第十二話 追撃者たち
戦争には二種類の人間がいる。
生きるために戦う者。
そして戦うために生きる者。
前者は兵士だ。
後者は怪物だ。
兵士は戦争が終われば故郷へ帰ろうとする。
家族の元へ帰ろうとする。
平和を求める。
だが怪物は違う。
戦場こそが居場所であり、戦争こそが存在理由になる。
血と硝煙の中でしか生きられなくなる。
そして長い戦争は、時としてそんな怪物を生み出してしまう。
◇
収容所からの脱出は成功した。
少なくとも今のところは。
第七小隊と救出した捕虜たちは夜の廃墟地帯を移動していた。
だが誰も安堵していない。
敵地のど真ん中だからだ。
しかも連れているのは疲弊した捕虜たち。
走れない者もいる。
負傷者もいる。
帝国軍が本気で追撃を開始すれば逃げ切れる保証はなかった。
先頭を歩くレオは無言だった。
周囲を警戒している。
進路を確認している。
次の判断を考えている。
いつも以上に険しい表情だった。
それも当然だろう。
命令違反。
敵地潜入。
捕虜救出。
状況だけ見れば軍法会議ものだった。
成功しても問題になる。
失敗すれば全滅する。
最悪の綱渡りだった。
◇
カイはルークの隣を歩いていた。
ノアの兄。
敵地で発見した少年。
今は共和国軍の上着を借りている。
捕虜服のままでは目立ちすぎるからだ。
だが顔色は悪い。
長期間の拘束生活で体力が極端に落ちている。
歩くだけでも辛そうだった。
「大丈夫か」
カイが聞く。
ルークは苦笑した。
「情けないな」
声が掠れている。
「昔はもっと走れたんだけど」
無理に笑っているのが分かる。
カイは何も言わなかった。
励ましの言葉が見つからなかった。
代わりにポケットから水筒を差し出す。
ルークは少し驚いた顔をした。
そして受け取る。
「ありがとう」
短い言葉だった。
だがその声には確かな感情があった。
◇
しばらく沈黙が続いた。
夜風が吹く。
崩れたビル群の隙間を抜ける風は冷たかった。
遠くでは砲声が響いている。
戦争は今も続いている。
自分たちとは関係なく。
何事もなかったかのように。
「ノアは元気か」
不意にルークが聞いた。
カイは頷く。
「元気だ」
本当だった。
戦場にいる子供としては信じられないほど。
「君を探してた」
ルークは黙る。
しばらく空を見上げる。
やがて小さく笑った。
「そうか」
その声は震えていた。
泣いているわけではない。
だが感情を抑えているのは分かった。
「生きててよかった」
ぽつりと呟く。
それだけだった。
だがその言葉には一年以上積み重なった想いが詰まっていた。
家族。
故郷。
失われた日常。
戦争が奪った全て。
その中で唯一残った希望。
ノアだった。
◇
夜明け前。
一行は廃工場跡へ到着した。
休憩地点だった。
このまま歩き続ければ全員が潰れる。
短時間でも休息が必要だった。
捕虜たちはその場へ座り込む。
疲労は限界だった。
無理もない。
収容所生活の後に夜通し移動しているのだ。
カイも壁にもたれかかった。
身体が重い。
瞼も重い。
少しでも気を抜けば眠ってしまいそうだった。
その時だった。
ミラが戻ってくる。
偵察へ出ていたのだ。
だが表情が良くない。
嫌な予感がした。
「追ってきてる」
短く言う。
全員の顔色が変わる。
レオが立ち上がる。
「規模は」
「多い」
ミラは即答した。
「最低でも二個中隊」
空気が凍る。
二個中隊。
およそ二百人規模。
こちらは捕虜込みで三十人程度。
勝負にならない。
普通なら逃げるしかない。
だが問題は別にあった。
「妙なんだ」
ミラは続ける。
「追い方が上手すぎる」
レオの眉が僅かに動く。
「足跡を消しても追ってくる」
「犬か」
「違う」
ミラは首を振った。
「もっと嫌な感じだ」
その言葉に全員が黙る。
ミラの勘はよく当たる。
戦場では特に。
◇
その頃。
数キロ後方。
帝国軍追撃部隊は静かに前進していた。
兵士たちは緊張している。
だがその中心にいる男だけは違った。
軍服は整っている。
泥一つ付いていない。
銀縁の眼鏡。
整った顔立ち。
年齢は三十代前半。
帝国軍少佐。
名前はアルベルト・ヴォルフ。
戦場では有名な男だった。
優秀だからではない。
危険だからだ。
彼は兵士を駒として扱う。
敵も味方も関係ない。
勝つためなら何でもする。
民間人の犠牲も。
友軍の損耗も。
全て計算に含める。
そして何より。
異常なほど執念深かった。
「面白い」
アルベルトは地図を眺めながら呟く。
「捕虜救出とは」
口元が歪む。
笑っているのだ。
「共和国軍にもまだ人間が残っていたらしい」
周囲の副官たちは何も言わない。
言えない。
この男を知っているからだ。
アルベルトは獲物を追う時だけ機嫌が良くなる。
そしてその時が最も危険だった。
「見つけろ」
静かな声だった。
だが兵士たちは背筋を伸ばす。
「一人残らず」
その命令に迷いはなかった。
◇
朝日が昇り始める。
灰色地帯の空が薄く明るくなっていく。
その光景を見ながらカイは胸騒ぎを覚えていた。
嫌な予感だった。
理由は分からない。
だが何かが近付いている。
そんな感覚が離れない。
そしてその予感は正しかった。
数分後。
前方警戒に出ていた偵察兵が転がるように戻ってくる。
顔面蒼白だった。
「敵だ!」
叫ぶ。
「もう来た!」
誰もが息を呑む。
早すぎる。
あり得ない。
だが現実だった。
そして。
遠くから銃声が響く。
追撃部隊が接触したのだ。
逃走劇は終わる。
ここから始まるのは。
生き残るための戦いだった。




