もう十分時間を稼いだ。
後は帰るだけだ。
仲間の元へ。
自分が守りたい連中の元へ。
◇
そして戦場の向こうで。
アルベルト・ヴォルフは初めて小さく眉をひそめた。
第七小隊。
また逃した。
また生き延びた。
だが。
その目に諦めはなかった。
むしろ逆だった。
執着はさらに強くなっていた。
獲物を逃した狩人のように。
静かに。
確実に。
彼らを追い続けることを決めていた。




