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『灰色の戦線』  作者: 釣鐘銅鑼


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第十八話 灰色の墓標

人は二度死ぬと言われている。


 一度目は命が尽きた時。


 二度目は、その人を覚えている者がいなくなった時。


 戦場では毎日誰かが死ぬ。


 名前も知らない兵士。


 昨日まで隣で飯を食っていた仲間。


 故郷で待つ家族のいる誰か。


 数え切れないほどの人間が死んでいく。


 そして戦争は、その死を数字へ変える。


 戦死者三十名。


 負傷者七十二名。


 行方不明者十二名。


 それだけだ。


 だが数字になったその一人一人にも人生があった。


 笑った日があり。


 泣いた日があり。


 帰りたい場所があった。


 ルークもその一人だった。



 夜明けと共に第七小隊は移動を続けていた。


 灰色地帯西部。


 共和国軍戦線まで残り二十キロほど。


 距離だけ見れば近い。


 だが戦場における二十キロは果てしなく遠い。


 敵地だ。


 追撃部隊もいる。


 負傷者もいる。


 しかも誰もが疲弊していた。


 身体だけではない。


 心も。


 ルークの死は予想以上に重かった。


 彼は第七小隊の仲間ではなかった。


 ほんの数日行動を共にしただけの少年だ。


 それでも。


 皆が彼のことを知っていた。


 妹を想う兄だったことを。


 必死に生きようとしていたことを。


 だから余計に辛かった。



 正午前。


 一行は小さな丘へ辿り着く。


 戦争前は公園だったらしい。


 今は砲撃で木々が焼け落ち、原形を留めていない。


 だが周囲より見通しが良かった。


 休憩には適している。


 レオが停止を命じた。


 兵士たちが腰を下ろす。


 誰も喋らない。


 疲れているのもある。


 だがそれ以上に、皆が同じことを考えていた。


 ルークのことを。



 しばらくして。


 カイは静かに立ち上がった。


 何も言わず歩き出す。


 丘の上。


 一番見晴らしの良い場所。


 そこに穴が掘られていた。


 小さな墓だった。


 即席の。


 戦場らしい墓だった。


 そこにはルークが眠っている。


 昨夜、移動の途中で埋葬したのだ。


 時間はなかった。


 立派な墓も作れなかった。


 それでも放置だけはしたくなかった。


 誰もがそう思った。



 墓標代わりに立てられているのは一本の木片だった。


 名前だけが刻まれている。


 ルーク・エーベル。


 それだけ。


 生まれた年も。


 死んだ年も。


 何もない。


 だが十分だった。


 少なくとも誰かがここにいた証になる。



 カイはしばらく墓を見つめていた。


 何を言えばいいのか分からない。


 祈り方も知らない。


 慰めの言葉も見つからない。


 だから黙っていた。


 それが一番自然だった。



 やがて背後から足音が聞こえる。


 ミラだった。


 狙撃手は隣へ立つ。


 相変わらず無口だった。


 しばらく二人とも何も話さない。


 風だけが吹いている。


 灰色の風が。



「弟もな」


 不意にミラが言った。


 カイは顔を上げる。


 彼女が自分から話すのは珍しい。


「墓がない」


 静かな声だった。


 怒りも悲しみもない。


 だからこそ重かった。


「戦車砲だった」


 遠くを見る。


「遺体も残らなかった」


 カイは何も言えない。


 ミラは続ける。


「最初は探した」


 風が吹く。


「毎日探した」


 戦場を。


 焼け野原を。


 血と泥の中を。


 弟の欠片でも見つからないかと。


 だが何も残っていなかった。



「だから羨ましい」


 ミラは墓を見る。


「埋めてやれただけ」


 その言葉にカイは胸が締め付けられた。


 墓がある。


 それだけで救われる人もいる。


 名前を残せる。


 忘れられないで済む。


 それは決して小さなことではないのだ。



 ミラはポケットから何かを取り出す。


 小さな薬莢だった。


 狙撃銃のもの。


 それを墓の前へ置く。


「餞別だ」


 短く言う。


 そして去っていった。


 それ以上は何も言わなかった。



 午後。


 移動が再開される。


 空模様が悪くなり始めていた。


 黒い雲。


 重たい空気。


 雨が近い。


 戦場では天候も敵になる。


 視界が悪化する。


 足場も悪くなる。


 だが今は逆に好都合かもしれなかった。


 追跡も難しくなるからだ。



 先頭を歩くレオは地図を確認していた。


 共和国軍戦線まであと少し。


 順調なら今夜には到達できる。


 だが順調に終わる戦争など存在しない。


 そのことを彼は誰より知っている。


 だから警戒を緩めない。


 視線を巡らせる。


 地形を見る。


 音を聞く。


 臭いを嗅ぐ。


 まるで獣だった。


 長年戦場を生きた男の勘だった。



 そして。


 その勘は正しかった。


 夕方。


 空が完全に曇った頃。


 レオが突然立ち止まる。


 全員も足を止める。


 緊張が走る。


「どうした」


 ミラが聞く。


 レオは答えない。


 ただ前方を見ている。


 その表情が険しい。


 異常なほど。



 数秒後。


 彼は静かに言った。


「伏せろ」


 全員が反射的に身を伏せる。


 次の瞬間だった。


 銃声。


 乾いた一発。


 そして。


 カイのすぐ横の岩が砕け散る。


 破片が飛ぶ。


 衝撃が走る。


 狙撃だった。



 誰も動かない。


 動けない。


 距離が分からない。


 位置も分からない。


 ただ一つだけ確かなことがある。


 撃ってきた相手は相当な腕だ。


 そして。


 それはただの追撃部隊ではない。



 ミラの目が細くなる。


 狙撃手として理解した。


 相手はプロだ。


 しかも。


 かなりの実力者。



 再び銃声。


 今度はさらに近い。


 捕虜の一人が悲鳴を上げる。


 肩を撃ち抜かれていた。


 混乱が広がる。


 そして。


 遠くの丘の上。


 一瞬だけ何かが光る。


 スコープの反射。


 ミラがそれを見逃さない。



「いた」


 小さく呟く。


 その目は獣のように鋭かった。


 戦場最強の狙撃手同士。


 見えない距離で。


 互いの命を狙う戦いが始まろうとしていた。


 そして。


 その背後では。


 アルベルト・ヴォルフの追撃部隊もまた、着実に距離を縮めていた。

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