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『灰色の戦線』  作者: 釣鐘銅鑼


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第十六話 包囲網を喰い破れ

戦争には勝利よりも価値のあるものがある。


 生還だ。


 どれほど輝かしい戦果を挙げても死ねば終わりだ。


 勲章も。


 名誉も。


 栄光も。


 死者には関係ない。


 だから歴戦の兵士ほど知っている。


 最後に生き残った者こそが勝者なのだと。


 だが生き残るという行為は、時として最も困難な戦いになる。



 夜の旧鉄道保守基地は静まり返っていた。


 風が吹く。


 錆びた鉄骨が軋む。


 崩れた高架橋の残骸が月明かりを受けて不気味な影を落としている。


 その静寂の中を無数の足音が進んでいた。


 帝国軍だった。


 包囲部隊。


 追撃部隊。


 そしてアルベルト直属部隊。


 総数は三百を超える。


 対する第七小隊と捕虜たちは三十名にも満たない。


 数字だけ見れば勝負にならない。


 だからこそアルベルトは余裕だった。


 装甲車の上で双眼鏡を覗く。


 獲物は逃げられない。


 包囲網は完成している。


 後はゆっくり締め上げるだけだ。


「始めましょうか」


 その声は穏やかだった。


 まるで夜会でも始めるかのように。



 一方。


 旧保守基地内部。


 第七小隊は配置についていた。


 ミラは高架鉄道の残骸上。


 最も見晴らしの良い場所。


 レオは中央。


 カイは捕虜たちと共に東側防衛線。


 誰も喋らない。


 必要がないからだ。


 全員が理解している。


 ここが正念場だと。


 ここを越えなければ生きて帰れない。


 そして。


 最初の銃声が夜を裂いた。



 ミラだった。


 狙撃銃が火を吹く。


 先頭を進んでいた帝国軍下士官の頭部が弾け飛ぶ。


 悲鳴。


 怒号。


 伏せる兵士たち。


 混乱が広がる。


 直後。


 第七小隊全体が発砲を開始した。


 機関銃。


 ライフル。


 手榴弾。


 夜の廃墟が一瞬で戦場へ変わる。


 敵兵が倒れる。


 叫ぶ。


 血を流す。


 それでも前進してくる。


 数が違う。


 勢いが違う。


 帝国軍は止まらない。


 だが。


 それはレオも承知の上だった。



「まだだ」


 小隊長は時計を見る。


 敵を引き付ける。


 もっと近く。


 もっと深く。


 包囲網の中心へ。


 敵は気付いていない。


 いや。


 気付けない。


 自分たちが誘導されていることに。



 カイは撃っていた。


 照準。


 発砲。


 再装填。


 また発砲。


 機械のような動きだった。


 戦争へ来て数週間。


 その短期間で彼は大きく変わっていた。


 最初の頃のように引き金を引けず立ち尽くすことはない。


 敵を見れば撃つ。


 仲間を守るために。


 生き残るために。


 そうしなければ死ぬからだ。


 それでも。


 完全には慣れなかった。


 敵兵が倒れるたび胸の奥が重くなる。


 相手も人間だと知っているからだ。


 家族がいて。


 友人がいて。


 帰りを待つ誰かがいる。


 それでも撃つ。


 戦争とはそういう場所だった。



 ルークも戦っていた。


 帝国軍から奪ったライフルを抱えて。


 ぎこちない動きだった。


 だが目は真剣だった。


 妹の元へ帰る。


 そのためだけに。


 捕虜収容所で奪われた時間を取り戻すために。


 その想いが彼を支えていた。


 カイは横目で彼を見る。


 生きて帰らせたい。


 強くそう思った。


 ノアの笑顔を知っているからだ。


 兄を待ち続けた少女を知っているからだ。



 戦闘開始から二十分。


 帝国軍は着実に前進していた。


 損害は出ている。


 だが止まらない。


 兵力差が大きすぎる。


 押し切られるのは時間の問題だった。


 その時。


 アルベルトが異変に気付く。


「妙ですね」


 副官が振り返る。


「少佐?」


 アルベルトは地図を見る。


 そして前線を見る。


 何かがおかしい。


 共和国軍は撤退しない。


 逃げない。


 むしろ戦線を維持しながら後退している。


 意図的に。


 計画的に。


「なるほど」


 アルベルトは笑った。


 ようやく理解した。


「そういうことですか」


 敵は時間を稼いでいる。


 何かを待っている。


 あるいは。


 何かを仕掛けている。



 その瞬間だった。


 レオが無線を取る。


「ミラ」


『見えてる』


 短い返答。


 狙撃手も気付いていた。


 敵主力が十分に集まった。


 包囲網の中心部へ。


 まさに計画通りだった。


 レオは静かに頷く。


「起爆しろ」



 次の瞬間。


 世界が揺れた。


 轟音。


 爆発。


 そして崩壊。


 旧鉄道保守基地中央部。


 放棄された燃料タンク群が吹き飛んだ。


 炎が夜空へ噴き上がる。


 巨大な火柱。


 衝撃波。


 熱風。


 地面が裂ける。


 鉄骨が飛ぶ。


 貨車が横転する。


 帝国軍中央部隊が爆炎へ飲み込まれる。


 悲鳴。


 怒号。


 混乱。


 全てが一瞬で広がった。


 それはレオが最初から狙っていた一撃だった。



 さらに終わらない。


 爆発の衝撃で高架鉄道が崩れる。


 巨大な鉄塊が落下する。


 進軍路を塞ぐ。


 敵部隊を分断する。


 包囲網そのものが崩壊していく。


 戦場が混乱へ飲み込まれる。



 アルベルトは爆炎を見つめていた。


 驚いていた。


 久しぶりに。


 本当に久しぶりに。


 予想を超えられた。


 普通の部隊なら逃げる。


 だが第七小隊は違った。


 敵を誘い込み。


 包囲網そのものを罠へ変えた。


 兵力差を地形で覆した。


「素晴らしい」


 心からそう思った。


 だからこそ。


 余計に欲しくなった。


 この相手を壊したくなった。



「今だ!」


 レオが叫ぶ。


 第七小隊が動く。


 捕虜たちも。


 ルークも。


 全員が走り出す。


 混乱する敵軍の隙間へ。


 生まれた突破口へ。


 これが唯一のチャンスだった。


 カイは全力で走る。


 息が切れる。


 脚が痛い。


 肺が焼ける。


 それでも止まれない。


 背後では炎が燃え上がっている。


 敵軍が再編を始めている。


 時間はない。



 その時だった。


 銃声。


 一発。


 乾いた音。


 ルークの身体が揺れる。


 カイの視界が止まった。


 少年が倒れる。


 胸元から血が溢れている。


 ノアの兄が。


 ルークが。


 地面へ崩れ落ちる。


 時間が止まったようだった。


「ルーク!!」


 叫び声が夜へ響く。


 そして。


 遠くの炎の向こうで。


 アルベルト・ヴォルフが静かに微笑んでいた。

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