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『灰色の戦線』  作者: 釣鐘銅鑼


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第十四話 退路の果て

撤退は敗北ではない。


 優れた指揮官ほどそれを理解している。


 戦場で重要なのは土地ではない。


 兵士だ。


 戦える人間が生き残れば、失った陣地は取り返せる。


 だが兵士が死ねば終わりだ。


 どれほど立派な勝利も、戦う者がいなければ意味を持たない。


 だから歴史に名を残した将軍たちは時に退いた。


 生き残るために。


 次に勝つために。


 だが戦場にいる兵士にとって、撤退とは決して楽なものではない。


 背を向けるということは、敵へ命を預けるということだからだ。



「撤退する」


 レオの命令は短かった。


 だが全員が理解した。


 ここが限界だと。


 敵は増え続けている。


 こちらは減る一方だ。


 弾薬も体力も尽きかけている。


 このまま戦えば全滅する。


 だから下がる。


 生き残るために。


 次の戦いへ繋げるために。


 第七小隊は即座に動き出した。


 負傷者を支える。


 捕虜たちをまとめる。


 弾薬を回収する。


 誰も文句は言わない。


 戦場では命令が全てだった。


 それが正しいかどうかではない。


 従うかどうかだ。



 工場地帯から西へ。


 崩壊した鉄道施設が続いている。


 戦争前は大陸有数の物流拠点だったらしい。


 今では巨大な墓場だった。


 朽ちた貨車。


 折れ曲がったレール。


 横倒しになった機関車。


 そして無数の砲弾痕。


 文明の残骸が延々と続いている。


 その中を一行は進んでいた。


 走る。


 止まる。


 警戒する。


 また走る。


 単純な行動の繰り返し。


 だが神経は削られる。


 いつ敵が現れるか分からない。


 いつ狙撃されるか分からない。


 いつ砲撃が飛んでくるか分からない。


 それが追われる側の恐怖だった。


 カイはルークを支えながら進む。


 少年の体力は限界に近かった。


 収容所生活の影響は大きい。


 まともに食事も与えられていなかったのだろう。


 身体は痩せ細り、顔色も悪い。


 それでも倒れない。


 妹の元へ帰る。


 その想いだけで動いているように見えた。


「大丈夫か」


 何度目か分からない問いだった。


 ルークは苦笑する。


「それ、何回目だ?」


「何回でも聞く」


「過保護だな」


 そう言いながらも少し嬉しそうだった。


 人は誰かに気にかけられるだけで救われる。


 戦場ならなおさらだった。



 先頭を歩くレオは地図を確認していた。


 目的地は共和国軍前線ではない。


 そこまで辿り着くには距離がありすぎる。


 まずは中継地点。


 旧鉄道保守基地。


 戦争初期に放棄された施設だ。


 今は誰も使っていない。


 だが防衛に適した地形をしている。


 そこで追撃を振り切る。


 あるいは迎撃する。


 どちらかだった。


 レオは考える。


 アルベルト・ヴォルフ。


 あの男の存在が気になっていた。


 追撃が速すぎる。


 正確すぎる。


 偶然ではない。


 優秀な指揮官がいる。


 それもかなり危険な部類の。


 戦争は兵士だけでは決まらない。


 優れた指揮官一人で戦局が変わることもある。


 そしてアルベルトは間違いなくその類だった。



 昼を過ぎた頃だった。


 ミラが足を止める。


 異変に気付いたのだ。


 彼女は即座に高所へ登る。


 崩壊した信号塔。


 そこから双眼鏡を覗く。


 数秒。


 十秒。


 そして舌打ちした。


「最悪だ」


 その一言で全員が察する。


 良い知らせではない。


 ミラが地上へ降りてくる。


「前にもいる」


 沈黙。


「何だって?」


 レオが聞き返す。


「追撃部隊だけじゃない」


 ミラは地図を指差した。


「先回りされてる」


 空気が凍る。


 つまり。


 包囲され始めている。



 アルベルトは読んでいた。


 彼らの進路を。


 逃げる方向を。


 地形を利用することも。


 全て。


 先回り部隊を配置し、逃走経路を狭めている。


 追うだけではない。


 誘導しているのだ。


 まるで狩りだった。


 獲物を少しずつ追い詰める。


 逃げ道を消す。


 焦らせる。


 疲れさせる。


 そして仕留める。


 戦術としては正しい。


 だからこそ恐ろしかった。



 その頃。


 アルベルト本人は装甲車両の中にいた。


 地図を広げている。


 副官が報告する。


「先遣隊が接触しました」


「損害は」


「軽微です」


 アルベルトは頷く。


 予想通りだった。


 彼は最初から殲滅を目的にしていない。


 まだ。


 もっと追い詰めたい。


 もっと選択肢を奪いたい。


 そう考えていた。


「少佐」


 副官が恐る恐る聞く。


「なぜそこまで執着するのです?」


 普通なら既に十分な成果だった。


 脱走捕虜は重要ではない。


 収容所も機能している。


 だがアルベルトは笑った。


 楽しそうに。


 本当に楽しそうに。


「彼らが面白いからだ」


 副官は何も言えなくなる。


 理解できなかった。


 だがアルベルトは本気だった。


 共和国軍第七小隊。


 少数で収容所へ潜入した連中。


 命令違反を承知で捕虜を救った連中。


 合理的ではない。


 効率的でもない。


 だから興味深い。


 アルベルトはそういう人間が好きだった。


 壊す時に面白いからだ。



 夕方。


 第七小隊は旧鉄道保守基地へ到着する。


 巨大な整備工場。


 半壊した車庫。


 無数の線路。


 防衛には適している。


 だが。


 同時に逃げ場も少ない。


 レオは周囲を確認する。


 西。


 崖。


 東。


 敵追撃部隊。


 南。


 湿地帯。


 北。


 先回り部隊。


 状況は悪かった。


 想像以上に。


 追い詰められている。


 そして。


 その時だった。


 遠くでエンジン音が響く。


 複数。


 かなり近い。


 ミラが双眼鏡を覗く。


 表情が険しくなる。


「来た」


 短く言う。


「全部だ」


 敵追撃部隊。


 先回り部隊。


 そして。


 アルベルト・ヴォルフ直属部隊。


 全てが集まり始めていた。


 包囲網が完成する。


 もう逃げ場はない。


 誰もがそれを理解した。


 だがレオだけは違った。


 彼は地図を見つめる。


 そして。


 ゆっくり笑った。


 初めてだった。


 この状況で。


「なら利用する」


 その目は獣だった。


 追い詰められた獣ではない。


 獲物を噛み殺そうとする獣だった。


 カイはその横顔を見る。


 何か考えている。


 とんでもない何かを。


 そして。


 戦局をひっくり返すための賭けが始まろうとしていた。

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