第十八話 灰色の墓標
人は二度死ぬと言われている。
一度目は命が尽きた時。
二度目は、その人を覚えている者がいなくなった時。
戦場では毎日誰かが死ぬ。
名前も知らない兵士。
昨日まで隣で飯を食っていた仲間。
故郷で待つ家族のいる誰か。
数え切れないほどの人間が死んでいく。
そして戦争は、その死を数字へ変える。
戦死者三十名。
負傷者七十二名。
行方不明者十二名。
それだけだ。
だが数字になったその一人一人にも人生があった。
笑った日があり。
泣いた日があり。
帰りたい場所があった。
ルークもその一人だった。
◇
夜明けと共に第七小隊は移動を続けていた。
灰色地帯西部。
共和国軍戦線まで残り二十キロほど。
距離だけ見れば近い。
だが戦場における二十キロは果てしなく遠い。
敵地だ。
追撃部隊もいる。
負傷者もいる。
しかも誰もが疲弊していた。
身体だけではない。
心も。
ルークの死は予想以上に重かった。
彼は第七小隊の仲間ではなかった。
ほんの数日行動を共にしただけの少年だ。
それでも。
皆が彼のことを知っていた。
妹を想う兄だったことを。
必死に生きようとしていたことを。
だから余計に辛かった。
◇
正午前。
一行は小さな丘へ辿り着く。
戦争前は公園だったらしい。
今は砲撃で木々が焼け落ち、原形を留めていない。
だが周囲より見通しが良かった。
休憩には適している。
レオが停止を命じた。
兵士たちが腰を下ろす。
誰も喋らない。
疲れているのもある。
だがそれ以上に、皆が同じことを考えていた。
ルークのことを。
◇
しばらくして。
カイは静かに立ち上がった。
何も言わず歩き出す。
丘の上。
一番見晴らしの良い場所。
そこに穴が掘られていた。
小さな墓だった。
即席の。
戦場らしい墓だった。
そこにはルークが眠っている。
昨夜、移動の途中で埋葬したのだ。
時間はなかった。
立派な墓も作れなかった。
それでも放置だけはしたくなかった。
誰もがそう思った。
◇
墓標代わりに立てられているのは一本の木片だった。
名前だけが刻まれている。
ルーク・エーベル。
それだけ。
生まれた年も。
死んだ年も。
何もない。
だが十分だった。
少なくとも誰かがここにいた証になる。
◇
カイはしばらく墓を見つめていた。
何を言えばいいのか分からない。
祈り方も知らない。
慰めの言葉も見つからない。
だから黙っていた。
それが一番自然だった。
◇
やがて背後から足音が聞こえる。
ミラだった。
狙撃手は隣へ立つ。
相変わらず無口だった。
しばらく二人とも何も話さない。
風だけが吹いている。
灰色の風が。
◇
「弟もな」
不意にミラが言った。
カイは顔を上げる。
彼女が自分から話すのは珍しい。
「墓がない」
静かな声だった。
怒りも悲しみもない。
だからこそ重かった。
「戦車砲だった」
遠くを見る。
「遺体も残らなかった」
カイは何も言えない。
ミラは続ける。
「最初は探した」
風が吹く。
「毎日探した」
戦場を。
焼け野原を。
血と泥の中を。
弟の欠片でも見つからないかと。
だが何も残っていなかった。
◇
「だから羨ましい」
ミラは墓を見る。
「埋めてやれただけ」
その言葉にカイは胸が締め付けられた。
墓がある。
それだけで救われる人もいる。
名前を残せる。
忘れられないで済む。
それは決して小さなことではないのだ。
◇
ミラはポケットから何かを取り出す。
小さな薬莢だった。
狙撃銃のもの。
それを墓の前へ置く。
「餞別だ」
短く言う。
そして去っていった。
それ以上は何も言わなかった。
◇
午後。
移動が再開される。
空模様が悪くなり始めていた。
黒い雲。
重たい空気。
雨が近い。
戦場では天候も敵になる。
視界が悪化する。
足場も悪くなる。
だが今は逆に好都合かもしれなかった。
追跡も難しくなるからだ。
◇
先頭を歩くレオは地図を確認していた。
共和国軍戦線まであと少し。
順調なら今夜には到達できる。
だが順調に終わる戦争など存在しない。
そのことを彼は誰より知っている。
だから警戒を緩めない。
視線を巡らせる。
地形を見る。
音を聞く。
臭いを嗅ぐ。
まるで獣だった。
長年戦場を生きた男の勘だった。
◇
そして。
その勘は正しかった。
夕方。
空が完全に曇った頃。
レオが突然立ち止まる。
全員も足を止める。
緊張が走る。
「どうした」
ミラが聞く。
レオは答えない。
ただ前方を見ている。
その表情が険しい。
異常なほど。
◇
数秒後。
彼は静かに言った。
「伏せろ」
全員が反射的に身を伏せる。
次の瞬間だった。
銃声。
乾いた一発。
そして。
カイのすぐ横の岩が砕け散る。
破片が飛ぶ。
衝撃が走る。
狙撃だった。
◇
誰も動かない。
動けない。
距離が分からない。
位置も分からない。
ただ一つだけ確かなことがある。
撃ってきた相手は相当な腕だ。
そして。
それはただの追撃部隊ではない。
◇
ミラの目が細くなる。
狙撃手として理解した。
相手はプロだ。
しかも。
かなりの実力者。
◇
再び銃声。
今度はさらに近い。
捕虜の一人が悲鳴を上げる。
肩を撃ち抜かれていた。
混乱が広がる。
そして。
遠くの丘の上。
一瞬だけ何かが光る。
スコープの反射。
ミラがそれを見逃さない。
◇
「いた」
小さく呟く。
その目は獣のように鋭かった。
戦場最強の狙撃手同士。
見えない距離で。
互いの命を狙う戦いが始まろうとしていた。
そして。
その背後では。
アルベルト・ヴォルフの追撃部隊もまた、着実に距離を縮めていた。




